山塚りきまるの『なんかメロウなやつ聴きたい』第四十三回 MI/CHI/KO きみはニュー・ウェイヴ
みち子さんは、その古風な名前を気に入っているようだった。担任の高山先生が出欠を取るときに『須田みち子さん。』と呼ぶと、みち子さんはいつも、背筋と右腕をぴんと伸ばしながら『ハイッ。』と鈴を転がしたような声で返事をしていた。そして高山先生が『須田さんはいつも元気がいいわね。』と言うと、『あたし、それしか取り柄がないので。』と言いながら屈託のない笑みを見せるのだった。
みち子さんは春の終わりに札幌の高校から転校してきた。みち子さんは校則で禁止されているピアスをオカッパ頭ーーこのころ、ボブカットという言葉はまだなかったーーで上手に隠していた。そのことに気づいていたのは教師を含む学内のすべての人間の中で僕だけだったろう。みち子さんの席は窓際の前から五列目の席で、僕の席はその斜め後ろだった。たしか古文の時間だったか、みち子さんが大きなあくびをして髪を掻きあげたときに、その右耳にキラリと光る青いピアスを発見したのだ。それは本当に一瞬の出来事だったが、僕は胸を打たれたように感動していた。真っ白な首筋も、小さな耳たぶに開けられた大きめのピアスも、本当にきれいだった。
みち子さんはいつもひとりでいた。でもみち子さんはまるでそんなことなど気にしていない様子で、休み時間になるといつもイヤホンで音楽を聴いていた。みち子さんは当時の最新機種だったウォークマンのF5モデル(色はイエローだった)を使っていて、音量はいつでもフルヴォリュームだった。だからいつもみち子さんの周囲にはシャカシャカと音が漏れ出していた。
僕はいちど、窓を開けるふりをしてみち子さんの席に近づき、耳をそば立てて何を聴いているのか確認したことがある。太鼓を盲滅法叩いているようなエセ・トライバルなリズムと、首を絞められた七面鳥のような歌声がかすかに聴こえたので、僕はそれがパブリック・イメージ・リミテッドの『フラワーズ・オブ・ロマンス』だとわかった。あの口汚いジョン・ライドンがかつての友人、シド・ヴィシャスに捧げた唯一の鎮魂歌。みち子さんは眉毛をハの字にして、『困っちゃったなぁ』とでもいうような顔でそれを聴いていた。
机の上をはたと見ると、ファイル式の下敷きが置かれていて、おそらく『宝島』から切り抜いてきたであろうYMOやP-MODELやプラスティックスや戸川純といったミュージシャンの写真がびっしりとコラージュされていた。
それから僕は、みち子さんのことが好きになった。
だけど、自分から声をかけたりはしなかった。
妄想はいくらでもした。みち子さんの机の上に手を置いて、もういっぽうの手をじぶんの腰に当てて、そりゃあもうサワヤカに、へーゼンと、
『須田さん、プラスティックス好きなんだ。僕も大好きなんだ。“TRA”買ってる? 立花ハジメの“H”ってホントにすごいよね。ニューヨークのパンク・ジャズ・シーンに対する日本からの回答だよ』
とか、
『こないだの“夜ヒット”観た? 戸川純出たやつ。僕ビデオに録って何回も観てるんだよ。よかったらダビングしてあげようか、ベータだけど』
とか、話しかける妄想。でも妄想のまま終わった。あの頃の僕は、みち子さんに嫌われたくなかったのだ。みち子さんに嫌われるぐらいならただのクラスメイトのままでいた方がいいと思っていた。要するに傷つきたくなかったのだ。いつだったか、『傷つきたくないという理由だけで行動しない人間は、死んでいるのと同じだ』と銀座でカメラマンをやっていた先輩が言っていた。まったくその通りだと思う。その先輩はアフガンで死んだ。
それからしばらくして、夏休みになったときだ。僕は浅草の名画座のロビーに座っていた。クレージーキャッツの回顧上映をオールナイトでやるというので観に来たのだった。ドリフターズは大好きだったし、『俺たちひょうきん族』も毎週観ていたけれど、クレージーキャッツは別格だった。クレージーはなんと言うか、粋に感じたのだ。ジャイビーアイビーの細いスーツを着て、卓越した歌唱力や演奏技術を持ちながら、コントもやっているという彼らの洒脱なセンスに僕は心底しびれていた。『チョイ悪』などという醜悪で薄っぺらい言葉では表現できないぐらい、彼らはスマートかつスタイリッシュだった。僕はスプリングが剥き出しになった古いソファに座ってコカ・コーラを飲みながら、クレージー直撃世代であろう中年男性や、キネマ旬報を小脇に抱えた無精髭の映画ファンたちがタバコをふかす煙たいロビーで、上映開始時間を待っていた。
