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インターナショナルスクールの同窓会で感じた、ガチの自由

みなさん、こんにちは。
りーです。

先日行ってきた同窓会で感じた自由について書いていきます。

昨日たまたまこの内容を書いて「私は私」と自分に軸を持とうと思ってた矢先、同窓会で目の当たりにしたんです。

ガチの「自由」を。

集まったメンバーは親の都合で中学校〜高校の何処かのタイミングでインターナショナルスクールに通うことになった人達。

誰もアメリカに興味があったわけでも、
海外に憧れてたわけでもなく、
日本に帰れないから、
アメリカ人の世界で生き抜く力がついた面々。

だからか皆「あるがまんま」「私は私」。

インターナショナルスクールという過酷な状況の中、自分と向き合わざるを得ない状況で皆の中にあった「個」が育ったのかもしれません。

YES か NO をハッキリ言わないと舐められたり、
小さくなってたら単位も取れない環境。

普通とか同調圧力も一切無くて、
部活するのも、
メイクするのも、
髪染めるのも、
ピアス何個開けるのも、
どの制服着るのも、
単位をどれ取るかも全て自由。

課題を提出し、単位を取って卒業すればいい。
どの国に進学するも、どの大学行くも、ギャップイヤーを取るかも全て自由。

そう、今思えば「自己責任の自由=自律」が高校時代から育てられる環境だったんですよね。

世界の有数の大学に進学する子達もいたので、「人」を育てるには凄い環境だったんだと思います。

自由な環境で、自分の意思を尊重され、その上でパフォーマンスを出させまくるといった環境。

否定も肯定もコントロールもされない
待ちの姿勢じゃ生き抜けない

特に英語という日本人にとっての異言語が飛び交う中、進学校でもあるハイレベルな授業にネイティブと参加し単位を取っていく。

卒業生も皆「あの頃人生で一番勉強した」と言ってました。笑

自分の不甲斐なさや悔しさも感じながら、頑張ったら頑張っただけ進化も見えるし、皆にとって自信になっていったのかもしれません。

ただ、生き抜くために強くなっただけで、外部から管理されたり、抑圧されたわけでもないので「ルールを押し付ける」ことも全く無い。

他人は他人。
私は私。

これこそ本当の Independent で、diversity な気がしました。

「ダイバーシティ」という言葉を主張する必要がない、何でもありな世界。

これが現地校じゃなく「International School」だったから、さらに相手の意思を尊重するが体感されてるのかも。

必要があれば主張するし、へりくだらないし、媚びないし、素のまんま。

それが無性に居心地が良くて、久しぶりに自分の中にあった「強い自分」「頑張れる自分」「忍耐力ある自分」がぶわぁっと出てきた気がしました。

最近は自分という人間を知りたくて知りたくて藻掻いてるので、そんな中で仲間達と頑張れてた自分を振り返ることが出来たことは有意義でした☺️

素敵な仲間達に大感謝です。

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