日付が変わるだけなのに

師走。あと数時間で、正月が来る。宇宙規模で考えたら、太陽の周りを一つの星がくるっと回っただけ。しかも、自転しているその星の日付が変わっただけ。ただそれなのに、カウントダウンまでして盛り上げ、祝う。初日の出を見ようと、富士山に登ったり、海辺まで行ったりする。

あのセレブレーション感は何だろう。全世界の人が、一つの区切りを「せーの!」でまたぐ。でも一斉にじゃない。地球の自転のスピードに合わせて、世界中の人がウェーブをするみたいに、順番に日付を飛び越える。そう考えると壮大な大縄跳びみたいで愉快だ。

一方で、「そのお正月はそっちの文化でしょ」という国もある。グレゴリオ暦を使わない国は、「あ、今なの?」というタイミングでお正月を祝う。しかしそれもやはり、区切りを祝うことにはかわりない。(ちなみにマヤ暦は260日で一年が終わるので、新年の始まる季節は一定ではないらしい。)

昔は正月で一つ歳をとった。いわゆる数え年である。同学年の子が一気に一つ歳をとる。そう考えたら、「日付が変わっただけでめでたい」という図式にも納得がいく。

わたしの父は年末に生まれたのだが、早生まれの人に比べると身体的な発達が不利になるため、翌年の1月1日を誕生日として役所に届出された。父には姉と妹がおり、出生の届出は、父が1月1日、その姉が1月2日、妹が1月3日だ。そうやって同じタイミングで産み揃えたことにも驚くが、姉があらかじめ2日になっているところに、ジェンダーの問題を感じつつ、「昔はそうだったんだなあ」と思う。
一方で、正月に子どもたちの誕生日をまとめたことで、父の両親はずいぶんと楽をしたのではないかとも思う。12月生まれの友だちが「クリスマスと誕生日をまとめられて、プレゼントが一つだけで損だ」とか、「兄の誕生日が同月で、ケーキを1回しか食べられない」と友だちがぼやいていたことを思い出す。おめでたいことをまとめてしまえば、赤飯を炊く回数や、ケーキ(当時はあったかどうかわからないが)の用意が少なくて済むことで、戦前、戦中、戦後の庶民の家庭では、ささやかながらもしっかり祝えたのではないか。ん?てことは、明日、父の誕生日じゃないか。忘れてたー。

…というようなことを考えつつ、紅白歌合戦に臨むため、バタバタしている。お目当は「おげんさんファミリー」です。

今年はわたしのnote元年でした。スキをくださったり、フォローしてくださったり、コメントしてくださったり、本当にありがとうございました。明日からの2020年もまた、よろしくお願いいたします。

みなさまよいお年をお迎えください!

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