そのとき、誰かが僕に声をかけた。
『よっ』
顔を上げると、そこにはみち子さんが立っていた。みち子さんはレトロな矢絣模様の浴衣を着て、雪駄を履き、目尻に赤いアイシャドーを入れていた。みち子さんはビー玉みたいに透けた瞳を僕に向けて、両手でピースサインを作ると笑顔で言った。
『いえーい』
驚きのあまり、僕が口も利けずにいると、みち子さんは髪を掻きあげながら言った。
『確かおんなじクラスだよね。こんなところでガッコーのヒトに会うなんて思わなかったな。えっと……ソガくん、だっけ』
浅草の名画座でみち子さんと遭遇したというだけでも驚きなのに、なんとみち子さんは僕の名前を覚えていたのだ。もう何がなんだかよく分からなくなった僕は、しどろもどろになりながらも頷いた。
『えっ、ああ、ウン』
『となり、座ってもいい?』
『あ、うん、い、いいよ』
僕が端にずずずいっと詰めると、みち子さんは僕の隣にストンと腰を下ろして深く息をついた。香水を振っているのだろうか、みち子さんは柑橘系の良い匂いがした。
『あー疲れたぁ。浅草なんて滅多に来ないから気合い入れて浴衣着てみたんだけど、疲れるね、キモノって』
『な、なんでこんなところにいるの?』
緊張のあまり僕がマヌケな質問をすると、みち子さんは呆れたように肩をすくめた。
『なんでって、クレージーキャッツ観に来たに決まってんじゃん。キミもそうでしょ?』
『そ、そ、そうだけど……須田さんってクレージーキャッツ好きなの?』
『須田じゃなくてみち子って呼んで。みち子って名前、気に入ってんの』
僕はゴクリと唾を飲んだ。意中の人をはじめて下の名前で呼ぶときの緊張と高揚といったら、当時まだ童貞であった僕にはあまりに刺激的すぎるものだった。
『……み、みち子さん、クレージーキャッツ、好きなんだ』
『好きだから来てんのー。好きじゃなきゃこんなオールナイトイベント来ないって。当たり前じゃん』
『そ、そっか。そうだよね。ごめん』
僕は反射的に頭を下げた。クレージーキャッツのどこが好きなの? 好きな曲は何? 好きなメンバーは誰? クレージー映画で好きな作品は? いろんな質問が喉元まで出かかったけれど、僕はひとことも何も言えなかった。そんな他愛もない質問する勇気さえなかったのだ。僕が黙りこくっていると、みち子さんは足をぶらぶらさせながら言った。
『ねえ、今日のプログラムの最後のさぁ、“クレージー黄金作戦”ってどんな映画? あたし、それだけ観たことないんだよね。なんかすっごい駄作だって聞いたけど』
『だ、駄作なんかじゃないよ!』
数あるクレージー映画の中でも僕がいちばん大好きな作品を駄作呼ばわりされて、僕は思わず声を張り上げた。
『クレージー黄金作戦は、日本映画史上初めてアメリカ本土でロケが敢行された映画なんだよ。ラスベガスのメイン・ストリート……ラスベガス・ブルーバードをたった18秒だけ封鎖してね、ミュージカル・シーンを撮影したんだ。もちろんワンテイクでね。この奇跡的な、魔法みたいな18秒間のためだけにこの映画を観る価値は十分あるよ。ぜんぜん駄作なんかじゃない。最高の映画だよ』
僕が早口でまくし立てると、みち子さんは目を丸くしてポカンとした表情でこちらを見ていた。僕は急に恥ずかしくなって、身体を縮こまらせた。
『あ、ご、ごめん……と、とにかく、お、面白い映画、だと思うよ……』
しかし、みち子さんは嫌悪をあらわにするでもなく、ぷっと吹き出すと、足をばたつかせながら子供みたいにケラケラ笑った。
『あはは、ソガくんって面白いねぇ。そんなしゃべるヒトだと思わなかったよ』
そしてみち子さんはひとしきり笑ったのちに、髪を掻きあげながら僕に尋ねた。
『ソガくんは、きょうひとりで来たの?』
『そ、そうだけど』
『おんなじー。あたしもひとりなんだ』
