「はじまりは蝶」2話

「ここ、だよね?」
 わかってはいるんだけど、夢碧さんに確かめずにはいられなかった。
木造りで『とどのつまり』と書かれた看板がかかる店は、バーにも関わらず和装なのがまず不釣り合いだった。ドアの下の隙間から、マイナスイオンみたいに勢いよく異様な空気が放たれている気がする。霊感センサーがビビッと働いて、俺はゴクリと息を呑んだ。

 恐る恐る取っ手を握って固まっていると、じわっと手の甲が温かくなった。
「尾長君、一緒に開けよう」
「うん」
 俺は嬉しいのと恥ずかしいので、むず痒い気持ちになりながら夢碧さんに頷いた。ごつごつした太い取手を、せーので一緒に引いた。
 
キキイイイイイイ
 
 亀が首を伸ばすときみたいに、なるべく体を外に残しながら低い姿勢で中を覗き込んだ。何故って、そりゃいつでも逃げ出せるようにさ。「カランカラン」と、頭上から俺たちの来店を知らせるベルが鳴り響く。薄暗い室内は以外にも広くて、外見に似合わず思い切り西洋風だったから、違う世界に飛ばされてしまったかと思った。
「いらっしゃい、お二人様ですか?」
 はっとして声をした正面に目を向けると、目深に帽子を被ったマスターらしき男性が、ボトルが壁一面に並んだカウンター越しから話しかけてきた。これがまた、渋いっていうか、俺が到底できないような味のある声をしてるんだ。
「あ、はいっ」
 俺がしゃんと姿勢を正すと、毬が連なっているような、暖簾みたいのに頭が当たって地味に痛かった。店内の雰囲気に全く合わないそれを見上げて、二、三秒マスターがこれで何を表現しているのかを考えようとした。けどやっぱりよく分かんなくて、もう一度頭を下げてから、俺たちは中に入った。
見るもの全てが新鮮で、いつもと違う空気にちょっとばかし気後れしてしまった。沢山キョロキョロしてしまうが、止められない。薄暗い店内にはジャズがしっとりとかかっていて、低い椅子と革の椅子がセットになっている席がいくつかあった。
端っこの方に、男の人がワインを飲みながら背を向けて座っていた。俺たちは、どうすればいいのかなんてよく分からないから、とりあえずマスターがいるカウンター席に向かった。
「お好きなところへ、どうぞ」
 マスターは、帽子の下でニコッと笑ったと思う。見えないけど。どう考えても俺たちじゃ場違いだと思ってたから、ここは君たちの来る場所じゃないって言われなくて安心した。後ろから夢碧さんが顔を出して、「あの、すいません」とマスターに遠慮がちに話しかけた。
「はい」
「えっと、お手洗いはどちらにありますか?」
「右後方の、金魚の簾がかかった奥にあります」
「簾?」
言われた通りみると、シックな雰囲気とは明らかにミスマッチな、ニシキゴイが描かれた簾がかかっていた。さすがマスター。この人は、どういうコンセプトで作ったんだろうか。
「ありがとうございます。尾長くん、ちょっとごめんね」
「あっ、いやいやいやいや。どうぞごゆっくり」
 俺ははっと返事をして、夢碧さんを見送ってから肩を落とした。だってさ、何してんだろ俺って思うじゃん? 大人の男ってのはさ、こういうことをスマートに聞くべきなんだよと思うんだよ。誰に聞いたわけでもないけどそう思うんだ。
ふうっとため息をつくと、今の俺よりはるかに大きいため息が聞こえてきた。聞こえてきた方向を見ると、カウンターの一番左奥の席に、ズーンと音が聞こえんばかりに、項垂れている男の人が見えた。顔が良く見えないのが余計に興味が掻き立てられて、俺はスーッと近くに近づいていった。
男の人は、テロテロのハワイアンなシャツに、七三分けで後ろに髪を撫でつけた髪形をしている。服と髪への気合いの入れようが不釣り合いだ。いわゆるちょー柄が悪い感じだ。俺は、彼を極悪オールバックさんと命名することにした。机の周りには、セクシーなお姉さんたちの写真が広げてあって、ちびりちびりと中途半端に口をつけたグラスも氾濫している。極悪オールバックさんはうんうん唸って、時折しゃっくりをしながら、頭を抱えて項垂れている。彼の周りの空気が淀んでいる気がするぞ。
そうだ、この人が負の大魔神だ!
