「スパイダーズ」第3話

 蜘蛛の姿から人間に戻ってから、晴には隔離と尋問が行われた。まず、晴に人間への敵意がないことを証明することが必要とされた。当然、晴はそんな感情は持ち合わせていない。だが、周りの人間は恐れの感情しかなく、長時間のやり取りが行われた。「なぜ、蜘蛛になれたのか」晴の記憶の中にあるのは噛まれたことだけで、相手を問われても、ぼんやりとしてよく思い出せなかった。結局めぼしい結果は得られず、晴は寿人の監視下の元、行動が許されることとなった。

 本部の二階で今日の伝令を受けている間、誰もが晴に目を合わせなかった。当たり前だ。どのような条件で蜘蛛になるのかもわからないのに、易々と近寄れるわけがない。中でも顕著に態度が変わったのは、笹ノ内だ。
「近づくんじゃねぇよ」
「別に近づいてないし」
 内心傷つきつつも、呆れたように周りに聞こえるように、晴は言った。
「俺の半径一メートル以内に来んじゃねぇ」
 それって、この時点でアウトじゃん。晴が鼻で笑うと、余計に笹ノ内がキレてくる。
「おいそこ、聞いてんのか」
「すんません」
と、晴を睨みながら笹ノ内が言う。
 晴の正体が明らかになるまでは、隊員たちの精神状態も鑑みて、桜雅と晴がペアになり、通常業務としての町の見回りをすることになった。
 一階に降りていくと、
「ソーシャルディスターンス」
と、森守さんが前のようにビニール傘を開いてきたところを、持ってきた折りたたみ傘で、晴はすかさず風圧を保護した。出会った時のままの態度の森守さんが、一番気楽に感じてきた。

 寿人と共に施設に出ると、晴はどうしても気になっていたことを口にした。まだ、蜘蛛になって殺されそうになったところをかばってくれたお礼を、言えていなかったからだ。
「あの、この間はありがとうございました」
「何が?」
「何ってその……、昨日の件で」
「別にいい。お前は貴重なサンプルだからな。死なれたらこちらが困る」
「ああ、はい。そうですね」
(素直にお礼言って損したわ)
話を変えるように、寿人は口を開いた。
「笹ノ内なんだが」
 ビクッと思わず晴は反応してしまう。
「あいつは、お前と同じように蜘蛛に襲われて生き残ったんだ」
「えっ」
「両親は亡くなり、唯一生き残った妹さんが、今も病院で目を覚まさない」
 ああ、だからあんな、と晴は納得した。自分でもそうしたに違いない。
「だから、ああいう態度を許してやって欲しい」
「別に気になってないですよ、あんなの……。そう、昨日気になったんですが」
 話を変えるように、晴は言う。
「なんだ」
 晴は、ふと昨日の屋上でのことを思い返した。あの落下は、晴が自ら落ちたのではない、あれは確実に悪意があったのだ。
「昨日、あの時誰かに押されたんです」
「何……?」
「確かに、ドンっと押された感覚があったんです。確かにあの行為には、悪意がありました」
「いいか、絶対にこのことは他の誰にも言うな」
寿人は注意深くあたりを見回す。
「本部に敵のスパイがいるかもしれない」
「敵?」
「いいから他言無用だ」
 そういうと、寿人は本部から距離をとると、どこかに電話をかけ始めた。
「俺だ。後日会いたいんだが……、ああ、わかった」
 晴は、ひっそりとため息をついた。なぜ自分ばかりがこのような目に遭うのか。何かとてつもないことに巻き込まれている気がしてならない。
 問題が起きたのは歩き始めてから少し、晴が横断歩道を渡ろうとしたときだった。何もない空間に、晴の右手がくっついてしまったようにその場から剝がれなくなった。物凄い重さを感じながらやっとのことで右手を引き剥がすと、今度は左手が空中に取り付く。ついてこないことに不信を持ったのか、寿人が後ろを振り向いた。
「おい! お前……、何やってんだ?」
「知りませんよ私だって!」
 晴は、車が待つ列の方向を向きながら、パントマイム状態で横に進みながら横断歩道をのろりのろりと進んでいく。
「お母さん、あのお姉ちゃん何してるの?」
「しっー、見ちゃだめ」
「もぉおおおっ」
 赤になる前に何とか信号を渡り切るころには、晴はぜぇぜぇと息を切らしていた。
「どうにかなんないのか、それ」
「なんないんです」

ザザッ——巨大蜘蛛が××市に発生中。増援が必要とのこと。至急、桜雅さんも現場に急行してください

「仕事だ、行くぞっ」
「はい」

「これは、一体?!」
 寿人が声を出すほどに、その場は悲惨なものだった。一般住宅の中を、二匹の蜘蛛が暴れ回っている。一体は瀕死状態に近い状態だったが、まだもう一匹へ与えられたダメージは少なそうだった。
「住民の避難は?」
 近くにいた隊員に、寿人は現場に着くなり尋ねる。
「ほとんどの住人が完了していますが、母親とその子供が未だに連絡が取れてないということで」
「お前はこれ持っとけ」
 寿人に渡されたのは、小型のナイフだった。そそくさと、晴の周りから人が離れていく。
 母親と子供の名前を叫びながら、寿人と晴は閑散とした住宅街を進んでいった。
「ここです! 助けてください!」
 どうやら、恐怖でその場から動けなくなってしまったようだった。