『そ、そうなんだ』
『じゃ良かったらさ、一緒に観ない? ポップコーンも半分こできるしさ』
『……え』
『実はこないださー、ひとりで映画館来たら、他の席も空いてるのに真隣におじさん座って来てさー。それであたしの手握ろうとしてきてさ。すぐ映画館飛び出して逃げたんだけど。それからひとりで映画観るのなんかちょっと怖いんだよー』
『そ……それは……気の毒だったね……』
『ソガくん、あたしと映画観るの、ヤ? 映画はひとりで観たい派?』
みち子さんは僕にずいっと身体を寄せると、空気に頭をもたせかけるみたいにわずかに首を傾げて尋ねた。僕は心のうちで喝采していた。何千何万という僕が拳を振り上げて狂喜乱舞し、その頭上を上半身裸の僕が泣きながら人差し指を掲げてダイヴしていた。僕は心臓をバクバク鳴らしながらも必死に平静を装って答えた。
『うううううううん、いいいいいいいいよ。いいいい一緒に観よう』
『やたっ。決まりね』
みち子さんが両手を打ち鳴らして嬉しそうに声を上げたとき、上映開始を知らせるベルが鳴った。みち子さんは『あ』と残念そうに声を上げた。
『しまった。ポップコーンを買いそびれてしまった』
『よ、よかったら、ぼ、僕、ダッシュで買ってくるよ。みち子さん、先に座っててよ』
『ううん、いいよ。ポップコーンは次の休憩のときに買おう。それより急いでいい席取らなきゃ』
そしてみち子さんは僕の手をぎゅっと引っ張ると立ち上がって、そのまま劇場へと小走りで向かった。みち子さんの手は柔らかくて、うっすらと汗ばんでいた。僕はすでに、これ以上はないというほどの満足感で胸がいっぱいだった。名画座のくすんだ照明を受けてキラキラと輝くみち子さんの髪を、僕はこの世に存在する何よりも美しいと思いながら見つめていた。
それから僕らは、朝が来るまで、クレージー映画を立て続けに四本観た。『人の幸せとは、好きな人と映画を観ることだ』といういつか本で読んだフレーズが、頭の中でずっとリフレインしていた。それは僕の人生で最も多幸感に満ちた数時間だった。あれから数十年が経った今も時折思い出しては胸を痛めるほどの、美しい夜だった。
明け方、駅で別れるとき、僕はみち子さんに尋ねた。
『み、みち子さんは、テクノって好き?』
『好きだけどー……なんでそんなこと聞くの?』
『あ、いや、ご、ごめん。み、みち子さん、下敷きにP-MODELとかプラスティックスの切り抜きいっぱい挟んでるからさ。ず、ずっと気になってて』
『うわ〜、ソガくんそんなトコまで見てるんだ。ヘンタイだね』
『たっ、たまたまだよ。たまたま目に入っただけ』
『うそうそ、冗談だって。テクノは好きだけど、でも別にテクノしか聴かないってワケじゃないよ。RCも好きだし、町田町蔵も好きだし、デルタ5も、リキッド・リキッドも好きだよ』
『そ、そうなんだ。じゃあ……さぁ、僕、オススメのやつ色々入れたカセット作って、夏休み明けに持って来るよ』
『ほんと? それ、すっごい嬉しい』
『うん。み、みち子さんが絶対気にいるような、さ、サイコーのカセット作るから』
『あはは。期待してるよ〜。んじゃ、またね』
そしてみち子さんは手を振り改札を抜けた。僕はみち子さんが山の手線行きの階段を登るまでずっと、みち子さんの背中を見つめていたが、みち子さんがこちらを振り返ることは、なかった。
僕は家へ帰るとそのままカセット作りに着手した。身体は疲れきっていたけれど、頭は興奮していてとても寝つかれそうになかったからだ。
まずは一曲めは、スーザンの『 I Only Come Out At Night』だ。
高橋幸宏が『テクノポップの歌姫』としてプロデュースした、フランス系アメリカ人の父と日本人の母を持つミックス・ブラッドの歌手、スーザンのセカンド・アルバム(1981年作)の一曲である。ダンサブルなリズムボックスと耽美的なヴォーカル、祭囃子のようなパーカッションが交錯するこの楽曲はすごくカッコいい。
二曲めはやはり、ボロック・ブラザーズの『ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン』だろうか。
