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10.18 災害と祝祭

10月12日〜13日未明にかけて東日本を襲った台風19号。いわき市内陸部、北部沿岸が甚大な被害を受けた。夏井川、好間川、大久川などが氾濫し、沿岸の地域を襲った。いわき市内だけで死者8名を数え、10月19日現在、まだ4万世帯近くで断水が続いている。

この週末は大雨が予想されており、被災地には避難指示も出された。復旧復興も始まっているが、とにかく人手が足りていない。被災者の不如意な暮らしが続いている。ぼくの暮らす小名浜地区はなんともなかった。けれど車を30分くらい走らせると景色はがらりと変わる。その光景はいやでも東日本大震災を思い出させる。

かつて災害が「ユートピア」だと言われた時期があった。住民が団結し、自治が生まれ、助け合いの心が育まれて、皆がそのなんとも言えない独特の高揚感に包まれた。一方で今回の水害、東京ではホームレスが避難所から排除され、その対応が支持され、タワーマンションの浸水に対してぶつけた「ざまあ」という投稿に何千というRTがついた。八ッ場ダムを巡っては、事実やデータは排除され、党派的な声だけが大きくなっている。

東日本大震災を期に大きくユーザー数を増やしたSNS。東日本大震災後の8年7ヶ月はまさにSNSの時代だ。しかし、かつてユートピアを生み出しもした災害は、SNSの活躍によって分断が持ち込まれ、「ディストピア」とも言える光景を生み出してもいる。

被災地の外では災害は「ネタ」にしかならない。だから、被災地の中では、その「ネタ」を引き剥がすため「正しい支援」や「正しい情報」が求められるようになる。しかし、被災の外側にいる人がその「正しさ」に対面した時、被災していない自分はどう関わればいいのか、そもそも関わっていいのかと逡巡するような場面も作り出してしまう。

それぞれができることをする。それは当然だけれど、それぞれの「できること」が可視化され、他の誰かの「できること」と比較されてしまう(のではないかと思ってしまう)時代、自分の「それぞれ」を堂々と表明できる人がどれだけいるだろうか、みたいなことを考えた。

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10月14日。娘の通う幼稚園の姉妹校が水害の被害を受けてしまったため、掃除の手伝いへ。想像以上にひどく、1m20〜30cmくらいだろうか、壁にくっきりと水の跡がついていた。泥だらけになってしまった教材や工作物が痛々しかった。先生たちが長年引き継いできたものや、子どもたちと一緒に作ったであろう作品たちが「ゴミ」になってしまうのはほんとうに辛い。できる限り残してあげたいとは思うものの、そこまで悠長にもしていられない。先生たちも途方にくれながら選別していらっしゃった。

10月15日。午前中は制作進行中の「紙のいごく」のテキストを書く。今号は8月末に行われた「いごくフェス2019」の特集号である。通常、この「紙のいごく」のテキスト担当はぼくで、ほとんどすべてのページのテキストを書くこともあるくらいなのだが、今回は県外で活躍している友人が書き手として参加してくれている。大変心強い。

(ちなみに「いごく」は今年のグッドデザイン賞の「ベスト100」にも選ばれている。個人的には「大賞」まで狙えるとプロジェクトだと思っている。31日の発表会が楽しみだ)

午後からは、水害被災地、平窪地区にある内科クリニックの泥かきへ。とにかく泥、泥、泥である。部屋という部屋が泥だらけだった。棚やら台やらベッドやらも泥と水をかぶっていてとにかく重い。先生以外の看護師さんは女性が多いので、とにかく男手が必要な状況だ。それに、片付けの間も、薬が切れたから処方箋何とかして欲しいとやって来る患者さんや、片付けをしていたら怪我をしたから消毒して欲しいとやって来る地域の方もいる。

昨日の幼稚園もそうだけれど、病院も同じで、地域の人たちの暮らしを支える場だ。後顧の憂いをなくし、地域の復旧に集中できるようになると思うので、こうした場所の復旧に力を注げる体制づくりが待たれるところ。

夜は、実行委員のメンバーになっている、いわき潮目文化共創都市づくり推進実行委員会の会合へ。そこで、今月27日に開催予定だった「しらみずアーツキャンプ」の延期が決定した。災害時に優先させるべきはまず復旧であることは皆が承知しているので話はすぐに決まった。26日に予定されていた「さかなのば」も中止となった。断水が続いている。仕方がない。

10月16日。「紙のいごく」に掲載する書評のテキストを1本書き上げる。ここで紹介するのは、アメリカを代表する医師、アトゥール・ガワンデが書いた『死すべき定め』という本である。かかりつけの病院のお医者さんから「読んでみて」と手渡されたのだった。

本書を読むと「いかに最期の瞬間を迎えるか」を深く考えさせられる。高齢者やガン患者の医療の現場を書き記したものだが、ガワンデ医師の考察が豊かで、哲学書のような趣さえ感じるからだろう。日本とアメリカで、宗教も医療のあり方も違うのに、医療の課題も、最期の瞬間に人が何を求めるのかということも共通している。死について考えることはとても普遍的なのだ。

ここ数年、「いごく」というメディアに関わってきて、「死」について考えることが増えた。といっても、具体的に何か具体的なシーンを、というわけではなく、人は死ぬんだ、最期は必ずあるわけだから、今しっかりできることを、自分がこうありたいという理念のもとで作り上げていくほかないなあという、わりとざっくりとしたことだったりする。しかし、その「ざっくり」を「はっきり」と考えることが大事なのだろう。死を考えることは、やはり「今、このわたし」に光を当ててくれる。

