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制作「山口ちはる」プロデュース『粛々と運針』の感想メモ

2021年3月26日、下北沢劇小劇場でのマチネ、観た製作山口チハルプロデュース『粛々と運針』の感想メモです。

この戯曲、オリジナルというかIaku版の舞台は初演(2017年)と再演(2018年)を観ている。時を繋いで運針を続ける生まれる前の命と死に近づく命。初演時はこの世に生を受ける側とこの世から去って行く側の周辺の交わりが少しうまくのみ込めなかった部分もあったのだが、あごらで2度目を観たときには、その戯曲に仕組まれた空間の規律のずらし、異なる世界の絡みが、実にしたたかに人物それぞれを歩ませ気付かせることに目を見張ったし、運針を続けるふたりとの重なりの中での兄弟や夫婦の生きるふくらみや立体感を受け取ることも出来た。またそれを舞台に編み込む演出の手練れさや俳優達の演ずる力の見事さにも強く引込まれた。運針の寓意、チクタクチクタクという台詞を生きる中での留まらない時間のメリハリとして受け取り物語を追うことができた。

今回の倉本演出は、戯曲に忠実でありつつ。また、舞台の椅子の配置や標準語と関西弁での二つの世界の切り分け方などについてもiaku横山演出を踏襲しつつ、新たにいくつかの工夫が加わっている。冒頭の卵子を連想させるようなボールにしてもそう、妻の足下に置かれる水の数にも寓意を感じる。なにより、母の死を目前にした兄がひたすら脱ぎ続けるシャツを母が折りに触れて回収しながら時間の縫い縫いに重ねていくことで伝わってくるものに瞠目、最後には弟のシャツまでも受け取る姿が、母にとっての彼らの存在や抱く想いに翻りその重さや深さを与える。俳優の異なりでの肌触りの違いのようなものもあって、夫婦や兄弟間の空気も少し異なって感じられるし、そこに倉本演出の工夫が加わることで、今回の舞台が戯曲のいろんなものを新たに噛み砕いて描き出しているようにも感じた。
ただ、この違いに優劣という感覚はない。この戯曲の演出や演じ方として想像される難しさ、様々な時間を同じ舞台に描き出すこと、更には登場人物たちを一度絡ませて解くことが不自然にならず観る側の視点を惑わせずむしろそのことで観る側に生きることの新たな見え方を渡すこと、それらをどちらも演出家の手練や俳優の力でしっかりとクリアしているので、善し悪しを比較するという発想は全く浮かばず、作品に仕掛けられている時間のチクタクの中に綴られる現実のふくよかに異なるバランスとなり興味を惹かれた。実際のところ倉本版には夫婦にしても兄弟にしてもiaku版とは違った観る側を凌駕する熱量が突出する刹那があったし、その背景に編まれる時間にも新たな風景のトーンや奥行きがあった。私には倉本演出による戯曲の掘り下げが興味深く面白くもあったが、それはiakuに編まれた舞台が残した観る側への浸潤の仕方や余韻の残り方を塗りつぶすものでもなかった。生きることへの俯瞰とその中での人生の歩みが方違えの時を迎えた感触が、すてきに色を違えて重なり、それは一つの戯曲から導かれた演劇の豊かさだと感じられた。

それにしても、秀逸な戯曲だと思う。日常の歩みに違った視座が重ねられ、その先に生を受けこの世を去ることへの普遍がある。またいつか、横山版はもちろん倉本版も含めて、そしてこの戯曲に新たに挑む演出家があればその企みと共に再見したい作品である。

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制作「山口ちはる」プロデュース
『粛々と運針』
2021年3月24日(水) 〜 3月28日(日) 
@下北沢「劇」小劇場
脚本:
横山拓也(iaku) 
演出:
倉本朋幸(オーストラ・マコンドー)
出演 :坂元 新 梅舟惟永(ろりえ)田中穂先(柿喰う客)
松井薫平 田中怜子
清水みさと(オーストラ・マコンドー)(※24日〜26日・28日出演)
加茂井彩音(※27日出演)


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