見出し画像

青年団若手自主企画vol.86 宮﨑企画『忘れる滝の家』の感想

2021年3月17日夜にアトリエ春風舎で観た青年団若手自主企画vol.86 宮﨑企画『忘れる滝の家』の感想を。きちんと論理だててまとめられていないけれど、ご容赦を。

場内に入ると具象のようにも不可思議にも見える舞台美術。太めのビニールひもが形作るものははなんとなく川とぴんときて。で、座席から見て後方にあるのは山なのかなぁと思う。上手につり下がっている吹き流しのようなものは、存在感はあったけれど開演時にはそれがなんだかよくわからなかった。
始まると凄くルーズに時間の断片が重なっていく。その語り口になんとなく抗えなくなる。事前にちゃんと当日パンフレットで説明されている登場人物の関係を頭に入れていない自分も悪いのだけれど、知っていればもっとフォーカスを定めて追うことができたのかもしれないけれど、少なくとも出来事は細切れに切り出され、現れ、消えるはやさもあって、でもそれがサクサク感につながるわけではなく、とりあえずぼんやりとした観る側の意識の座標におかれる。
もちろんちゃんとシーンを繋ぐトリガーが仕掛けられていて、それに気づくころにはなんとなくの世界観も現れてきて因果のようなものも降りてくる。その広がり方がおもしろくて、舞台に停滞感はないけれど、観る側の半分無意識のなかに舞台の内側が解けていくような、そのつかみどころのなさに取り込まれる。
頭がなじんできて見えてきた二つの時間の塊は、ルーズに同質に混在しながら時間の上下となり、うつつとも想像ともなり、舞台の景色に広がる。それぞれのシーンの語られ方の等しさのなかで関係や因果や刹那の感覚が形を成していく感じ・・。それは、現実とも可能性ともなり、たとえばうたたねの入り口や出口に訪れる記憶の出捌けの体感にも似ていた。

なんだろね、現実であれ仮想であれ、たとえば時間と空間が一つの果実として丸められ記憶や想像という名前で存在していて、もちろんそれが時間軸にそって輪切りにされていれば、なんのとまどいもなくそこにラベルを付けて受け取ることができるのだけれど、たとえばフルーツパーラーなどで常ならぬ小洒落た切り分け方をされると、そのテイストすらどこか違うように感じられ、戸惑うし、面白いし、気づかなかった断片に驚いたりもするし、果汁の滴り方も違って見えるし、輪切りとは違った食感もやってくる。そういうとても良い意味での違和感が醸されることによってはじめて受け取れるなにかがこの舞台にはあった。
ひとつずつの刹那はしっかりと密度をもって演じられていて、でもそれが少しだけ冗長に観る側を染めながら歩んでいく。そのことで作り手の描く世界の肌触りをたっぷりに味わうこともできた。。

作り手や演じての作意からすると的外れな感覚なのかもしれないけれど、終演時には、作り手の才に知らず知らずのうちに取り込まれてしまった気がしたし、帰り道には自分の時間を抱えながら淡々と今にあることの達観のようなものにも浸されていた。
=== ===
青年団若手自主企画vol.86 宮﨑企画
『忘れる滝の家』
@アトリエ春風舎
2021年3月11日[木] - 3月21日[日]
作・演出
宮﨑玲奈
出演
天明留理子* 新田佑梨* 黒澤多生* 西風生子* 
南風盛もえ* 山村麻由美* 藤家矢麻刀  *=青年団

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?