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ボタニカル哲学(菜根譚)

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菜根譚は、今から約400年前の中国において、内乱や政争が相次ぎ混迷を極めた明代末期、万歴帝の時代(1572-1620)「厳しい時代の中でどう生きるのか」をテーマに、中国明時代の哲…
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#ハピネス

ボタニカル哲学(後集132)難しい心の調整

四季が巡らせる寒さ暑さは簡単に避けることが出来るが、人の世の熱さ冷たさは無くす事は難しい…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集79)名を重んずるのも欲心

節操のある立派な人間は、小国一国を得られることを他に譲り、強欲な人間は一文の金も争って欲…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集78)空も執すれば空にあらず

真に自由であるとは、全てを否定することではない。現象に執着するとは、真実では無い。現象を…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集63)天然の音楽、自然の絵画

林から聞こえる松風の響きや岩をの間を流れる泉の音を静かに聞いていると、それが大自然が奏で…

力蔵
1年前
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ボタニカル哲学(後集17)中道を行く

財産や地位は浮雲のようなものだ、と知っているにも関わらず、隠遁生活をしようとはしないし、…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(後集7)心を澄ませて真実を見る

鳥のさえずりや虫の音も、徹見悟了してしてみれば、全てそのものがそのまま文字言語を離れて伝…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(215)読書と観察の要諦

真剣に本から学ぼうとする者は、とことん読み込んで、真実を発見して全身が躍動してしまう位まで読み深めれば、文字面に囚われなくなる。 真剣に物事を観察しようとする者は、自他一如となるまで観察し尽くせば、表面的な現象に引きずられなくなる。 つまり、何事も事を始めるからにはとことんやれば、本質が見えてきますということ。正に法門の数は無限だが、中心は一つということ。 言い換えれば、中途半端な気持ちでは時間の無駄ですよということで、これこそ「活人」のための教訓そのものなのだ。 ↓↓

ボタニカル哲学(209)人生の歩み方

嵐が吹き荒れる所では、足をしっかり立てて踏ん張る必要がある。花の色が鮮やかで、柳が艶(あ…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(208)人を使う術と友と交わる道

人を使うには、厳しすぎてはならない。厳しすぎると、骨を折り尽くそうとする者まで去ってしま…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(207)気の荒い人、心和やかな人

性格がおもしろみがなく粗野な心の持ち主は、一つとして物事を成し遂げることはない。 これに…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(206)噂は俗世間の陥穽(かんせい)

人の悪事を聞いたからといって、直ぐに悪と決め付けず、人を陥れる者の損失誘導かどうか確かめ…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(205)徳の完成した人と心いやしい人

思いやりの心を持った人は、心が広くのびのびとしているので喜びも多く何事も長続きするから、…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(204)すべて冷静に対処する

冷静な目で人を観察し、冷静な耳で言葉を聴き、冷静な感情で人の心を動かすものに対処し、冷静…

力蔵
2年前
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ボタニカル哲学(203)満ちれば欠ける道理

地位・財産・名誉が十分な人は、コップの水が表面張力で零れないような状態である。だから、これ以上は一滴たりとも水が加わることを嫌って避ける。 危険が差し迫っている人は、木が折れようとして折れないでいるような状態である。だから、これ以上は一押しとも力が加わることを嫌って避ける。 つまり、何事も「限界」に達すると、只管に不安が増大し、保身にしか目が行かず、活き活き生きることが出来なくなる。 言い換えれば、満ちれば欠ける月と同じように、限界に達すれば、物事は反転するということを活