「ああ? なんだぁ?」
「ああっ、すいません」
 しまった、いつの間にか真横で呟いてしまってたらしい。極悪オールバックさんは振り向いた瞬間目を引ん剝くと、今までの様子がウソみたいに、素早く動いてセクシー女優の写真を机の端にまとめた。極悪オールバックさんは、数回咳ばらいをして言った。
「な、なんだね君は」
「ええっとそのー、ため息をしていたから大丈夫かなーと思って」
「はぁああああーーーー」
 柄悪オールバックさんはひと際大きいため息をつくと、テカテカにセットした髪を後ろに掻き撫でながら、椅子に体重を預けた。
「坊主~これが大丈夫そうに見えるかい?」
「いえ、全然」
「だよなぁあああ~」
 極悪オールバックさんは、天を見上げて気の抜けたよう声を出した。顔は赤くないけど(むしろ青緑っぽく見える。大丈夫だろうか)、興奮気味に声を上げる様子からすると、かなり出来上がっているように見えた。父さんも普段はあまり話さないけど、お酒を飲んだ時だけ狂ったように話し出すからわかるんだ。あまりに別人だから、僕はそん時だけ別の誰かが降臨していると思ってるんだけどさ。
極悪オールバックさんはお酒を飲もうとしてグラスを傾けたんだけど、あまりに急な角度だったもんで見事にむせてしまった。一口飲むごとにせわしなくグラスの種類を変えてるもんだから、目の前で手品を披露されているみたいだ。
「坊主~良かったら俺の話を聞いてくれないか?」
あれ、なんか全然大魔神じゃない? 実際俺も落ち込んでるから影響がないのかもしれない。全然悪い人ではなさそうだし、夢碧さんもトイレに行ってるから、それまで丁度いいかもしれない。
俺はちょっと間の後に、「ええ、いいですよ」と実にスマートな返事をした。
「君、いいやつだな~。ちきゅうもまだまだ捨てたもんじゃないね。お~い、ますたぁ~。この坊主に一杯」
「フランクさん、先ずはその子を座らせてあげないと」
 戸惑っていると、渋いマスターが近くに来て極悪オールバックさんもといフランクさんに言ってくれた。
「あはーはー、そうだった、そうだよな。まあ隣、座んなよ」
 黒髪に黒い瞳をしているけど、フランクさんって名前的にやっぱり海外の人なのかな? 言われるがままに、でもこわごわと少し高めの丸椅子に腰かけた。足が宙にプラプラするんだけど、宙に浮かないようになるべく浅く座った。それでも足の長さが足んなかったけど。
「ええっと、俺お酒はちょっと」
「そりゃ見りゃわかるさ」
内心ホッとしたね。
「あの、お酒以外ってあったりしますか」
「もちろんございますよ。オレンジジュース、トマトジュース、ミルクティーのご用意があります」
とマスター。
「あの、ちなみにお値段っていうのは」
「なんだ坊主、そんなもん気にしてたのか。俺の奢りだよ、お・ご・り」
「え、でも」
母さんには、人にお金を借りるなって言われてるし。
「フランクさんはこうなると、言うこと聞きませんから」
 マスターの顔は帽子で見えないけど、柔らかい表情をしている気がした。思ったより優しいおじさんって感じなのかも。フランクさんがそれに対して満足そうに頷いている。どうやら本当みたいだ。
「がーはっはっはっ、そうだぞ。これも社会勉強だ、な?」
 フランクさんに背中をバシバシ叩かれて、どうしようかと俺はマスターの方を見ると、一度深く頷いてくれた。
「えっとじゃあ、トマトジュースで」
大人のやり取りはこうやって始まるんだな、と俺は感心した。ほんとはオレンジジュースが良かったんだけど、夢碧さんの手前子供っぽい気がしたからやめたんだ。大人の世界に入るなら大人なものをってね。
それにしても、中学生が飲めるものがあるとはいえ、三つともずいぶん極端なチョイスだ。やっぱりマスターは変わった人なんだな。
「かしこまりました」
