わたしというヒトについて

 この国は民主主義ですよね。多数決でものごとが決まっていくもの。その理不尽さと、子どもの頃から戦ってきたような、生き方しかできなかったな、と。だからいつも少数派。少数派が間違ってるわけでもないのに、なぜか、みんながよしとするものに迎合できないのは、ひとりっ子だからだろう、と世間の意味づけをそのまま拝借していた。

 そんなんだったから、振り返ると、こんな人の物語が誰かのマニュアルというか、こうあってはならない、みたいなのがになるかもな、なんて、都合のいいことを思ったのは、向田邦子さんの没後40年のさまざまな特集をながめていたからかもしれない。

 別に小説家とか、物書きになりたいわけでもないから、まだ記憶がハッキリしてるときに、書いてみよう、とか思っただけで、単なるいつもの思いつきである。

 少しずつ、思いつくままに順番も何もあったもんじゃないし、それはめんどくさいので、なぐり書きになるかもだけど、よし、自分のことについて、書いてみよう。

 今日は腸と子宮の癒着がないか、MRIを撮りに行く日。ま、はじまりはどんな日でもいいか?

 昨日の夜、病院でいわれた、子宮体癌、という思ってもみなかった言葉が余計にかきたてたのかもしれない。

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