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やみ・あがりシアター実験公演 オーダーメイド#1『アン』の感想メモ

3月27日朝に王子スタジオで観た、やみ・あがりシアター『アン』の感想メモ。

観終わって、良い話だと思った。良き言葉に満ちているとか心を洗われるとかそういうのとは少し違う。ハッピーエンドだったかどうかも疑わしい。だけど、物語に実直に引っ張り込まれ、ハラハラさせられ、ちょっと心を痛め、ビターさも感じ、シニカルにも思え、でも終演時には良い物語を受け取ったと思わせる舞台だった。

一人芝居、照明を駆使したり、舞台をSEで浸したりということでもない。俳優のガチ。主だった道具と言えばロッキングチェアと紙芝居セット(和風の月光仮面が出てくるような奴では無く、洋風のシンデレラが語られるようなデザイン)と人形が3体。あとは目覚まし時計っぽいものとか・・。でも、彼女の作り込まれた語り口にはそれでもう充分、冒頭からのアメリカドラマの吹き替えのようなテンションには、観る側を虚構の世界に閉じ込めるに十分な力があった。物語の前提をポップに語り、観る側をその世界に閉じ込めてしまう貫きがあって、あれよとその世界に慣らされてしまう。そこからは、観客は彼女の話の聞き手として舞台に委ね俳優が組み上げる世界を受け取っていくだけ。

演者と物語の距離感というか、物語の中での主人公の想像するものと現実の出し入れが実に巧みに作り込まれていて、観る側をシーンの前提に対して迷子にならないようにしつつ、ひとつずつの時間や立ち位置の中でみえるものにしっかりと染めてくれる。そこにはPOPなとっかかりの先での主人公の今が置かれ、観る側がちょっとわくわくするような、その先を知りたくなるような、切なくリアリティを持った展開が一つの世界として組まれていて、やがて来たる死を受け入れる彼女のありようと、そこから歩みだし、身ごもった自らの娘の将来への想像を観る側の視野に編み上げる。紙芝居的な表現が作る主観的なことと客観的なことの切り分けがストーリーを引き締めサクサク感を与え、一人芝居で語られる複数のキャラクターに物語を担わせ薄っぺらさをうまく払拭していて違和感がない。それなりに多重構造に編まれた戯曲なのだけれど、それが混濁をもたらすことなく、なんだろ、アンという視座から眺めた世界の立体感とともに受け取れるのだ。そうして観終わって、母娘の関係性や人との関係、富のもたらす歪みから生死感まで、観る側の様々な今に共振しての感慨が残る。それは、舞台の語り口とは違うふくよかさで、研がれて、シビアで、でも絶望ではなくぬくもりを内包したものだった。

この作品、作家や俳優にとっての財産になるような。
ロッキングチェアが少し大変かもしれないけれど基本的にはポータビリティもありそうで、機会を見つけあちらこちらで何度も繰り返し上演を重ねて欲しくなる。

作り手から劇団のサイトにリリースされた実験公演の趣旨とか方法とかも事前に読んではいて、そしてそれがきちんと見事に踏襲されてもいて、メソッドや今後の展開もおもしろそうだとおもったけれど、今回はそれよりもなによりも、その果実にこそたくさんに目を奪われてしまった。名作だと思う。

yamiagarianphotoアン


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やみ・あがりシアター実験公演 オーダーメイド#1
『アン』
2021/03/26 (金) ~ 2021/03/28 (日)
@王子スタジオ
作・演出
笠浦静花
原案・出演
加藤睦望

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