ズシン……ッ、ズシン……ッ

「あぁっ」
 母親が、子供をぎゅっと抱きしめる。
 寿人は、母親と子供の無事を目で確認すると、蜘蛛の元へ切りかかる。寿人の日本刀が、鮮やかに蜘蛛の肉を引き裂いた。

ぐぉおおおおおおおっ————

「浅かったか」
 寿人は、素早く体を翻し、再び蜘蛛に切りかかる。
「大丈夫です、今のうちに早く行きましょう」
 晴は、母親の肩に腕を回し子供と手を繋いで、避難場所へ送り届ける。
「あ、ありがとうございました」
「いえ、お礼なら今戦っている桜雅隊長へ」
 晴は、素早く現場に戻っていく。大きな音が聞こえてくる。想像以上に、戦いは長引いているようだ。 蜘蛛の足が、刀を振り下ろそうと飛んだ寿人の足を投げ払い、寿人の体が宙に浮いて、晴は声を上げた。
「隊長っ」
蜘蛛が、こちらを見るような気がした。寿人は、気を失っているようだ。早く、助けなければ。晴は、正面から走って行って、蜘蛛の足元をもらっていたナイフで傷つけた。

ぐぉおおおおおおお————

 蜘蛛が大声を上げる。晴の攻撃が効いているようだ。ナイフでは、蜘蛛に対しての殺傷力は少ない。だが、寿人から引き離せるくらいの時間稼ぎにはなるはずだ。蜘蛛は晴に向かってくる。大きなものに対し、晴は細かく動き回り、次々に四本目、五本目と足にダメージを負わせて言った。
「ああ……っ!」
 七本目の足を傷つけようとしたとき、晴の手が、空中にくっつく現状がここで起きてしまった。前から向かってくる足をもろに食らってしまい、晴はそのまま吹っ飛んだ。すかさず受け身をとるが、上手く立ち上がることができない。ナイフでは、太刀打ちできない。晴は、寿人の刀をめがけて這いつくばっていく。
 その時、ホイッスルのような音が鳴った。
「な…、なに……?」
 白い煙が辺りを覆う。
「うぅっ、ゴホッゴホッ」
「なんだ……、これは」
 晴の咳の音に、寿人も目を覚ましたようだった。
「大丈夫か、南城」
「私は大丈夫です。隊長は?」
「俺も気を失ってしまっていただけらしい、問題ない」
 ほっと、晴は息をついた。
「あの親子は?」
「避難場所まで誘導しました。もう安全なところにいると思います」
「そうか、よくやった」
「いえ……、私は別に」
 そのとき、煙の間から男の後ろ姿が見えた。
「柊也……っ」
 ぽつりと寿人が言葉を零して、よろよろと立ち上がる。そして、般若も驚くような怒りを超えた表情に変わって叫んだ。
「おい柊也っ。てめー、何してやがるっ」
 白銀の長髪が風にゆらゆらと靡かせる柊也と呼ばれた男が、こちらを向いた。
「あなた、誰なんですか?」
 寿人を見ると、男は何も分からないかのように、柊也と呼ばれた男が言葉を発した。
「なん…だと……」
 寿人が呆然としてる間に、柊也はその場を離れるように後ろを向く。
「おい柊也っ」
 僅かに後ろを振り返るそぶりを見せるも、柊也は、まだ煙立ち上る中に姿を消した。
「あれは…、あれは一体誰なんですか? 桜雅隊長は知ってるんですか?」
「知ってるも何も……」
 怒りに体を震わせて、その場に立ちつくんでいた寿人は、こぶしを力強く握った。手のひらに刺さった詰から、ぽたぽたと血が流れていく。晴にまで、歯ぎしりの音が聞こえてきそうなほどだった。寿人は、こちらを振り返り言った。
「あいつは、雪美を殺した張本人だ」
「え……っ」
「俺とあいつの……、雪美と同期だった男だ」
 途端、あの日の記憶が晴の頭の中を駆け巡る。蜘蛛と対峙して逃げる自分、理性を無くした男、襲われて応戦する自分、噛まれて意識を失う自分。その男は……。
「お前の兄貴を殺したやつは、あいつなんだっ!」
 晴は、言葉を失ったまま寿人を見つめた。

プルルルルッ、プルルルル……
 寿人の端末が音を上げる。柊也が消えた方向を見ながら、寿人は端末の画面を見た。

百合谷愛澄江————

 ふっと息をつくと、寿人は応答した。
「もしもし」
「……」
「おい、聞こえてるのか?」
「ふふ、はははは」
若い男の笑い声がする。
「誰だお前はっ!」

プーッ……、プーッ……、プーッ……

「くそっ…、愛澄江……っ」 
 嫌な予感に、寿人の額を汗が伝った。

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