山塚りきまるの『なんかメロウなやつ聴きたい』第五十回 友達特集
皆さん最近何かハマってることってありますか?
僕は最近、半ケツで寝るのにハマってます。
寝るときに、ケツの割れ目のちょうど半分ぐらいのところまでパンツを下げて、そのまま布団に入るのです。
これめっちゃ気持ち良いです。
ほらよく靴下半脱ぎ状態のままにすることないですか?
あれめっちゃ気持ちよくないですか?
あれに近いですね。
ちゃんと履いても、裸足になっても得ることのできない、堕落の快楽。
孔子の『中庸』とはまさにこういうことを言うのではないでしょうか?(ぜってーちげー)
半ケツ就寝ブーム到来間近!!
タピオカの次はこれだ!!!
やってみ!!!!
さて話は急に変わりますが、僕にはバンドマン・ラッパー・トラックメイカー・DJ・演歌歌手などなど、音楽家の友人がたくさんいます。
そしてそのいずれもが大変な才能に溢れた人間ばかりです。
今回はその才能ある友人たちを、矢継ぎ早に書き連ねていこうと思います。
というワケで山塚りきまるの『なんかメロウなやつ聴きたい』、記念すべき第五十回は“友達特集”と題して、素晴らしき才能を持った友人たちを取り沙汰することで、
『俺こんなかっけぇ友達たくさんいんだぜ〜〜〜!!!!!!』
って自慢する回にしたいと思います。みんな、ついてきてね!!
一曲めはthe hatchで『SEXGAME』。
去年いちばんライヴ観たバンド。たぶん10回以上は観てます。
およそ音楽レヴューにおいて『オルタナ』ほど安易に使われてる言葉ってなかなかないと思うんです。
『メンバーの前髪が長くて、暗いロックをやってたらオルタナだ』ってぐらいの意味合いで乱用されてると思います。
まぁ最近はオルタナポップとかオルタナR&Bとかもあるワケですが、ここはとりあえずロックに限定して話を進めましょう。
オルタナというのはオルタナティヴの略称でありまして、
『 大手レコード会社主導の商業主義的な産業ロックやポピュラー音楽とは一線を画し、時代の流れに捕われない普遍的な価値を求める精神や、アンダーグラウンドの精神を持つ音楽シーンのことである』
以上これwikipedia抜粋でありますが、そーゆーホントの意味合いにおいて“オルタナ”であるバンドって実際そんなにいないと思うんですよ。
だけど、the hatchに関しては、リアルでガチな本物の“オルタナ”であると言い切ってしまいたい。
アフロもジャズもハードコアもメタルもラテンもサンバもポストクラシカルも余裕綽々で咀嚼したグロテスクなまでの混血性を持つダンス・ミュージックを演奏し、決して媚びたり策を弄したりポオズをとったりせず、常に先鋭的な音楽を探求し続ける彼らをオルタナと呼ばずして、いったい何をオルタナと表現するのだ?
the hatchの音楽ってたぶん10年後、いや100年後に聴いても、未来のリスナーは『これクソやべぇ』って言うと思うんですよ。
分類学とか歴史学的な評価ではなく、ストレートに『これクソやべぇ』って言わしめる力があると思うんですよ。
バスター・キートンの映画が100年近く経った今も『バスター・キートンの動きクソやべぇ。絶対人間じゃねぇよコイツ』と言われるように、絵の具に平清盛の血を混ぜて描かれた『両界曼荼羅図』が1000年以上経った今も『サイケすぎだろ。マジで超ブッ飛んでんな』と言われるように、時代を軽々と飛び越える強烈な殺傷力がthe hatchの音楽にはあります。
そのぐらい文化的に重要な価値があり、そして純血主義を尊ぶ我が国において彼らのような混血の音楽が演奏されることには深い意義がある。
これは天地神妙に誓ってdisではありませんが、the hatchは国内においてセールスする音楽ではないかもしれません。
オーヴァーグラウンダーになって『徹子の部屋』とかに出演するバンドにはならないかもしれません(観たいけど・笑)。
だけども期待せずにはいられないのです。
この異形の怪物が世界を席巻するその瞬間を、僕は目撃したいのです。
話は変わりますが、この『SEXGAME』のMV撮影は2018年7月末に行われました。
札幌市内から車で小一時間はかかる山の中のスタジオに、10〜30代の人間が20数名、夜中の12時に集まって撮影されました。
どんだけみんなthe hatch好きよって話です。
僕も朝8時から夜8時まで仕事したあと、4時間運転して現場に急行しました。
どんだけ俺the hatch好きよって話です。
男子たちはみんな快く全裸になりました。キモい言い回しでいうと生まれたままの姿になりました。
あれほどまでに『友情』を感じた夜はなかったですね。
銭湯以外であれだけたくさんのチンポを見る機会は、乱行AVの名シリーズ『バコバコバスツアー』に出演しない限りもう無いでしょう。
撮影明けにスタジオの屋上から見た白みゆく空と、霧で潤む山中の空気、むせかえるような土と木の香りを僕は生涯忘れないでしょう。
僕の人生でおそらく、三番目か四番目に美しい夜でした。
二曲めはNOT WONKで『Your Name』。
友達って言うのもちょっと気が引けてしまうぐらい、フツーにヨユーで単なるファンだし、彼らのことは完全にロックスターを見るような目つきで見てしまっているのですが、えーい、図々しくも友達と言い張ってしまおう。
こないだ加藤くんとお寿司食べに行ったし、フジくんには『りきまる君を思ってベース弾きました』って言われたし、アキムくんとはジャズの話いっぱいしたし!