 グラスのそばにカラフルな袋に包まれたチョコレートが盛られた皿を眺めていると、「おおっとー、君はもうちょっと大人になってからな」とフランクさんに皿を遠のけられた。チョコレートに子どもも大人もあるもんかと思うんだけどさ。
「ここだけの話なんだが……」
フランクさんはオレの耳元に手を寄せたから、俺も近づいた。
「俺はさ、今任務中なんだよ」
「はぁ、そうなんですか」
それなのに酒を飲んでいるのかって、ほんとのとこは思ったよ。けど懸命にも俺は黙ってたね。秘密ってやつは得意なのさ。
「約束した期限が来たもんでね、ある人物を連れ帰りに来たんだ。ところがどっこい」
「どっこい?」
 力強くフランクさんは手のひらでテーブルを打つと、目を潤ませた。
「ここが気に入ったから帰らないって、そういうんだぁああああ」
 フランクさんは一気にグラスを煽ると、そのまま机にグラスを振り下ろした。俺は、あまりの音の大きさにグラスが割れるんじゃないかと身構えたんだけど、何にも起きなかった。よくよく見ると、ガラスだと思ってたのは実はプラスチックだったようなんだ。ちょうどマスターがトマトジュースを持ってきてくれたところで、そっと顔色を伺うと、仕方ないというように首を振って、店の奥に姿を消してしまった。  きっと、フランクさんに破壊されてきた歴代のグラスたちを思い出しちゃったんだろうね。
隣では、大の大男がしくしくしてるもんだから、逆に俺は落ち着いてきちゃって、どうも元気づけないとって気がしてきた。
「なんだかその、色々と大変なんですね」
「そうだろ? そう思うよな」
 圧が、すごい。一生懸命頷いていると、フランクさんが「乾杯」とグラスを掲げたから俺も真似をする。
「説得してもいうことを聞かない。あの手この手ですり抜けて、しまいには姿をくらまして行方不明さ」
「えっ行方不明になったんですか?」
思ったよりも事態は深刻みたいだ。
「そうなんだ。かれこれもう一年近くになる」
「そんなにっ?!」
これはただ事じゃないって俺は思ったね。
「とんでもなく頭が良くてね。見つけられずに今この通りさ」
「あの、それで警察には行ったんですか?」
「え、警察? ハハハハハ、事はそんなに単純じゃないのよ」
「そう、なんですか……」
ムムム、よくわからん。世の中には、俺にはよく理解できないことがまだまだあるらしい。
「連れ帰らなきゃ、俺がとばっちりを食らうってのに」
 「俺の首が危ない」と連呼するフランクさんの仕事は、そうとうな忍耐を要するものなんだろうなと俺は思った。大人の世界って本当に謎だらけだ。
「あの、良かったら俺話聞きますよ」
フランクさんには酷だけど、自分と全く違う世界にちょっと興味があるんだ。学校の勉強は全然好きじゃないんだけどね、図鑑を見て知らない蝶々の名前を知ったりだとか、そういう自発的なやつは好きなんだ。
「坊主だけさ、そんな風に言ってくれんのは」
「いやいや、そんなこともないでしょ」
「まさかっ、まさかこの銀河系に俺の話を聞いてくれる奴が、マスター以外にいるとは」
 つーとフランクさんの瞳から涙が零れた。ドラマでもなかなかお目にかかれないくらい綺麗な流れ方だったな。銀河系って、フランクさんはずいぶんと変わった表現をする人だ。
「坊主、今歳いくつだ?」
フランクさんは日ごろの苦労を話すうちに気分がずいぶん落ち着いたみたいで、俺に話を振る気になってくれたらしい。
「ええと、一三歳です」
厳密に言うとまだなんだけどさ。もう少しなんだから嘘じゃないだろ。
「じゃあ、もしかして中学生かな?」
「はいそうです」
「学校の方はどうだい?」
すっかり大人の社会について考えていた俺は、突然さっきのことを思い出した。そしたら急に俺もむくむく話したくなってきたんだ。
「ちょっと話を聞いてもらっていいですか?」
「もちのろんよ。これも俺たちの仲じゃないか、な?」
ちょいと古臭い言い方をすると、フランクさんは俺の肩を叩いた。
