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山塚りきまるの『なんかメロウなやつ聴きたい』第六十六回 夜間徘徊にピッタリな音楽特集(夜の散歩をしないかね)


はいどうも。

みなさん、夜間徘徊はお好きですかな?

僕は結構好きですね。

とくに北海道のこの時期の夜間徘徊はたまらないものがありますね。

マイナス20度とかあるけど、マイナス20度とかあるが故に、空気がとても清潔で張り詰めていて、全ての輪郭がはっきりしています(ちなみに先日、僕の地元ではマイナス36度を記録しました)。

夏の夜ではこうはいかないです。

僕は普通にクマとかシカとかキツネが出るような、一面田畑に囲まれた山の奥深くに住んでいるのですが、夏の夜って全然静かじゃないんですよ。

数十万、数百万のカエルが夜通し鳴き続けていますし、そこら中でキツネが威嚇の唸り声を上げています。皆さん、キツネの鳴き声って聞いたことありますか? 

キツネの鳴き声を最初に『コーン』って翻訳したひとは、絶対にキツネの鳴き声聞いたことないひとだと思うんですよ。

キツネは『ゲェー!!! ギェーン!!! ヒィアギュウアアア!!!』って鳴きます。たぶん初めて聞いたひとは、人が殺されているんじゃないかと勘違いすると思います。断末魔みたいな鳴き声なの。

だから夏に東京とか行くと、東京の夜ってホントに静かだなと思いますね。

ほんとうの静けさというのは、やはり雪国の冬にしかありません。降り積もった雪は音を吸い込むので、恐ろしいほどの静謐さに包まれます。

強い風が吹いた夜に、うねりを持った複雑な雪がつくる陰影のうえで橙色の街灯とコインパーキングの白熱灯が重なり合うのを見たときなどは、冗談抜きでトリップしてしまいますね。

その場に立ちすくんだまま、魅入られてしまいます。

以前ある本で読んだのですが、サイケデリクスを摂取した際に『目にくる』光景は、緑が生い茂るジャングルではなくて、雪が降り積もった一面の銀世界なんだそうです。

映画は知らないまま観ても面白いけれど色々知ってから観た方が100倍面白い。という言葉がありますが、イニャリトゥ監督の『レヴェナント』の本当のヤバさが肌で実感できるのは北国の人間だけだと思います。

マイナス20度を超えると“寒い”を通り越して“痛い”んだとか、マイナス30度を超えると本能的に死の危機を察知するだとか、そういった身体的教養がなければ、あの映画の真のヤバさは理解できないです。

まあまあ、ダラダラ書きましたけれども、夜の散歩は最高ですよね。

ノスタルジー、センチメンタル、メランコリック、ロンリネス、ナルシシズム、ありとあらゆる感情がないまぜになる時間です。

無音のまま一人コーヒー片手に散歩するのも良いですし、友達とおしゃべりしながら散歩するのも良いですし、もちろん音楽を聴きながら歩くのも最高です。

夜間徘徊しながら聴く音楽は、部屋やクラブやクルマの中で聴く音楽とは全く違うものです。

いつもは聴き取れなかった音が聴こえたり、歌詞の意味が深く理解できたり、ずっと忘れていたことをふいに思い出したり、新しいアイデアが浮かんだりします。それはとても、特別な時間です。

余談ですが、『散歩』という言葉は古代中国のドラッグ・カルチャーから来ています。五種類の鉱物を混ぜ合わせたドラッグ『五石散』というのが当時の中国では大流行していたのですが、この五石散は体内に長く残留し続けると死んでしまうため、大量に汗をかく必要がありました。だから人々は五石散を服用したあとは岩盤浴しながら友達とおしゃべりしたり、必死に歩きまくったりして汗をかいたワケです。この、五石散をキメて必死に歩きまくるという行為が『散歩』の語源であると言われています。

というワケで、山塚りきまるの『なんかメロウなやつ聴きたい』第六十六回は、“夜間徘徊にピッタリな音楽特集(夜の散歩をしないかね)”と題して、ワタシが独断と偏見で選曲した夜間徘徊にピッタリな音楽を、皆さんと共に耳を傾けていきたいと思います。みんな、ついてきてね!


