見出し画像

シグナルズ『ロストプリンセス』の感想メモ

6月10日ソワレに絵空箱で観たシグナルズ『ロストプリンセス』の感想メモ。絵空箱のふらっとな空間に編まれた時間の作り手ならではの語り口やその緩急に引きこまれました。

入場するとゆったりと並べられた座席が3列、プレーンな舞台には少し取り散らかった感じに椅子が何脚かと机が置かれていて。ウクレレとボーカルの懐かしい音楽を聴きながら開演待ち。

舞台には二人もしくは数人の会話が積み重なっていく。椅子や机が転換ごとに並べられて、場面が動いて、でも時間や場所が変わっても、空間はしっかりと同じトーンではみ出すこともなく、ばらつきも滅失せず、にもかかわらずその日々のありようが、場ごとの呼吸とともにとてもゆっくりと観る側に解けていくようにも感じて。シーンごとの繋がりもあからさまな企みで観客へと晒されるわけではなく、それでも舞台上には時間が確かに切り取られ、その一部が重なりとなり、観る側に膨らむ。気がつけば観る側の無意識に物語のボリュームが生まれ、様々な人々が交わり物語を形作り、観る側にその顛末を追わせる。
観終わって、舞台の流れを少しも冗長にもあざとくも感じなかったのは、舞台上にあるキャラクターというか人物それぞれにちゃんと匂いがあり、刹那に呼吸する想いへの透過度も作り込まれているからなのだろうなぁと思う。それぞれの細かい個性などは物語の要になる部分以外割と曖昧なのだけれど、ストーリーの展開があからさまに段取られたり直線的に詰められていないことで、時間のエッジが観る側に尖らず、そのフォーカスの定め方か点描のように世界の重なりを作り、観る側に渡り、時間に立体感を与え、行き場なく束ねきれないそれぞれの想いを観る側を追いかけさせる。そうして日々の感触や揺らぎが滅失することなく歩み、終演時には登場人物たちそれぞれの肌触りや質量を観る側に渡し、刻み、素敵に息づく。男女の想いのリアリティに染められ、その余韻は充足感ともなり、観る側が無意識に肌で感じる今を浮かび上がらせもする。

帰り道、物語の収束の先に俳優達の編む人物の実存感がそれぞれに残る。俳優のひとりずつが紡ぐ人物の刹那ごとの緩急のようなものが打ち消しあうことなく、混濁せず、物語全体の色合いともなり温度ともなることに、演出の空間の編み方や台詞それぞれからの質量の作り方、更には物語の歩ませ方や一瞬ごとの空気の移ろわせ方にもこの作り手ならではの磨かれ方や手練を感じる。
また俳優たちにもそれぞれに演じる懐があって、編むキャラクタの個性にも異なったメリハリがありそれぞれの浸透圧がありビビットだった。中でも感心したのは駆け出しのピン芸人の場の空気の纏い方。どこか唐突な人物の設定で、でも気がつけば彼女の存在感に心惹かれ、場の呼吸に引きこまれ、終演時には物語の中での彼女の座標値もしっかりと心に残っていた。初見の俳優ではないのだが、久しぶりに拝見して、その空間にキャラクターを立ち上げ紡ぎ入れる力に改めて感嘆。観る側を自然に引き入れる力を持った良き女優であることを思い出した。。
=== === ===
シグナルズ20周年記念公演
『ロストプリンセス』
2021年6月10日(木)~13日(日)@江戸川橋 絵空箱
作・演出:大山鎬則
★出演
杉山薫、吉田千絵、大山鎬則(以上シグナルズ)
後藤啓太(劇団東京晴々)、
富岡英里子(88生まれの女たち/富岡英里子プロデュース)、
長尾長幸(劇26.25団) 
佐藤友 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?