「あのですね、さっき俺、好きだった女の子から告白されたんです」
「くぅううううっ、そりゃ青春だなぁ」
 フランクさんは、途端に目をキラキラさせ始めた。
「俺にもあったよそんな日々が。いやー、懐かしいなほんとに。いわば人生の春というような、夢を希望を抱く若人たちの限られた日常。ありゃーどのくらい前だったかな~、その子の名前は」
「あのーちょっといいですか?」
「ああーっ、スマンスマン。つい若き日の甘酸っぱい日々が戻ってきた気がしてな」
「つい先行して盛り上がってしまった」と、フランクさんは豪快に笑うと、口の前にバッテンを作って頷いた。
「君の話だった。ぜひ続けてくれ」
「えっと、じゃあ遠慮なく。それで、もちろん了承したんです。だってその子、俺がずっと好きな女の子だったんですもの」
 フランクさんは興奮のあまりまた口を開きかけてたんだけれども、すかさず俺は言葉を被せた。
「それで、これから抱きしめようという雰囲気になったときにですね……」
「怖気づいちまったわけだ」
「違いますっ、邪魔されたんですよ」
「な、何とっ! 若者の恋路の邪魔をするとはどこのどいつだ」
「ええ~い、成敗、成敗っ」とフランクさんが机をぐーで叩くもんだから、机の上のものがガタンガタンと移動した。  
ほんとうは邪魔してきた奴らの名前を言ってやりたかったんだけど。
「それがですね、はっきりとは知らないんです。スーツを着てて、とっても変わった名前をしていたと思うんですけど。ええと、なんだっけな」
俺はすっかり頭に血がのぼっちゃってたし、一度聞いただけだから思い出せなかった
「まあ何にせよ、タイミングってもんが分かってないな」
 フォローするように言い、フランクさんはチビリとお酒を飲んだ。
「そうなんですっ。ほんとのほんとにもう少しってとこだったのに」
「はぁー、それは酷いっ」
あの二人の名前が、本当に喉のすぐそこまできているっていうのにやっぱり思い出せなくて、凄く気持ちが悪かった。魚の小骨がつっかえてるみたいな。
 もう一度思い出そうとしていると、フランクさんがお酒を飲んでいるのを見て、俺も急に沢山話したから喉が渇いたことに気がついてね。ごくごくトマトジュースを飲んだ。俺んちのやつより濃い味がする気がした。
「やっぱりね、若者の恋路は邪魔しちゃあいかんよ」
「それで彼女、すんごく怖がっちゃって」
俺の方は怖かった、とはもちろん言わなかった。
「そいつら許せんな」
「許せません。今度あったらただじゃおかないつもりです」
本当にその通りだと改めて思いつつ、俺は空に高くこぶしを掲げた。
「いいぞ、その調子だ坊主。やったれやったれ」
「なんだか俺、元気出てきました」
成り行きとはいえ、ここでフランクさんに会えて良かったと思えたな。
「そうかそうか、そりゃ良かった。まあなんだ、お互い苦労してるけどさ、まあ強く生きてこうじゃないか」
「そうですね」
フランクさんが拳を出してきて、俺は合わせて拳を突き合せた。ちょっぴりごつごつして痛かったんだけど、なんだか俺はこう、年の離れた同士ができた気がして、とても嬉しい気分になった。
「俺は君とその嬢ちゃんのこと、応援してるよ」
「いやーありがとうございます」
 ちょっと照れた。いい人だなあと思いつつ、最後のトマトジュースを口に含んだ。
「お待たせー、尾長く……」
「あっ、夢碧さん」、と俺が振り返ろうとした瞬間、
「お、お嬢さまぁあああああああああ!」
と、『とどのつまり』が展開図になるんじゃないかってくらいの大声量が、隣のフランクさんから響いた。俺はあっけにとられちゃったよ。
フランクさんは、残像が見えるレベルの速さで夢碧さんに駆け寄った。
「お嬢様、本当にお嬢様なんですね」
 フランクさんは、夢碧さんの脇に手を入れて持ち上げたままクルリと回って、俺から2メートルくらい離れた所に彼女を降ろしたんだ。なんなんだ一体? 
