Butterに溶け合う夢を見る

私がBTSを好きになって約半年(もう半年!)、初めてのカムバをButterで迎えたわけですが、改めて彼らのすごさに圧倒されている日々でございます。イヤ~~1日たたずにMVの再生回数1億回とか、101の国と地域のi Tunesで1位とか、ほんと何???

そんなことを経験しているうちに、私は1/1億であり、日本は1/101か国なのですな、、という意識が、BTSを見ていく中で自然に身についてくるなあ、と思ったりします。これは良くも悪くも。そこらへん(どこら辺?)を中心に、Butterという曲や、BTSの置かれた立場について考えていることを書いておこうと思います!書く前から取っ散らかる気配がぷんぷんするな!笑

Butterという曲や、関連インタビュー、前後のできごとを見ているうちに一番に感じたことは、「バンタンくん、いつまでたってもある意味マイノリティーなのだな」ということと、「だからこそ"溶け合う"世界を夢見てしまうな」ということでした。

※Butterについて、彼らが言う「重たいメッセージは含まない。気軽なサマーチューン」以上の正解はないと思っています。が、以前RMさんが「僕らが伝えたいメッセージは特にないが、僕らを見てファンが何かを考えるきっかけになるのであれば、そこに意味がある」と言っていたように、Butterをきっかけに考えたこと、私の意見、ということでアップさせていただきます。

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Butterの会見を見て(読んで)いて、印象的な質疑があった。
Q:BTSが示すBTSらしさ、K-POPらしさとは何だと思うか
RM:(略)K-POPとアメリカの音楽シーンの関係性についてはよく質問されるし、僕たちもそれについてよく考えたりもするが、K-POPというのはもはや音楽ジャンルというより、一つの産業形態になったように思います。
BTSとしては、僕らが最善を尽くしていけば、、いずれ批評家の皆さんにも「僕らがありのままでどのような存在であるか」という点で評価してもらえるようになると思う。
※英語を介した意訳です。

Dynamiteから先しか知らない私が語るのもおかしな話だけれど、BTSの歴史を紐解くと、ジャンルのくくりや「らしさ」という概念と戦ってきたように見える。
弱小事務所からHipHopグループとしてデビューした時には、「アイドルがHipHop、、、?」と言われ
アイドルとしてポップソングを歌えば「HipHopはどうした」と言われ。
けれど、着実に実績を積み重ねて、どこにも負けないくらい大きなファンダムを味方につけ、IDOLのような(アイドルでもアーティストでも何とでも呼んでくれ!)強気な歌も歌えるようになったBTS。

けれど同時に、大きくなったら大きくなったで、新たな壁や困難にぶつかることになるのだな、と彼らを見ているとよく思う。

私も含め、さらに彼らのファンの裾野を広げたのが全編英語詞のDynamiteと言って良いと思うのだけれど、彼らを目にする人が増えたことにより、Dynamiteの大ヒットによりノミネートされたグラミー賞に関してとか、それ以外でも(昨今の情勢もあり)彼らを標的にした差別的発言が複数回あったのは記憶に新しい。
次のステージに立ったからこそ、また「アジア人が英語詞、、?」「アジア人がグラミー賞、、?」という言葉との戦いが始まったのかなあ、と勝手に思ったりする。
アジアンヘイトについては、彼らも声明を出しているけれど、その声明の中で「アジア人なのにどうして英語をしゃべっているんだといわれたこともある」という記述があった。
一方で、本国側でも一部のファンによる、「英語詞じゃなくて韓国語の歌を歌ってほしい」という意見があると目にすることがある。(昔から見てきたファンにとって、あまり韓国の音楽番組に出ていないこととか、寂しさを感じることについて理解はできる気がするから、意見そのものを否定するつもりはないです。念のため)
そういうのを見ていると、また彼らはアメリカの音楽シーンでも、K-POPの中でも、どちらでもない!と言われてしまう、マイノリティ側になってしまうのだなあ~と感じてしまう。(彼ら自身が前例のない存在になりつつあるから仕方ない部分もあるのだろうけれど)
彼らの歌詞やインタビューの中で、すごく気が強いな~戦ってんな~~と思うことがチラホラあるけれど、どんなに大きくなっても、その時々に置かれた立場で戦い続けなきゃいけないのだなあ、、大変だなあ、、、なんて思っていたわけです。

