考えすぎの星の住人

先日、Twitterで相互フォローの方とリアルでお会いしてお話をする機会があった。

その方は私が主催した合同誌企画『百合論考』に参加してくださった方で、一度お会いしてお礼をしたいと思っていたところ、ちょうどタイミングが合って実現したのだった。

まず私の合同誌企画からして、同じようなことを考えている人間なのだろうと、勝手に妄想しては親近感を覚えていた。
そのため、よくインターネットで知り合った人とは会うなとは言いつつも、緊張もせず恐怖心もなくかなり安心して当日を迎えることができた。

いざお会いしてみると私と以前会ったことがあるのかというくらい打ち解けた。
というよりは、会って5分程度で「あ、この方は私と同じ人種だ」という心地がした。
それは勿論お相手の方が私に合わせてくださって場を和ませているのかもしれないが、私にはもう他人には思えなくなっていたのだ。

共通の趣味「百合」を介して会った両者だが、まず職業も同じ。その職業も専門からは離れたもの。
そして話は性格の話まで足を伸ばし、色んなことをとにかく考えてしまうのも同じ。だからこそ「百合論考」に興味を持ってくださったのだと思う。
普段読書をするときに数冊平行しながら読む、これも同じ。(読書を習慣にしている人あるあると言えばそれもそう)
昔は日記というか日々気になって考えたことを書き留めていた、これも私の今の習慣になっている。これが数年経ってから読み返すと面白いのだ。
最近は建築にも興味がある、これも同じ。理系あるあるなのか建築物を見ると構造や材料とかが気になってしまう。

ここまで来るとやはり他人ではなく「同じ星のもとに生まれた」のだと感じるようになった。
数年に一度、こういう方と出会う。
自分と同じように生きてきて、同じようなことをしていて、似たような波長の人がいる。
同じ考えすぎの星の住人。

ここまで私と似ているなどと失礼なことを言ってきたのだが、私より遥かにコミュニケーション能力に長けていて、社交性があって、本当に居心地良く私ばかり話しすぎてしまったような気がする。

Twitterを始めた10年以上前、高校生の頃の私はかなり尖っていて、オタクがオフ会で群れて騒いでいるのをナナメに見ては「群れなきゃ生きられないのか」「ネットはネット、リアルはリアルに生きろよ」などと一蹴していたが、やはり同じ趣味を持つ者と会うのは非常に楽しい。
他人に向けた見下しの言葉はいずれ自分に返ってきて行動に枷を付け縛り上げる。

今まで友人にも百合好きはおらず、すべての趣味を1人で楽しんできた私にとっては、趣味を語り合い共有できるのはこんなににも素晴らしいことなのかという人生初めての体験をした日であった。

かと言って、これからネットの世界で出会った方とのリアルでの交流を広げようとはなりにくい。
やはり根本にある人間不信、これが邪魔をしている。
最近は少しずつ忘れかけていて心の奥底で朽ち始めてきているのだが、長年澱んでいて心の底にこびり付いた人間不信の塊は中々にしつこい。
今度は即売会に参加して削り落としたい。COMITIAに間に合うかな……頑張れ!未来の自分

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