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山塚りきまるの『なんかメロウなやつ聴きたい』第三十六回 年末年始はこの映画を観ろ!!特集 (ちょっと変わった恋愛映画編)


はいどうも!!!!!!

俺です!!!!!!!

俺だよ俺!!!!!!!!!

みのりかわのりおだよ!!!!!!!!!!

誰だよ!!!!!!!???(みのもんたの本名です)

突然ですが(急だな〜)皆さん恋愛映画はお好きですか?

僕は結構好きですね。さしたる恋愛経験もない99%童貞のくせして、恋愛映画を観ると胸がキュンキュンしてしまいますね。

姉がふたりいて、幼少期は少女漫画漬けだったという過去がそういう嗜好を作ったのだと思うのですが。

まぁ実質の経験と、創作物への嗜好なんて違ってて当たり前なんですけどね。アクション映画が好きな人に『へーじゃあ暴力振るうの好きなんだ!』とか誰も言わないでしょ?

今回は、そんな恋愛映画大好きっ子のワタシが皆様にオススメの恋愛映画を紹介したく馳せ参じた次第でございます。

というワケで、山塚りきまるの『なんかメロウなやつ聴きたい』第三十六回は、“年末年始はこの映画を観ろ!!特集 (ちょっと変わった恋愛映画編)”と題して、皆さんにちょっと変わった恋愛映画をご紹介したいと思います。みんな、ついてきてね!



一本めはこちら、『あの夏、いちばん静かな海。』。

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耳が聞こえないゴミ収集業者の青年・シゲルがある日、先端の欠けたサーフボードが捨てられているのを見つけて持ち帰る。茂はそのボードを発泡スチロールで修復し、おなじく耳が聞こえない恋人・タカコを誘って海に出かける。シゲルはサーフィンにのめり込み、みるみるうちに上達していく。初めはシゲルをバカにしていた地元のサーファーたちも次第にシゲルを認めるようになる。そしてついにシゲルはサーフィン大会に挑むが……。

タイトル通り、とても静かな恋愛映画です。何しろ主人公とヒロインが聾唖者であり、ひとことも言葉を発さないのです。声をあげて泣くことも怒鳴ることもない。脇役たちの台詞もほとんどありません。

抑制の効いた演技、削ぎ落とされた台詞、“役者の顔を決してアップで撮らない”という醒めたカメラワーク、『キタノブルー』の原点である青みがかった映像美が、この映画の『静けさ』に拍車をかけています。そして雄弁かつ饒舌な久石譲の音楽がその静謐な映像にぴったりとマッチし、『語らない映画監督』『語りまくる映画音楽』という見事なマリアージュを見せています。この後、北野武と久石譲のタッグは2002年の『Dolls』(これもまた非常に変わった恋愛映画です)まで続くこととなります。

あらすじだけ見るといわゆる『泣ける恋愛映画』に思えますが、この映画はいたずらに観客を号泣の渦に巻き込むようなことはしません。心の奥底の入り組んだ部分に小石を投げ込むような、違和感にも似た奇妙な余韻を残す映画です。シャイで照れ屋だが筋金入りのロマンティストでもある北野武の本懐が存分に発揮されています。

邦画史に残る名作であり、恋愛映画史に残る異色作。『一生にいちど、こんな夏が来る』も素晴らしいコピーだと思います。



二本めはこちら、『モンスター 変身する美女』。

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母親をガンで亡くした青年・エヴァンが、傷心旅行のために出かけたイタリアで謎めいた美女・ルイーズに出会う。農場で働き始めたエヴァンはルイーズとデートを繰り返し、ついに結ばれることとなるが、ルイーズはなんと2000年以上生き続ける不死のモンスターで……。

この映画、とにかくジャケットが残念すぎます。『B級ホラー映画』にしか見えない安っぽすぎるコピーや邦題で損してると思いますね。低予算ながらも美術や特殊効果は決して手を抜いていないし、何より映像が本当に美しく、夜の湖畔やイタリアの街並みには思わず魅入られてしまいます。脚本もよくできているし、とにかく全然B級じゃない。

この映画の最大の魅力は会話です。エヴァンとルイーズが交わす会話は知的かつユーモアに溢れていて、

『君は痩せすぎだ。もう少し太った方がいい』とエヴァンが言えば、『16世紀なら私は太りすぎよ』とルイーズは返し、

『タバコをやめて。あなたには長生きしてほしいの』とルイーズが言えば、『じゃあ君は不死をやめてくれ』とエヴァンが返す。

まさに軽妙洒脱、当意即妙。

美しいイタリアの街並みの中で、恋愛論から死生観まであらゆるテーマを語るふたりの会話は知的興奮に満ちていて、ロマンチックでもあります。

『沙耶の唄』や『最終兵器彼女』、『火の鳥 復活篇』や『シェイプ・オブ・ザ・ウォーター』や『her 世界でひとつの彼女』など、“人ならざるものとの切ない恋愛モノ”が大好物だという御仁にも全速でオススメしたい映画でございます。恋愛映画とホラー映画のハイブリッドでこれ以上のものはなかなかないんじゃないか? という傑作ですね。



三本めはこちら、『いつも2人で』。

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オードリー・ヘップバーン後期の代表作のひとつ。1954年から1966年までのある夫婦の12年間の軌跡を、6つの時間軸を交錯させながら描いた映画。

その6つの時間軸はすべて“ロンドンから地中海へと抜けるその道中”であり、つまりおなじロケーション下で二人の関係性の変化を描いているという、1967年の映画であることを考えるとかなり“攻めた”内容の作品になっています。