俺はやっとのことでジュースを飲み込むと、椅子から降りて二人を眺めた。
フランクさんは、よくご無事でとか何とか言いながら、夢碧さんの頭や肩に触れてから持ち上げて、「本物だーー!」と歓喜の声を上げた。フランクさんが探してた人って夢碧さんなの? 夢碧さんはフランクさんの名前を何回も呼んでるし、やっぱり二人は知り合いなんだ。もっとも、夢碧さんの声は興奮したフランクさんの耳には全く入っていないんだけど。
「ああ本当に良かった。これで! これでよーやくフランクは救われます。お嬢様、とても心配していたんですよ」
 お嬢様かー、夢碧さんの無垢な雰囲気はそういうことだったんだと妙に納得できた。でも、行方不明って、それも一年もの間ってどういうことなんだ? フランクさんと、夢碧さんのやりとりは平行線だ。全く意思疎通ができていない。
ここで「あの~」なんてったって、少しも俺の声なんて聞こえやしないんだな。一応言ってみたんだけどね、こういう時は大きい声が出ないもんなのよ。結局声が掠れちゃったんだ。ちぇっ。
で、仕方がないからさ、フランクさんの席にある、さっきくれなかったチョコレートの皿を引き寄せて、次から次へと口に運んでやったね。ほんとうの事言うとさ、自分だけ仲間外れにされてる気がして、気に食わなかったんだよ。実に子供っぽいことをしてるってわかってはいるんだけどね。こういう時は口に物を運ぶくらいしか方法がないんだな。
それでびっくりしたんだけど、これが今まで食べた中で最も不味いチョコレートだったんだ。こんな代物食べたことがない。ドロドロした苦いのが入ってて、いやまいったまいった。トマトジュースはもうないし、マスターも奥に行ったきり戻ってこない。今すぐ飲み物で流し込みたい気持ちになりながら、俺は二人を見続けた。
「お嬢様、皆も心配しています。今すぐにでもここを出ましょう」
「フランクッ」
フランクさん、相変わらず夢緑さんのことが目に入ってない。
「さあ、船はもう用意してあるんです。そうだそうだ。あいつらも今すぐ呼び戻さないと」
「フランクッたら!」
 夢緑さんは両手をフランクさんの頬に伸ばすと、無理やり自分の方顔を向かせた。
「あっはいなんでしょうお嬢様」
ここでフランクさんは、初めて夢碧さんを見たんだな。
「何度も言ってるけど私、帰らないから」
「そんなあああ」
「だから言ってるじゃないっ」
「というと、お嬢様の想い人というのは……?」
 ギョッとしたような顔をしたフランクさんと目が合った。
「そう、彼が私の好きな尾長くん」
 こっちに夢碧さんがやってきた。輪に入る準備なんてちっともしてなかったんだけどね、手を引かれてフランクさんの元に連れてかれた。
考えてみると、手を繋ぐのは二回目だな。なんて、ふわふわした気持ちになって、手も多分顔も赤くなった。
「尾長くん……」
 夢碧さんの言葉をオウム返しにしたフランクさんと、苦いチョコレートを必死で嚙み砕いている照れ気味の俺は、数秒間見つめ合った。まさか夢碧さんと知り合いだとは思わなかったからさ、恥ずかしいんだよ。
フランクさんは、放心したように俺を見ていたけど、途端に魂が戻ってきて表情を一返させた。
「お、お嬢様はこんなションベン臭いガキが好きなんですか?!」。
「なんだって」って言いたかったんだけど、口ん中がチョコまみれでね、もごもごしたっきり叶わなかった。