それに、社会の分断が進むこのご時世、「人は死ぬんだぜ」ということぐらいしか、向こう側にいる人たちと話せることがなくなりつつあるなあという気もしている。逆に言えば、「老いること」や「死ぬこと」という人間共通の課題がある限り、話の材料はあるということだ。アートですら分断してしまう目眩のするような社会に残されたのは、老・病・死であった。

この日は、お昼から「いわき市立美術館友の会」の皆さんに呼ばれて美術館の会合へ。かつて1000人近くいた会員がじわじわと数を減らし、ここ最近特に若い世代の加入者が減ってしまっている、とのことだった。ぜひ色々と話を聞かせてくれということだったので、色々と思うことを話した。

実は、いわき市市立美術館というのは、市民による「おれたちの町に美術館を作ってくれ、現代美術の美術館を!」という市民運動によってできた美術館なのである。アンディ・ウォーホル、イヴ・クライン、マルセル・デュシャンといった、僕ですら知っている著名な美術家の作品を収蔵していて、それが惜しげもなく常設展示されている、大変素晴らしい美術館なのだが、先人たちの魂が引き継がれていないのは寂しい。まずは僕が友の会の会員になるところから始めるしかなさそうである。

10月17日。また被災地へと向かう。被災住宅の泥のかき出しと片付けである。台風から4日も立っているのに、水を含んだ畳の重いこと重いこと。たった1枚運ぶのに大人4人いないと持ち上がらない。床下に入り込んだ泥を取るには床板も外さなければいけないし、大変である。

ここにきて、ようやくボラセンも立ち上がった。物資も少しずつ集まり始めているようだ。けれども相変わらず、メディアがいわきの惨状を伝えてくれる時間は短い。ぜひ、週末などの時間を見つけて、いわきにお越し頂き、ボランティアで体を動かして、美味いもの食べて温泉にでも浸かってもらえたらと思う。観光ついでにボランティアも楽しんでもらえたら幸いだ。

午後からは、取材のため田村市船引町の蓮笑庵へ。ここは民画家の渡辺俊明が構えたアトリエなのだが、敷地内の里山には俊明が建設に関わった大小様々な建物があり、山全体が作品であり交流の場になっている。現在は、俊明の奥さんの仁子さんが管理していて、文化芸術様々な企画が行われている。今回の取材は、この仁子さんにお話を聞くというものだ。詳しくは、後ほど書かれるであろう記事をご覧いただきたく。

10月18日。書家の千葉清藍さんの取材で三春町へ。今や福島を代表する書家として名を馳せる清藍さんだが、実は長年、福島県内のテレビ局の報道カメラマンだったそうで、僕が福島テレビにいた時期とも重なるため「うお、どこぞでご一緒してるかもですね」という感じで一気に距離が縮まった。こちらもまずは記事の執筆をがんばりたい。

午後は東京へと向かい、カオス*ラウンジによる展示「TOKYO2021」へ。災害と祝祭をテーマにした展示で、地元がまさに今大災害に見舞われているだけに、やはり見ておかねばということで急遽向かった次第だ。「開発」という観点から、災害と復興、慰霊と芸術のあり方を問い直す大変素晴らしい展示で、黒瀬陽平さんの遠謀と覚悟を感じずにいられなかった。

会場は「祝祭」と「災害」とで分かれているものの、会場に入って作品をひとしきり見ると、祝祭の災害性、災害の祝祭性のようなものを感じずにいられなくなる。かつては、神や仏、それにまつわる美術が、祝祭と災害の「あいだ」を自由に行き来したのではないだろうか。そういうものを立ち上がらせる力が、本展にはみなぎっていたような気がする。

特にグッときたのはSIDE COREの作品だった。防潮堤に見立てたスケートボードのバンクの周辺に道路工事の標識など震災復興を想起させるものを多数置き、そこで遊ぶ様を、地元のスケーターたちと映像に収めた作品だ。災害と祝祭の間にふと立ち現れる、いわば「復興を遊ぶ」ストリートの感性。現地のスケーターとの共作であることも良かった。

何度もバンクを行き来するアクションには、何か宗教的な儀式のような繰り返しの動作があり、故人を弔うような行為にも思えてくるから。ぼくは『新復興論』の最後に、防潮堤で遊ぶ高校生の姿を希望として書いたが、そこには書ききれなかったことも、この作品は提示してくれていた気がする。

祝祭の展示会場にあったHouxo Queの作品も素晴らしかった。ビルの地下に黒い水が張られ、ディスプレイに明滅する光が反射していた。僕たちはあの黒い水の奥に人の命があったことを知っている。あの黒い水が街を襲ったことも知っている。つい先日も、台風19号に襲われたばかりだ。あの黒い水の張られた階段は、全ての被災地に通じている。会場となっている戸田建設のビルもまた、復興の末にできたものだろう。僕たちの暮らす家、遊びに行く施設、働いているオフィルのあるビルの下にも、黒い水は静かに流れているはずだ。

京橋にある戸田建設本社ビルで開催中の「TOKYO2021」は、10月20日まで。明日しかない。ぜひ見にいってみてほしい。今週も走り回った。来週も走り回らねば。

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