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『物理学はいかに創られたか』- 初めて「慣性の法則」を知った喜び

私がそのころ授業をよく聞いていなかったためだろうが、学校のしかるべき時代に「慣性の法則」は、よく解らなかった。

いや、私は、物理や化学全般に弱かったのだが、岩波新書の『物理学はいかに創られたか』をのちに読み物として読んで、やっと「慣性の法則」というものが初めて解り、感動すら覚えたのだった。

「静止している物体はいつまでも静止しており」というのは子どもの眼と心にも当たり前だが、次に来る言葉、すなわち「動いている物体はいつまでも動いている」という言葉に、エッ何それと思い、その理由が説明されて、初めてハッと驚き、感動が押し寄せて来たのだった。

子どもの気持ちになってみれば、静止している物体がいつまでも静止しているのは、そんなことは言われなくとも解るのに、なぜそんなことが書いてあるのだろうと思い、動いている物体は、いつまでも動いているというのは、日常眼にしている事実とは違うから、いったい何を言っているんだろうと、ますます混乱してくる。

完全な球体というものがあり、どこまでも完全な平面があると想像してごらん。そこには摩擦もまったく無いとすれば、ここにその球体を転がしたらどうなるか。そんなふうに学校時代の私はきっと問いかけてもらいたかったのだ。
そしたら、動いている物体はいつまで動いていると想像できるでしょう、と。

先の本で書かれているように、こんなふうに学校の先生も説明してくれたら、もっと物理学の初歩に興味を持ち、解ったのに…
だが、おそらく、実際には学校の先生もそんなふうに説明してくれていたのだろう。その辺は私が聞き逃していたに違いない。学校の先生を恨むのはお門違いというものだ。

ひとたび何らかの力が加えられて、動いている物体はいつまでも動いているという事実が理解できると、その前に書かれていた言葉、静止している物体はいつまでも静止しているというフレーズも決して当たり前でなく、なるほど、そこに書かれるべき言葉なのだということも、理解されるようになる。それらは、いずれも必要な言葉であり、これが物理学の初歩の「慣性の法則」なのだという感動を初めて覚えたのだった。

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