「フランク、尾長君はションベン臭くなんかないからね」
 もちろんそうなんだけど、そうなんだけどさ。別にそこをフォローして欲しいわけじゃないんだな。俺は急いで、この世の不幸を詰め込んだような味のしたチョコを飲み込んで言い返した。
「そうだぞ! それに応援するって、さっき言ってたじゃないですか」
「えっ、本当なのフランク?」
「違う違う違う違う、それとこれとはわけが違うんだよ坊主」
なぬぅ。友情が砕けた気がした。俺はがっかりした顔をしてたんだと思う。少し表情を和らげて、諭すようにフランクさんは言った。
「確かに俺は応援してる、心の底からしてるさ。だがお嬢様は例外だ。いいか坊主、もっと外に目を向けてみろ。青春ってのはな~、例えると空に浮かぶ小さな星のような一瞬の瞬きを」
「もう、フランクのわからずやっ」
「ああ、お嬢様っ」
夢碧さんは、フランクさんの長くなりそうな話を遮ると、俺の左腕に手を回した。ちょっとばかりやわらかい感じがして、俺の思考回路が僅かに停止した。
「何度も言ってるけど私、尾長君が好きなの」
「お嬢様……」
ため息をつくようにフランクさんは言った。
「俺も夢碧さんが好きなんです」
再び思考が動き出して、俺も負けじと大きな声で言った。
「ダメだ、ダメだ。今すぐ別れるんだこの分からずやっ」
「いやだっ!」
これだけは絶対に譲れないって、余計に俺は思った。
「別れてください!」
と、フランクさんは今度は夢碧さんに言う。
「だから嫌だって言ってるでしょっ」
「いいから二人とも別れろおおおお!」
「「いやだったらいやだぁああああ!」」
力を出し切って声を出してしまったばかりに、両者ともぜーぜー息を荒げるしかない。だけど、目だけは絶対に逸らさなかった。逸らしてしまった瞬間が負けだって、直感的に思ったからね。
夢碧さんとこんなに心が通じ合ったんだ。それなのに離れるなんて考えたくもない。
少し呼吸が落ち着くと、頭を掻き上げてフランクさんは唸った。
「とにかくだな、何をどう言ったってこの決定は変わらん。いいか。お嬢様はなぁ、嬢様はいずれ……」
 
 バカアアアアアックショイッ
 
 でかいくしゃみの音と共に、あんなに重そうだった『とどのつまり』のドアが、いとも簡単に倒れた。しかも内側に。
「なーにやってんですか、タタン。いい加減その変なくしゃみをやめてください」
「すびません。あのおばあさん、変な粉撒きませんでした?ハクショイ、バクショイ、アークショイッ!」
 あの教室に来た二人組がもう追いついてきた。あの二人の名前はサドとタタンだった! なんで今まで思い出せなかったんだろう。サドは、入口付近でくしゃみを繰り返すタタンを置き去りにして、ツカツカこちらに向かってきた。
どうしよう、捕まっちゃう。思いつつも、俺はその場から動けなかった。けど、サドは俺たちの方は見向きもしなかった。
フランクさんの前に立つと、サドは精一杯顎を上げて頭一個分上のフランクさんを睨みつけた。
「よぉー。お前、こんなとこで何やってんだよ」
俺はそれを聞いてぎょっとした。フランクさんも彼らと知り合いなんだ。
「見ての通り任務中だ」
フランクさんはさっきまでの表情と一変して硬い表情で言った。
「見ての通りって……、ああっお嬢さま!」