友達だもん! 友達なんだもん! 違うもん! アユミはエッチな子じゃないもん!
はじめは『海外のインディ・バンドみたいな垢抜けたセンスを持った、ものすごく素晴らしいパンクバンド』という認識だったんですが、『Of Reality』以降の、ソウル・ミュージックのエッセンスを獲得したNOT WONKはもうそんな枠に入りきるような代物ではなく、軽く世界レヴェルに到達していると思いますね。
シアー・マグとかアラバマ・シェイクスとかあーゆーラインと余裕でタメ張ってます。
てゆーか僕はシアー・マグとかアラバマ・シェイクスよりNOT WONKのほうが好きです。iTunesの再生回数を比較したら一目瞭然ですよ。
彼らのエモもパンクもガレージもハードコアもオールディーズもUKジャズもソウルミュージックもまとめて面倒見る懐の深いサウンドときたら、まるで地元の頼りがいある先輩のようです(は?)。
コンビニで原付の鍵をメットインに入れたまま閉めちゃって途方に暮れてたら、『なした〜?』つってヘラヘラ笑いながら現れて2秒で開けてくれる先輩みたいな感じです(は??)。
いやなんかね、NOT WONKってやさしいんですよ。
人間性がっていうより(もちろん彼らはグッド・ハートの持ち主ですが)、そのアティチュードがやさしいんです。
ときにロックバンドが醸し出す“やさしさ”って、もうなんか宗教の領域まで到達しちゃってたりして、そこまで行くと逆に素直にノレなかったりするんですけど、NOT WONKのやさしさは、あったかさと何気なさがあって凄く好きですね。
加藤くんは電柱に絡みついたまま半分意識失ってるような酔っ払いに、『そこ危ないですよ。轢かれちゃいますよ』とか声かけて、お水あげたりすんですよね。それ見てて『いい音楽を作る人はじぶんと作品に嘘つかないんだなぁ』ってしみじみ思いました。
この最新シングル『Your Name』でもさらなる更新を見せ、最新こそが最高であることを見せつけてくれた彼らの明日はどっちだ!!
ちなみにこのイントロがジョニー・マティスの『オープン・ファイア』からの超センスいい引用だってことはそろそろいい加減誰か指摘してもいいと思うぞ!!