ふつう恋愛映画というジャンルは、あるふたりが運命的な出会いを果たしてなんやかんやの末に結ばれてメデタシメデタシ。というのが一般的な話のスジですが、この映画は違います。ロマンスに満ちた幸せの絶頂から、互いへの愛情を失った倦怠期まで、“そのあと”もリアルに描いています。

映画は倦怠期真っ盛りの1966年からスタートするんで、“こんなに仲悪いふたりがどうやって結婚したんだ?”と引き込まれますし、仲睦まじき1959年の場面を観ると“どうしてあんなに仲悪くなっちゃったんだ?”という疑問が生まれ、“じゃ、このあとふたりは一体どうなっちゃうんだ?”とますます目が離せなくなります。

つまり謎解きの要素を孕んでいるんですね。

時間軸がバラされていることによって『あ、あの人とはここで知り合ってたのね』というふうに人間関係の全容が徐々に明らかになっていったり、とにかくめちゃくちゃ完成度の高い脚本です。

またこの映画はオードリー・ヘップバーンのファッションも語り草になっていて、二時間足らずの本編でオードリーはなんと30着のコスチュームを身にまといます。しかもそれぞれの年代の流行を反映しながら、作中での経済状況ともリンクしているという手の込みよう。

スタイリングを担当したのは、フラワープリントのスーツを作り、世界で初めてサイケデリックの要素をファッションに持ち込んだといわれる有名デザイナーのケン・スコットと、元『ヴォーグ』編集者の女帝クレア・レンドルジャム。オードリーの私物から、ジバンシィにディオールにヴィトン(公開当時、ヴィトンはまだ日本に輸入されていませんでした)といったハイブランドまで実に多彩で、しかもどの服もめちゃくちゃカワイイ。オードリーが唯一水着姿を披露した映画であり、初めてジーンズスタイルを披露した映画でもあります。

サスペンス好きにもファッションクラスタにも勧められる、細部までこだわり抜かれた異色の恋愛映画です。ぜひ観てみてください。



四本めはこちら、『ミスター・ノーバディ』。

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2092年、科学の進歩によってついに人類は永遠の生命を得た。そんな中、118歳の主人公・ニモは世界でただひとり、「限りある命」を持つ人間だった。死を目前にした彼の生涯を知るべく、メディアは催眠療法を扱う医師や若きジャーナリストを派遣し、誰も知らない彼の過去を探ってゆく。しかし彼が語る過去はひとつの筋道ではなく、なんと12通りにも分岐し、その全てが紛れもない真実であった……。

誰もが一度は思ったことがあるであろう、『あのときああしてれば良かったなぁ』、『あのときこうしてたらどうなったんだろう?』という考え。

たとえばAとBという選択肢があって、Aを選んだ場合、Bを選んでいたら果たしてどうなっていたかその解答は知るよしもないのだけれど、この映画は違う。なんとAもBも同時に描くのである。そしてAを選んだ先でさらに分岐するC、Dというルート、Bを選んだ先でさらに分岐するE、Fというルートさえも同時に描き出し、最終的にはなんと12通りのルートが同時進行する。

通常、映画というのはひとつのラストに向かってどんどん収束していくものだけれどこの映画は逆で、どんどん枝分かれしていくんですね。

この映画はいわゆる量子力学を根幹に置いた作品で、『量子力学とは何ぞや?』という御仁にすげえ簡単に説明するとですな、まず原子ってあるじゃないですか。原子ってあるじゃないですか、って物言いすげえな(笑)。

原子っていうのは原子よりさらに小さい粒子である“電子”が集まったものです。電子は『粒』であると同時に『波』でもあります。つまり、同じ1つの電子はあらゆる場所に同時に存在します。

粒子はただひとつの経路を辿るワケではなく、全ての経路を同時に取り得ます。全ての状態が重ね合わせたまま同時に存在しています。

これが量子力学の基礎的な考え方です。

このミクロの現象をマクロのレヴェルまで拡大解釈するならば、いまこのnoteを読んでいるアナタも、音楽を聴きながら散歩しているアナタも、鳥貴族でレモンサワー飲みまくってベロベロになってるアナタも同時に存在することになります。

ただ、観測者であるアナタが“いま俺はこのnoteを読んでるんだ”って思い込んでいるから、“いまこのnoteを読んでいる”というひとつの現実に収束しているだけのことです。

つまりそれは混沌の世界を確率論の枠組みでランダムに揺らいでいるだけ、と言えなくもないんですが、もしも本当に全てが確率でしかないならば、幸も不幸も存在しないハズです。だって全部確率なんだから。

人生は選択の連続です。ある研究によれば人間は一日に35,000回、2秒につき1回の決断をしているそうです。その選択の意味に気づけるのは、いつだって自分だけです。すべてに意味があんのね。

長々と小難しい話を書きましたが、そーゆー科学知識が皆無でもこの映画はめちゃくちゃ面白いです。幻想的な映像も美しいし、あらゆるタイムラインで描かれる恋愛模様はいずれも胸を締め付けるようなロマンティークに満ちていますし、何より前向きな気持ちにさせてくれる映画です。

まさに次元の違う、五次元の恋愛映画をぜひ経験してみてください。



というワケでいかがでしたでしょうか、山塚りきまるの『なんかメロウなやつ聴きたい』第三十六回 年末年始はこの映画を観ろ!!特集 (ちょっと変わった恋愛映画編)、そろそろお別れのお時間となりました。次もぜってぇ読んでくれよな!! 愛してるぜベイベー!!!! 夢中さ、きみに!!!!!

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