で、そんな中で発表されたが、Butter。

めちゃくちゃ黄色かった。バターってこんなに黄色くないぞ???ってくらい黄色かった。

いろいろあった後のタイミングでの「黄色い」コンセプトの発表に、私も含め一部の人たちからは「アジアンヘイトに対する意思表明が含まれてんのか!?」と思われただろうし、きっとそう思われるのも織り込み済みでの「黄色いバター」の発信だと思うのだけれど、蓋を開けてみると、確かにButterは「気楽なサマーチューン」だった。

そして何より目に付いたのが、マイケルジャクソンやアッシャー等の曲名の引用だと思う。音楽詳しくない私でも気が付けるくらい、ある意味あからさまに、意図的に混ぜ込まれている。
これって、会見でシュガさんが言っていた「BTSの挑戦するジャンルにとらわれない音楽(ニュアンス)」そのものを表しているのかなあ、なんて思ったりした。
ジャンルが溶け合い、混ざり合う。Butterはそんな歌なんじゃないか、と。

なんで、BTSがいつまでも「君たちはK-POPなんですか?なんのジャンルなんですか?」と聞かれるのか、ない頭でぼんやり考えていたけれど、やっぱり人間、知らんもんが怖いのかなあ、と思う。世界中色んなところでマイノリティと言われる人たちが差別されてしまったりしているのも「知らんもんこわい!排除したい!」もしくは「知ってるものに統合したい!」という人間の心の動きかなあ、と思います。
BTSも「HipHopをするアイドルなんて知らん!!気に食わん!!」と思われたことから始まって、受け入れてもらえるように色々試行錯誤を重ねて、今の立場にいるんだとおもうんだけど、前述の通り、それはそれで「何このよくわからんジャンルの、バカデカグループ?見たことないんですけど?」「君らはなんのジャンル?我々の知っている枠組みに入ってくれないかい?」と言われちゃってる状態なのかなあ~~~とか思うわけです。
それに対してのRMさんの回答が「僕らが最善を尽くしていけば、、いずれ批評家の皆さんにも「僕らがありのままでどのような存在であるか」という点で評価してもらえるようになると思う。」(そこを目指したい)だったのかなあって。知らないものでも、知っている枠組みに入っていなくても、受け入れてもらえるくらいになりたい、的な。

でも逆に考えると、BTSくらい大きくなっても、どんなに影響力を持っても、それを理由にある種のマイノリティとなってしまうわけですよ。いったいどうすりゃいいのよ、どこまでデカくなりゃいいのよ~~~と。
けど、裏を返すと(逆に考えたり裏を返したりわけわからんなw)、人は誰しも、どんな立場の人間でも、シチュエーションによってはマイノリティになりうる、ということだな、と思う。私自身、今たまたま日本国籍で日本に住んでいるけれど、例えばなんかのきっかけで海外に行くことがあったりすれば、マイノリティ側になるわけで、、
当たり前のことだけど、案外腹落ちしたことがなかったけど、BTSのファンになって、1/1億であることを経験して改めて感じたことだなあ、と思う。あなたも、わたしも、その他のひとも、平等に1/約200カ国に住む、1/約70億人なわけだ。
そして、この感覚を得ると、私が今いる状況で、マイノリティと言われる人たちにより優しくなりたいなあ、という気持ちになったりもするわけですね。

私は、BTSが海外公演をしている映像を見るのが大好きなのだけど、何が好きって、アメリカで、ヨーロッパで、南米で、現地の人も韓国や他の国から駆け付けた人も、混ざり合って韓国から来たBTSに熱狂している姿がとても素敵だな~って思うんですよね。
ウェンブリー公演の挨拶で、RMさんが「僕たちは同じ言語を話しています。英語という意味でも韓国語という意味でもありません。音楽でつながっているんです」というようなことを言っていたと思うんだけど、本当にその通りの光景だなあ、と思ってしまう。

(余談だけど、Butterの歌詞、色んなとらえ方ができる表現が多くて案外難しいな~と思っているんだけど(私の英語力の問題もあるw)、色んな人が色んなとらえ方ができるように、あえて正解を固めず、広い意味の言葉を選んでいるのかなあ(right、とか)と邪推したりしています。)

BTSの公演や、Butterの歌詞に散りばめられたいろいろなジャンルの音楽のように、ジャンルや、人種や、その他色んな枠組みにとらわれずに溶け合うような世の中を、BTSを見ていると夢見てしまう。
MVを見た1億人が、そんな気持ちを少しでも抱いていたら、ひょっとして少しずつでも世界は変わっていくかもね、なんて甘いことを考えつつ、まずは自分自身の行動から見直さないとな、なんて思っている今日この頃でした。

Get it? Let it roll!

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