三曲めは、爆弾ジョニーで『P.P.P(Power to the Party People)』。
彼らとは一時期、いっしょに色々やってましたね。
なんせwikipediaに共同制作者としてクレジットされてるしね。
歌詞書いたり、アルバム購入特典のドラマCDの脚本書いたり、FC会報に寄稿したり、ライヴハウスのフリーペーパーに紹介文書いたり、音楽ニュースサイトにアルバムのレヴュー書いたり、全部嘘のバイオグラフィー書いたり(一部がwikipediaに掲載されてます)、ステージ上げてもらってフリースタイルでラップしたり、まぁまぁ色々やらせて頂きました。
歌詞書いたのはドラマCDのボートラ的なのも含めて四曲だけですけど、『キミハキミドリ』はお陰様でライヴ定番ナンバーとなっておりますし、『アッチ向いて⭐︎恋っ!』は三戸なつめちゃんに歌詞を絶賛していただきましたし、本当に良い経験をさせていただきました。
一番思い出深いのは彼らが『ピンポン』のOPテーマに抜擢された際に、そのキャッチコピーを書いたんですけど、その販促ポスターに湯浅政明監督が描いた『ペコ』のイラストの下にそのコピーが使われたことですね。
僕は『ピンポン』に影響されて中学時代に卓球部に入って人生が狂ったタイプの人間なんで、あれほど嬉しかったことなかったですね。間接的な形ではあるけれど、自分の人生を変えた作品に携われたというのは本当に誇りであります。
人生は何だって起き得るんですね。『人生は何でも起きる』と信じている限り。
で、上記リンクはそのOPテーマ『唯一人』のシングル盤に収録された曲です。
まだ『パリピ』って言葉が生まれる前ですよ。
『ジョン・レノン 僕より才能あるけど僕の方がチンチンでっかーい』ですよ。
『トゥー・ヴァージンズ』のジャケを見る限りでは、俺よりジョン・レノンの方がチンチンでっかいですけどね。でも仮性包茎っていう意味では完全にマイメンです。
俺はつくづく作詞家としての才能に溢れているなぁと本気で思いますね。
さて自分語りを延々と垂れ流したのちに突如として爆弾ジョニーとの出会いについてお話ししようと思います。
もう10年も前のことなんでなにぶん記憶が定かではないんですが、あれはおそらく2010年7月10日(土曜日:晴れ)のことでしたかねぇ……かなり定かじゃねえかよ。めちゃくちゃ定かじゃねえかよ。
『きのう何食べた?』って聞かれても『たぶんアスパラは食べてないと思う』ぐらいのざっくりとした回答しか出来ない貧弱な記憶力のクセして昔のコトだけはよく覚えてるんだネ! 感心感心!
で、まぁこの日、爆弾ジョニーと対バンだったんですね。
カウンターアクションってライヴハウスに出たとき、楽屋のドアをパッと開けたらりょーめー君が立ってて、『誰だよ!』って初対面で言われたのが出会いですね。THE WHOですよ。
年上に向かっていきなり『誰だよ!』とは無礼千万なやつだなぁ、と思ったのですが、冷静に考えてみるとそんとき僕ドイツ将校の軍服と軍帽とブーツ履いてガスマスク付けてたんで、そりゃ『誰だよ!』って感じですよね。事と場合によっちゃポリス沙汰ですよ。職務クエスチョンまっしぐらですよ。
そんであとで『あの高校生は誰だね?』と尋ねたところ、『爆弾ジョニーっていう物凄いバンドのやつだ。あいつは天才だよ』との回答を得まして、どれどれってライヴ観てみたらもう本当に凄かったですね。
りょーめーくんが人生で初めて作ったという『ぶるーじー』って曲をやってたんですけど、甲本ヒロト氏が高校時代に初めて作ったという『ジャンピン・ジャップ・337』って楽曲を聴いたときと同じ衝撃を受けました。
歌詞もメロディーも強烈な記名性があって、すでに完成されていたんです。これは実は日本語のロックではかなり珍しいことなんですが、言葉とメロディーが一体化していたんです。
これは本当にすごいと思いました。
初めて観たときから今に至るまで、ああ、本当に素晴らしいな。と思うのはりょーめーくんの歌ですね。
フロイドと同じくコカイン中毒だった学者の折口信夫が『歌っていうのは自分の心を相手にくっつける事なんだ』って言ってますけど、そのくっつける力が本当に凄まじいんです。ある種のブルーズマンとかソウルシンガー的な先天的な資質が彼には備わっています。
とまれ、紆余曲折を経て現在も精力的に活動されており、アイデアもユーモアもあり、まだまだやりたい事だらけであろう彼らをこれからも『すっげー』とか言って傍観していきたいと思います。
りょーめー、キョースケ、そして昨日の記事で紹介した声児がやってる『サムライマンズグルーヴ』も期待大です。いま若者の間で流行してる言葉でいうところの人気赤丸急上昇中です。経験値上昇中です。
去年二回ライヴ観たんですけど、かなりカッコよかったです。注目!