始めて気が付いたように、サドがこちらを見て目を丸くした。夢碧さんがびくっとして俺の後ろに隠れた。俺も、さっきと同じように手を広げて、夢碧さんを傷つけさせないようにガードした。もうここには俺たちの味方はいない。
「おい、何手間取ってんだよ」
 サドは、覗き込むように夢碧さんを一瞥してからまたフランクさんを睨んだ。
「お嬢様を説得中だ。だいたい確保はお前らの役目ってことじゃなかったのか?」
 言われた途端、サドは居心地の悪いように身動きして口ごもった。
「確かに学校にお嬢様がいたから、連れ帰ろうとした。そしたらあいつがポカした」
親指でサドがくいっと後ろを指すと、鼻をすすりながら、タタンがこちらに駆け寄ってくる。
「隊長~。さっちゃんがね、ボクのことを叩くんですよ~」
「お前、さっちゃんはやめろって言っただろ」
「うえーーん、またやられた」
「サドお前……」
 責めるようにフランクさんが見ると、サドはツーンと上を向いた。
「ア、アンタたち一体何者なんだっ」
「坊主には関係のない話だ」
 冷たくフランクさんにあしらわれて、俺はショックだった。あんなに気さくに話してくれたフランクさんを、敵だと思いたくない自分がいるんだ。フランクさんの言う通り、夢碧さんが一年も姿をくらませていたんだとしたら、よっぽどの理由があるに違いない。目的はなんなんだろう。夢碧さんに目線を向けたけど、じっと強い目でフランクさん達を見つめているだけだ。何にも聞けそうにないや。
 今頃になって、チョコレートの苦みが更に酷いことになって、口の中が宇宙を制したみたいな味になった。
「やれやれ、これだから庶民は役に立たん。フランク、この任務はオレが引き受けた。いいかよく見とけよ。こういう部類の交渉は、粘り強さというものがものをいうんだ。格の違いというものをお前に見せつけてやる」
 サドはフランクさんを指差すと、とびっきりの笑顔で俺の後ろにいる夢碧さんに話しかけた。
「さあお嬢様、私たちと一緒に帰りましょう」
「嫌!」
「まあまあそうおっしゃらずに」
サドは懐に飛び込んでこいと言わんばかりに腕を広げた。
「嫌だったら嫌!尾長君と一緒にいるっ」
「そんなこと仰らずに。行きましょうよお嬢様、ね?」
 と、今度は片膝を立てて腕を広げてみせる。
「い、や!」
すくっと立ち上がると、サドはフランクさんを振り返った。
「おいこれどーすんだよ」
「格の違いはどうした格の違いは」
フランクさんは、呆れたように右手を腰に当てる。
「うるせぇ! だいたいオレが隊長になるはずだったんだぞ。俺は、なんてったって貴族出身だからなあ」
「なるほど、成績が伴わなかったんですね」
「いらんことは言うなタタンッ」
「うぇーーん」
 ざ、残念なやつすぎる。フランクさんはもちろん、チョコのまずさに悶絶していた俺も半目になった。
「とにかく」
夢碧さんが言葉を発した途端、シンと静まり返る。
「私は帰らないから」
 俺と夢碧さんは、素早くカウンター側に後ずさると三人と距離をとった。フランクさんが顎をしゃくると、タタンとサドが両側から詰め寄ってくる。
「夢碧さん、どうしよう」
「私に任せて」
 夢碧さんは、俺から少し離れると、両手を制服のポケットに突っ込んでから手を高く掲げた。
「あ、お嬢様何を……」
「えいっ」
ボフンッ!