パンク好きなら、いやロック好きなら誰でも知っているであろう世紀の大名盤、セックス・ピストルズの『勝手にしやがれ』。これはそのアルバムを全て、曲順も同じままにテクノ・ポップでカヴァーしたという珍盤中の珍盤である。セックス・ピストルズのヴォーカリストのジョニー・ロットンの実の兄弟であるジミー・ライドンを中心に結成されたこのバンドは、トリビュートともパロディともつかない不思議な音楽を展開している。この楽曲でヴォーカルを取っているマイケル・ファガンは、バッキンガム宮殿に二度不法侵入し半年間にわたって精神病院に収監されたという筋金入りのアウトサイダーだ。パブリック・イメージ・リミテッドを知っていても、ボロック・ブラザーズは知らないんじゃないだろうか、という判断でこの選曲と相成った。きっとみち子さんは笑いながら聴いてくれるだろうと思う。
三曲めはトリオで『ダ・ダ・ダ』にした。
ビートルズの『リヴォルバー』のジャケット・デザインで一躍有名になったクラウス・フォアマンがプロデュースした、ドイツのニュー・ウェイヴ・バンドである。その名の通り、ボーカル、ギター、ドラムのトリオ編成で、ピコピコ・シンセが鳴り響くなか、ギターはひたすらワンフレーズを繰り返すのみだし、ドラムもキックとスネアとハイハットしか使わない。即席感と脱力感に満ちたポップ・ミュージックだ。ヨーロッパだけで300万枚を売り上げたという有名な曲だけど、この曲は、ぜったいにカセットに入れたかった。この曲は、なんだかみち子さんみたいだと思っていたからだ。軽やかで、人を喰ったようで、でもとびきり垢抜けていて、ひとを幸せな気分にしてくれる。
四曲めは悩んだ末に、クレイグ・ハンドリー・トリオの『イット・ワズ・ア・ヴェリー・グッド・イヤー』にした。
IQが184あったという天才少年、クレイグ・ハンドリーが同級生らと組んでいたピアノ・トリオだ。録音当時、まだ14歳だったというから凄まじい。ショパンやビートルズ、アントニオ・カルロス・ジョビンまで幅広くカヴァーしているのだけど、そのアレンジのセンスの良さには思わず舌を巻いてしまう。アフター・スクール感というか、少年たちが放課後にスタジオに入って演奏に興じ、なんの屈折も諧謔もなく、ただ音楽の悦びに浸っているような感じがとても美しい。前のめりかつ勢いに満ちた彼らの演奏は、ある種ネオアコ的なきらめきと青春の香りがする。
四曲を選び終えた時点で、もうとっくに昼は過ぎていた。僕は急激に眠気を覚えて、そのままベッドにうつ伏せに倒れこむと、眠り込んだ。僕はそのまま十六時間ぶっ続けで寝た。夢は見なかった。
それから一週間かけて、僕はそのカセットを完成させた。ソニーの54分録音のメタルテープに、テクノやらニュー・ウェイヴやらをたっぷり詰め込んだ。ラベルにアーティスト名と曲名もしっかり書き込み、恥ずかしいことにタイトルまでつけた。そのカセットのタイトルはとてもここでは書けない。僕は完成したカセットをしげしげと眺めながら、夏休み明け、みち子さんにこれを手渡すところを何度も妄想した。みち子さんは果たして喜んでくれるだろうかと、胸をときめかせながら。
しかし、カセットをみち子さんに渡す日は訪れなかった。
みち子さんが亡くなったからだ。
夏休みの終わりぎわ、ひとりで海で泳いでいて溺れたらしい。近くを通りかかった釣船に助けられたものの、肺炎にかかってその二日後に死んだ。
僕は夏休み明けの校長先生のスピーチによってそれを知った。
蒸し暑い体育館の中で、校長先生は『お亡くなりになられた須田みち子さんに黙祷を捧げます。黙祷。』といった。誰も彼もが水を打ったように静まり返る中で、僕は『なんでだよ。』とちいさく呟いた。
あれから数十年が経った今も、あのカセットは僕の手元にある。引っ越すたびに捨ててしまおうかとも思うが、なぜか捨てられない。たまに聴いてみようかなと思うこともあるけど、結局聴かない。ただ、そのまま、ずっと僕の手元にあり続けている。
そのカセットのタイトルはとてもここでは書けない。
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