(P.S 真心ブラザーズのDVD誰か持ってたら返してください。)
四曲めは、本棚のモヨコで『これからのてんかい』。
ヴォーカルの森くんとはかれこれ十年来の付き合いになる。
2009年12月11日、19歳だった僕は友人に誘われて、あるライヴイベントに出かけた。『せまいイベント』という、練習スタジオ内でライヴをする企画で、それまでライヴハウスなんて入ったことすらなかった僕にとって、それは初めてのライヴ体験だった。
そこで僕は文字通り、人生を大きく変えるふたつの大きな出会いを果たした。
ひとつは粟野くんとの出会いだ。
彼はこの日、『悪童とはロマンを追求する事に人生を捧げたバカ者である』というバンドで出演することになっていたが、彼以外のメンバーは全員会場に現れなかった。
彼はギブソンのSGを抱きかかえたままマイクに向かって『えーっと、メンバーが誰一人として来なかったので、解散します。なので今日は代わりに、僕が好きな曲を流そうと思います。』といって、ラジカセで面影ラッキーホールの『車椅子になっても』を流し始めた。
こんな凄いヤツが世の中にいるのか。と僕は傷つくように感動していた。
そしてこの日の打ち上げで僕と友人は粟野くんと意気投合し、一緒にバンドをやることになる。
もしこのときバンドをやらなかったら、この十年で出会ってきたほとんど全ての人に僕は出会うことはなかっただろう。
ドラムを叩くことも、ラップをすることも、小説を書くこともなかっただろう。
粟野くんとはこのあと4年間活動を共にし、別段喧嘩をしたとかでもなく、ごくごく自然に、離別した。
連絡先は一応知っているけれど、とくに何を話したいとも思わない。
ただ言い切れるのは、人生にはそうしたミッシングパーソンがいるのが当たり前であり、豊かなのだということである。
かつての相棒として、彼の安寧と幸福を心より祈っている。
それからふたつめは、森くんとの出会いだ。
当時森くんは『8BEAT TREATMENT』というバンドをやっていた。髪の毛は今よりずっと長くて、もしゃもしゃだった。
8BEAT TREATMENTはひねくれた文化系のロック・バンドという感じで、当時流行っていた毛皮のマリーズみたいに暴力的にもなれず、かといってポップに振り切ることもできずに、煩悶しているようだった。少なくとも僕にはそう見えた。
森くんは襟ぐりを切った『もののけ姫』の黒いTシャツを着て、バスドラムの上に立ち、天井を掻きむしって目ん玉をひん剥きながら、『恋は正義』という曲を歌っていた。
その瞬間、僕は直感した。
きっと僕はこのひとと友だちになるだろう。という直感だ。
それは直感でありながらほとんど確信だった。
一言も言葉を交わさないままに、ただ、何かをひらめくように分かったのである。
そしてその直感は真実になった。
僕はこの霊的ともいえる直感を人生で三度、経験している。
ひとりはさっきの友人で、もうひとりは古本屋の店員で、そしてもうひとりが森くんだ。
その日の打ち上げではろくに話さなかったが、帰り際に僕が忘れたニット帽をわざわざ届けてくれたことをよく覚えている。
年が明けて、2月頃だったと思うのだが、8BEAT TREATMENTのライヴをベッシー・ホールに観に行った。結果的にそれが8BEAT TREATMENTのラスト・ライヴになった。
3月には対バンをした。僕は『マガジンズ』というバンドで活動を始めていた。奇しくも『せまいイベント』の第二弾だった。たぶんこれが本棚のモヨコの初ライヴだったんじゃないかと思う。今野くんがギターを弾いて、そうしろう君がカホンを叩いていたはずだ。
このとき初めて森くんとちゃんと喋ったけれど、もう今とほとんど変わらないテンションでお互い喋っていたと思う。僕らは隅っこで、早口で、ニヤニヤしながら高橋留美子の話を延々と続けた。
それから僕らはよく会って遊ぶようになり、カウンターアクション前の『欽ちゃん』という居酒屋ではホルモンを食べながら、売れてるバンドの悪口をたくさん言った。
ほいでメンバーが2名加わり、バンドサウンドとして本格始動した本棚のモヨコと僕らはよく対バンした。その音楽は相変わらずひねくれてはいたけれど、でもすごくポップで、キラキラしていた。
マガジンズのラスト・ライヴも、後続バンドの『アバコ』のラスト・ライヴもモヨコと対バンだった。