一曲めは、Kan Sanoで『セ・ラ・ヴィ』。


バークリー音大卒の鍵盤奏者/トラックメイカー/プロデューサー、Kan Sanoの2016年の傑作アルバム『k is s』からの一曲です。ヴォーカルを取っているのは孤高の鬼才SSW、七尾旅人。メロウでアーベインなトラックはまさにナイト・ハイキングにふさわしい一曲であります。七尾旅人さんによる叙情的な歌詞も本当に素晴らしい。何をどうやったらこんな歌詞を書けるのだろう。マジで天才です。Kan Sanoさんのアルバムは全部素晴らしいですけど、このアルバムは別格だな。と思いますね。



二曲めは、寺尾紗穂で『停電哀歌』。


寺尾紗穂さんです。このかたは本当に素晴らしいですね。東大卒の秀才であり、ミュージシャンとしての活動のみならず、作家としてもご活躍されており、エッセイや映画評や書評など幅広い分野で筆を振るっています。

ちなみにお父様は山下達郎大貫妙子伊藤銀次が在籍していた伝説のロック・バンド、シュガー・ベイブのベーシスト、寺尾次郎氏です。

明治時代の国文学や唱歌を思わせる民俗的な詞や、ジャズやクラシックの要素が入り混じった気品ある楽曲、そして何より一度聴いたら忘れられない、ひじょうに記名性の強い歌声はまさに唯一無二です。

このひとの歌ってなんか聴いててものすごく懐かしいし、寂しくなるんですね。郷愁って言うんですかね。すごく綺麗な夕焼けを見たときとか、焚き火を見つめているときに湧き上がってくる、言葉では言い表せない複雑な感情ってあるじゃないですか。このひとの歌はそういう感情を想起させますね。

このひとが関わってるもので『微妙だな〜』ってもの、ホントにないですね。音楽も文章も、今やってる『冬にわかれて』ってバンドも全部素晴らしいです。



三曲めは、POP ETCで『リヴ・イット・アップ』。


ポップ・エトセトラです。新進気鋭のギターロック・バンドとして、世界的に高い評価を受けたザ・モーニング・ベンダーズの改名バンドですね。ギターサウンドが中心だったザ・モーニング・ベンダーズとは打って変わって、シンセ/エレクトロ・ポップを軸とするスタイルになっています。親日家としても知られており、ガリレオガリレイとツアー回ったり、木村カエラのプロデュースしたり、くるりとかYEN TOWN BANDのカヴァーやったりしてます。

正直この曲以外はよくわかんないって言うか、あんまり好きじゃないんですけど、もうこの曲だけは気が狂うほど好きですね。最高です。菊地成孔さんの『ブライアン・ウィルソンのカジュアルな末裔』という評にも納得。深夜のコンビニのカフェオレ飲みながら聴きまくりたい。



四曲めは、ココロージーで『バイ・ユア・サイド』。



ビアンカ・レイラニ・キャサディと、シエラ・ローズ・キャサディの、キャサディ姉妹によるアメリカのニュー・フォーク・デュオ、ココロージーの1stアルバムからの一曲です。これ2004年ってかなり新しいなと思いますね。

宅録アシッド・フォークに、ヒップホップの要素を一振りしたような、アンニュイで煙たい音楽です。不穏だけれど心地良くて、うっとりするようなサウンドです。明け方に白みゆく空を眺めて、タバコ吸いながらボーッと聴きたい曲です。



五曲めは、相対性理論で『テレ東』。


相対性理論のファースト・フル・アルバム『ハイファイ新書』の一曲めです。これほどナイト・ハイキング、ナイト・ドライビングに適したアルバムってないんじゃないかっちゅうぐらい素晴らしいですね。

12年前かな、札幌の友人宅にクルマで行く際、移動に4時間かかるから何か音楽が欲しいな。と思って、今はなきツタヤ旭川東光店(当時のレンタルヴィデオ・DVDの品揃えたるや凄まじかった。僕の映画教養はほぼこの店で培われました)でこのCDを買ったんですよね、なんとなく。

で、クルマに乗り込んでこのCDをセットし、この曲のイントロのギターが鳴り出した瞬間、『勝った』と思いました。なんかよくわかんないけど。それから4時間、ずっとこのアルバムを聴いてました。

相対性理論は全部大好きだし最高だけど、このアルバムがやっぱりダントツで傑作だと思いますね。リリースされてもう10年以上が経つというのに古びる気配が全くない。常に現代的であり続けている。

ガラケーが主流で、Wi-Fiなんてどこにも飛んでなかったし、SNSもギリギリで普及していなかった時代に作られた音楽とは思えません。常に現代的であり続けている。

このアルバムが生んだ数多のエピゴーネンは言うに及ばず、大島智子さんや宮崎夏次系さんのマンガにも僕はこのアルバムからの影響を感じます。ここ30年ほどの日本のポップ・ミュージックで、これほどの都市性/現代性を持ち得ているのはフィッシュマンズと相対性理論ぐらいじゃないでしょうか。僕の世界認識を決定づけたアルバムです。



はい、というワケでいかがでしたでしょうか、山塚りきまるの『なんかメロウなやつ聴きたい』第六十六回 夜間徘徊にピッタリな音楽特集(夜の散歩をしないかね)、そろそろお別れのお時間となりました。次回もよろしくお願いします。小銭とスマホをポッケに突っ込んで、あったかくして夜の街に繰り出しましょう。夜はあなたを拒まない。ナイト・タイム・イズ・マイ・タイム、ナイト・タイム・イズ・ファン・タイム。どうか良き夜を。


愛してるぜベイベーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!



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