noteを始めたとき,事前知識は何もなかったけど
こんにちは,璃絃です。
第3回めとなる今回は,タイトルそのまんま,
noteを始めたとき,事前知識は何もなかったけど,というお話です。
ちょっと難しそうなお話になるかも?と思われた方,ご安心ください。
こんなこと言うと驚くかもしれませんが,
わたし自身,何を書くのだろう…と手探りのままタイプしています。
でも,難しいほうには持っていかないように気をつけますので。
それでは,誰も結末を予想できないつらつらとした璃絃のひとりごとへようこそ。
事前知識を気にしだしたのはついさっき
まず,どうして急にそんなことを言い出したのか。
それはとてもかんたんな理由です。
ついさっきのこと。おすすめされていた他の方のnoteをなんとはなしに読んでいたときに,noteを始めるにあたって「まずはnoteに関する本をたくさん読んだ」と書かれていたからです。
たとえばフォロワーさんの増やし方,より見やすい文章の書き方などを,始める前にたくさん勉強した,と。備えあれば憂いなし,ということでしょう。確かにその方はとてもフォロワーさんが多く,文章も読みやすく感じられました。
ですが,そのことに本当に驚きました。なぜってわたしは,ブログというよりひとりごとをただ書き連ね,日々のストレスを発散せんがために軽い気持ちでnoteを投稿し始めたからです。でも,それでもいいのかな,と今思いました。
街があればたくさんのひとがいるよね
これも先ほどどこかで読んだのですが,noteという空間は街なのだそうです。
ひとつの街というのは,もちろんたくさんのひとびとが寄り集まってできるものです。
その中には,あたりまえのようにさまざまな考えのひとがいます。
わたしみたいにズボラで,何をするにも適当で,それでいて心は繊細だからすぐ傷つくようなひともいる。はたまた,何事もきっちりと完璧にこなすひとや,努力の天才で,いろんな知識を自分の中に詰め込んだひともいる。
それはもう,全くおんなじひとはいないでしょう,というくらいに,たくさんのひとびとに出会えます。
先ほどの話に戻りますが,そんなにたくさんのひとびとがいるのだから,たくさんの知識を入れて,準備万端でnoteを始めた方もいらっしゃれば,わたしのように「思い立ったが吉日!」とばかりに始めたひとがいても何もおかしくはないわけです。そういうところにも「個性」って現れるのかな。
おしまい
今回は本当に,なんだかよくわからない文章になってしまってごめんなさい。
でも,心の中にぐるぐるとうずまいていた思いを,ぐちゃぐちゃながら文章にしたことによって,少し考えが整理されました。
それでは皆さま,今回もお付き合いいただきありがとうございました。
また次回,ご縁がありましたらお会いしましょう(*´꒳`*)
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