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山塚りきまるの『なんかメロウなやつ聴きたい』第十四回 レズビアン・ミュージック特集

僕ひとりで経営しているレコード屋『ホモ・サピエンス』ではこのたび深夜営業を始め、今までは二十時に閉店していたのが大幅に伸びて深夜五時までの営業となった。五時を深夜と呼ぶか、早朝と呼ぶかは貴方の暮らしぶり次第。なぜ深夜営業を始めたのかと言うと、僕が不眠症を患ったからだ。僕の不眠症は相当な重症で、デパスも、レンドルミンも、最も強力なベンゾジアゼピン系睡眠薬の一つであるサイレースでさえ何の効果ももたらさなかった。それらをアルコール及び100%グレープフルーツジュースで流し込んでみても結果は同じだった。まるで僕の脳は睡眠そのものを忘却してしまったみたいだった。

睡眠のない生活を三ヶ月ちかく送り、まいにち朝が来るまでまんじりともせずNetflixを眺める生活にもすっかり飽きてしまった僕は、深夜営業を始めることにしたのだ。

ある意味でこれは実験でもあった。真夜中にクラブやDJのいるバーではなくレコード店へ足を運ぶ音楽好きがいるのだろうか、鳥貴族での三次会を終えたのちにレコード店でエサ箱を漁ろうと思う音楽好きがいるのだろうか、僕は純粋に興味があったのだ。

深夜帯に客がやってきたのは、深夜営業を始めて五日目のことだった。深夜三時ちょうどに彼はやってきた。今では入手困難なオッド・フューチャーのキャップを被り、おそらくユニクロのものと思われるXLのグレーのパーカーを着た彼は、迷い込んだ鳩みたいにキョロキョロしながら狭い店内を歩き回っていたが、やがてゴツめのシルバー・リングがいくつもはまった太い指で『シンガーソングライター』コーナーのレコードを物色し始めた。彼はまるでベテランの外科医みたいに手際良く、そして決して傷つけることなくレコードを次々にチェックした。やがて彼の手が止まった。彼は一枚のレコードを抜き出すとそれを両手で持ち、高々と掲げた。彼はしばらくそうしてレコードを見つめていたが、やがて裏返すとやっぱり同じようにそれを高々と掲げた。彼の唇の端がほんの数ミリ上がったかと思うと、彼はそのレコードを小脇に抱えて歩き出し、カウンターの上に置いた。

『視聴しなくていいですか?』

『いっす。あ、いや、一応お願いしよっかな』

『了解です』

僕はレコードを抜き取ると、カウンターの上のターンテーブルにそれを慎重に乗せ、針を落とした。

果たして彼が選んだのは、女性シンガーソングライター、メグ・クリスチャンが1981年にリリースした『チューニング・イット・オーヴァー』であった。リリース元はなんと、あのオリヴィアである。

オリヴィアとはかつてベイエリアに存在したレーベルで、経営陣から所属するミュージシャンに至るまで全員レズビアンの女性のみで構成されているという、ウーマンリブの盛り上がりを背景に設立された、社会運動体としての側面も含んだ伝説的なインディー・レーベルだ。

そんなわけでメグ・クリスチャンは言うまでもなく、バックバンドを務めているミュージシャンたちももちろん全員レズビアンの女性である。

突然だが僕は『女性ならではの繊細さ』や『女性ならではの優しさ』といったフレーズが嫌いである。社会的な女性の理想像を暗に押し付けているようにしか思えないからだ。故・土山しげる氏が『食キング』でこのことを指摘したのはまさに慧眼であったと思う。オリヴィアが真に素晴らしかったのは、長年男性社会から押し付けられてきた『女性像』を打ち破るべく蜂起して共同幻想に戦いを挑んだことではない。二十年間にわたって優れたミュージシャンを世に排出し、優れたレコードをリリースし続けたことだ。素晴らしい音楽があったからこそ、彼女たちのメッセージは強い有効性を帯びた。

僕と彼はしばし黙ったまま、メグ・クリスチャンのレコードに耳を傾けていた。キャロル・キングやニーノ・ロータを思わせる歌声、ゴスペル・フィーリングな作風、ガット・ギターによる芳醇なコードワーク。それはまさにグッド・ミュージックと呼ぶにふさわしい音楽だった。

一曲聴き終えたところで僕が針を上げると、彼は「いいっすね」と言って笑った。僕も「いいですね」と言って笑った。そして彼は「これください」と言った。僕が礼を言い、そのレコードをスリーブ・ケースに仕舞って、袋に入れようとしたとき彼は尋ねた。

「なんでこんな夜中まで店を開けてるんですか?」

「世の中にひとつぐらい、こんな夜中まで開けてるレコード屋があってもいいと思ったからです」

彼はレコードの入った袋を受け取ると、小さく会釈して店を出た。僕は、他にオリヴィア・レコーズの作品が店にあるかどうか探し始めた。捜索の結果、それらは三枚、見つかった。

一枚めは、テレサ・トラルの『THE WAYS A WOMAN CAN BE』だ。

Coke Escovedoの『Make It Sweet』でのヴォーカルも有名なSSW、リンダ・ティレリーがドラマーとプロデュースを担当していて、全体的にフォーキーでリラックスしたナンバーが並んだアルバムだ。オーバーオールにチェックシャツといういでたちのテレサが愛犬を抱いて無邪気に笑うジャケットも素晴らしい。どの楽曲もハートウォーミングで癒されるのだけど、エレクトリック・ピアノが印象的な『セカンド・チャンス』が僕の推し曲である。


二枚めはクリス・ウィリアムソンの『The Changer and the Changed』。

レズビアンの政治活動家としても知られるクリス・ウィリアムソンの1975年の作品で、これはインディー・レーベルから発売されたアルバムの中でも異例の売り上げを記録した。何しろ50万枚以上売れたのだ。これはオリヴィア・レコーズが二十年間に渡って売り上げたレコード総数の約半分にあたる。さながらナゴムにおける“たま”の『さよなら人類』だ。識者によれば、女性の地位向上を訴えるなどの社会的メッセージを含んだ“ウーマンズ・ミュージック”における、マイケル・ジャクソンの『スリラー』であると位置付けられている。もちろんどの曲も素晴らしいが、『スウィート・ウーマン』は神々しさすら湛えたフォーク・ロックの名曲である。


三枚めはビービー・ケロッシェで『BeBe K'Roche』。

ビービー・ケロッシェはサンフランシスコの四人組ジャジー・ソウル・バンドで、オリヴィアが初めて契約したバンド(第一弾アーティストということではない。念のため)でもある。つまり裏を返せば、女性のみで運営されるレーベルについた初めての女性バンドということだ。高い演奏力とハイセンスなアレンジ、浮遊感のある独特のメロウネスは唯一無二とも呼べるもので、毎回聴くたびに「何このバンド、ムッチャクチャ良いじゃん」と驚いてしまう。これもリンダ・ティレリーがプロデュースしたもので、ジャズとソウルの幸福なマリアージュを聴いて取れる名盤だ。


僕は三枚のレコードを立て続けに聴くと、外がもう白み始めていることに気づいた。むらさきの空にカラスの鳴き声がこだましている。少し早いけれど、もう店を閉めてしまおうかと思ったそんなとき、ひとりの男性が来店した。色の濃いGジャンに色の薄いGパン、ラスタカラーのヘアバンドをして中島美嘉のツアーTシャツをタックインしダンロップのスニーカーを履いた彼は、慌てた顔でカウンターに駆け寄ってくると、息を切らせながら言った。

「すいません!!!この店で一番カッコいいレコードください!!!」




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