森くんは新譜が出来るたびに僕に聴かせてくれたし、僕も新譜が出来るたびに森くんに聴かせた。狭いサークル内でクリエイターがお互いの作品を賞賛し合うのを『駄サイクル』なんて言うそうだが(聞いたこともないが)、もちろん僕らはこれに当てはまらない。
僕らはとても若く野心に満ち溢れ、そして確実に才能があったからだ。
僕がバンドを辞めて小説を書き始めたときも、『一次選考通った!』だの『最終選考まで行った!』だのの報告は真っ先に森くんにしていた。一昨年、僕がついに賞を取ったときには、森くんはとても喜んでくれた。
去年の春、森くんが一冊の本を送ってきてくれた。それは『本棚のモヨコ 歌詞集』と銘打ちながらも写真やイラストが添えられ、メンバーによるロング・インタビューまでついた豪華ムック本ともいえる書籍だった。これはおそらく、ずっと森くんが握りしめていた夢のひとつなのだろうと思った。
多くの人間が誤解しているが、夢は叶う。東京ドームでライヴがしたいというのは夢じゃない。バンドで食べていきたいというのも夢じゃない。バンドをやりたいというのが夢だ。
『人の本棚を見るのが好きだ』とかつて語っていた森くんは、人の本棚に収められるような一冊を、信頼できる仲間たちとついに作り上げたのだなと思った。
それから程なく、活動休止の連絡があった。
僕は引き留めもしなかったし、別段寂しがったりもしなかった。
ただ残念だと思った。
残念だとは思ったが、原理的に言って解散しないバンドなんて一つもない。どんなバンドもいつかは終わる。
彼らの最後のライヴを僕は見損ねた。だが、そのことについては何も言う気はないし、なるべく考えないようにしている。
最近読んだ本に『間に合わなかったことに間に合う喜びはダメだ』と書いてあった。間に合うということは快楽であり、間に合わなかったことの残骸を見つめながら、ああ間に合わなかった。と思うことはつまり、間に合わなかったことに間に合っているということだ。
『自分は生まれる時代を間違えた。XX年前に生まれていればXXもXXもリアルタイムで体験できたのに』なんて戯言を嬉しそうに最新機種のスマホでSNSに書き込むという行為が、具体的な良い例だろう。
『もう少し早くXXをしていれば』とか『あのときこうしていればこうはならなかったのに』という悔恨は『嬉しい』のである、と。そんなモンに淫してしまったら反省しろ、と本には書いてあった。
だからその自虐的なナルシシズムに満ちた快楽に、僕は浸らない。
現在に立脚し、視野を未来に置きたい。
森くんには何か新しいことをやって欲しいと切に願う。なぜなら彼は友達であり、彼のつくるものが僕はとても好きだからだ。
五曲めは、中華一番で『Big Hip Girl』。
最後は本物の天才集団・中華一番です。
これほど友情パワー感じる動画ないですよ。
落ち込んだときとかたまに観ちゃうもんこれ。
で、『友達って最高だな…』って思っちゃうもん。
文部省に推薦されても全くおかしくない、青年たちの爽やかな友情が生き生きとここに描かれてますよ。
天才監督・及川くんのカメラワークも絶品だし。
今んとこ僕が死んだときに流れる走馬灯の8割はこれが占める予定ですね。
1:22〜で炸裂するパンティーモンブランのシャウト、1:36〜からのゴエモンのコーラス、1:38〜の本気汁の屈託のない爆笑の流れ、もうなんか観てて泣けてきますねマジで。
美しすぎて。
全員が全員友達を好きで好きでたまらないって感じだもん。
客席もよく見たら大好きな友達だらけだし。
『俺ら観てるヤツら嫉妬しかないと思うわマジで。だってこんなかっけぇ集団が圧倒的な友情見せつけてたら嫉妬しかないでしょ』という本気汁の言葉は100パー正しいと思うし、
『俺らが極めたのは音楽じゃねぇ。俺らが極めたのは、俺ら』というMC死後硬直の言葉は10000000000パーセント正しい。
こーゆーこと一生できたらなー。
いや、一生やります。
一生続けます。
意味も理由も答えじゃない!
ひたすらワケわかんないことやって笑い合いたいのさ!
一つでも多くドアを開けるのだ!
というワケでいかがでしたでしょうか、山塚りきまるの『なんかメロウなやつ聴きたい』第五十回 友達特集、そろそろお別れのお時間となりました。まだまだまだまだ素晴らしき才能を持った友人はたっくさんいるのですが、それはまた次の機会にご紹介させていただきます。次回もよろしくお願いします。
愛してるぜベイベー!!!!!!!!!!!!!!
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