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文学座『昭和虞美人草』の感想

2021年3月19日に文学座アトリエで観た『昭和虞美人草』の感想を。

マキノノゾミ作の舞台は『東京原子核クラブ』に続いて今年2本目、こちらも上演時間2時間45分の長編だったが上演時間の長さを感じることはなかった。むしろ終演後の充足感とともに登場人物たちの時間のその先に寄り添いたくなる。

舞台は1973年の国会議員宅の一室、老舗劇団の力というか美術などもよく作り込まれ、冒頭から物語を一気に切り出して歩ませ始める。戯曲の観る側へのシチュエーションの渡し方がほんとうに巧み、気がつけば黎明期のロック雑誌の編集室となる場の雰囲気も登場人物たちの状況も後々に訊いてくる伏線なども無理なくすっと観る側に納まる。またシーンごとがぶつ切りにならず腰を据え時間をかけてじっくりと編まれている感じも良い。そのことで俳優たちがキャラクターたちの色や想いを無理なく、表層は表層としてその奥にある個性を引き出しつつせりふや所作に乗せていく懐の深さのようなものが舞台に生まれる。そして、それが冗長さや滞りに傾かず、徒に重く沈まず、時にコミカルで、その時間に血が通って感じられるところに俳優たちの力を感じる。

描かれる人物たちはわたしの一つ上の世代で、時代の肌触りもその世代を見上げながら若いころを過ごした自分の記憶と共振して伝わってくる。背景となるロック雑誌の創刊からの歩みはもちろんオイルショックやぴあ、学生運動などの道具立ても当時を生きた者に違和感を感じさせることなく時代のリアリティを醸し出す。それは戦後の日本に残っていた戦前からの様々な価値観の残滓がさらに新しいものといろいろにせめぎあっていた時代で、早坂直家演じるその家の主が部屋に自らの肖像画を掲げ編集部となってからもそれを外すことを許さなかったり富沢亜古演じる母親が手切れ金と称して娘婿候補の過去を断ち切らせようとするあたりにも権威や家を守る旧来の価値観や空気がうまく描かれているし、細貝光司が企業戦士ともなり手切れ金の受け渡しを請け負う雰囲気にも旧支配層の考え方の浸潤の仕方が巧みに作られていた。植田真介から訪れる過去への逡巡には良く作り込まれた揺らぎがあり物語の結末が強引にならないのも良い。その恋人だった伊藤安那が紡ぐ女性の純真さもその実存感の中に当時から見てもどこか古風な女性の矜持となりとても自然に伝わってきて、それは中2病的な部分も残る新しい女性を演じ貫いた鹿野真央と共に今では見ることのないその時代の空気となる。次第に経営者として成長を遂げる斉藤祐一演じるロック雑誌の人物造形にも時間の歩みが織り込まれていたし、その盟友の男気や純真を演じた上川路啓志の醸すロックさにも時代の色としての説得力があった。それらの人物たちの時間に呼吸を与える家のお手伝い役高柳詢子もうまく舞台に風通しや緩急を作る。平体まひろは『東京原子核クラブ』でも大家の娘役として舞台の屋台を支えるしなやかなパワーを感じたが、今回も雑誌の実務を担っていく女性の人物の描き方の解像度の高さやビビッドさに目を見張った。その観る側が自然に委ね取り込まれる安定した演技の確かさと勢いに見惚れる

語り口はオーソドックスだとも思う。時系列も守られていて、顛末を見失うこともない。,物語の展開にも無理がない。でもその中に、いろんな掛かりがあったり、語られない出来事のしたたかな透かし込みがあったり、伏線の張り方の洗練がありそれらがきっちり回収されていったりと、舞台は筋立てだけではない演劇だからこそ描きうるふくよかな時代のテイストや風貌を観る側に渡してくれる。そこに老舗劇団が老舗劇団として歩んでいく中での形骸化しない力を感じた舞台だった。
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『昭和虞美人草』
@文学座アトリエ
2021/03/09 (火) ~ 2021/03/23 (火)
作:マキノノゾミ
演出:西川信廣

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