 
ラムネの瓶に入ってるような、空色がかったビー玉のようなものが地面に立て続けに落ちると、一瞬にして視界が白い煙で塗りつぶされた。
「ゴホッゴホッ。してやられた」
「鼻がっ……バッカショイッ!」
「うるさいぞタタン。うわ、けむっ」
「夢碧さんどこにいる?」
 フランクさんたちの声を聞きながら、居場所がばれないように俺は小声を出した。
「尾長くんこっち」
近くにいるはずの夢碧さんに手を伸ばすんだけど、一向に掴めないんだ。ううっ、煙臭い。俺は鼻をつまんだまま声を出した。
「わかんないよ。どこ?」
「待って、今行くから。きゃあっ」
「夢碧さんっ?!」
 俺はフランクさんに夢碧さんが捕まっちゃったんだと思ったけど、「お嬢様どうされましたっ」ていう焦り声で、そうじゃないってことがわかった。
「夢碧さん、夢碧さんどうしたのっ」
「タタン、煙を吸い取るんだ」
「は、はいっ」
 
キュィイイイイイイン
 
 視界が開けてくると、タタンが鼻をつまみながら、片手で掃除機のようなものを空中で動かしているのが見えた。掃除機って言ったけど、俺のうちにあるようなのじゃなくて、トンカチ頭のシュモクザメを、まんま振り回しているような感じのやつ。
「ごほっ、夢碧さんどうしたの? 大丈夫なのっ?」
「お嬢様っ、ご無事ですか、ゴホッゴホッ」
ジェット機みたいな爆音が響く中、俺たちは必死で声を出した。俺の近くには夢碧さんはいない。トンカチ頭の機械に、煙が吸い込まれていく。目を凝らすと、少し離れたところに黒っぽい塊が見えてきた。
「夢碧さんっ」
「お嬢様!」
 さっき夢碧さんがトイレに行った簾の近くで、男の人に夢緑さんが捕まっていた。あんなに所にいたんじゃ、いくら手を伸ばしても届くわけがない。夢碧さんは後ろ手に腕を掴まれていた。あの男の人は、確か端っこでテーブル席に座ってた人だ。背を向けて座っていたから顔なんてわからないけど、フランクさん以外にお客さんはいなかったから、この人しかいない。
夢碧さんは体をよじらせて逃げようとしているけど、子どもの力じゃ全然敵わない。
「お嬢様に何をしている貴様っ」
 フランクさんの声に俺はびくっとした。
「何って捕まえたのさ、クックックッ」
 ピキリ、とフランクさんが額に筋を立てた音が聞こえた気がした。
男の目は、弧を描くように笑っているのに、なんだか笑ってないように見えた。まさに、目にハイライトが入ってないっていうのは、こういう人のことをいうんだな。それが恐ろしくて、不自然でもあった。こんな人を見たのは始めてだ。
「てめー、一体何者だ」
サドが続けて言い放つ。
「俺かい? おれっちはな、ヨモヤマ星のお尋ね者よ」
 聞き間違いかと思ったんだけど、ヨモヤマ星ってやっぱりこの人は言ってたんだな。県とか市とか町じゃなくて星? っていうのがよくわかんないや。そういう場所が日本にあるんだろうか。少なくとも、俺は今まで聞いたことがない。もうちょっと、社会の授業を頑張っておけばよかったかもしれない。
フランクさんたちを見ると、やっぱり驚いた顔をして固まっている。
「何っ、お前まさかっ」
え、フランクさん何か知ってるの?
「そう、おれっちはヨモヤマ星のネルヴァル様だ」
わからん。知らないうちに、この土地は物凄く国際化された市になっていたらしい。一日でこんだけ沢山の海外の人にあったのは始めてだ。まあ最近旅行客が多いっていうもんな。俺は、聞いても全くもってピンと来なくて、黙っている他ない。
「でもネルヴァルは監獄の中なんじゃ……」
遠慮がちにタタンが声を出した。
「けっ、あんなもんおれっちみたいな天才には朝飯前よ」
「お嬢様を離せネルヴァル!」
刑務所からの脱獄囚だなんてとんでもないやつだよ。超危ないって。早く夢碧さんを助けて。フランクさんたちに、俺は視線を送る。すると、フランクさんたちへの興味を失ったように、ネルヴァルが俺に視線を移した。ひぇええ、と俺は心の中で悲鳴を上げた。
ネルヴァルのギロギロした黄金の目が、舐めるように僕を見た。
「へ~ボクちゃんそうなんだね」
「な、なにがですか?」
くそぉ、夢緑さんの前だって言うのに声が震えてるんだ。
「可哀そうにね、何が何だかわかんないよな~。でも仕方ない、発展途上惑星の住人なんだもの、ねぇ?」
 ネルヴァルが舌なめずりをする。何の話なのかさっぱりだ。
「おいやめろっ」
 フランクさんが叫ぶのをネルヴァルはちらと見ると、今度こそ面白そうに眼を細めた。
「そんな低能のお前に、この俺様が特別に教えてやろう」
「なにを教えるって言うんだ」と言い返したかったところで、俺は言葉を失ってしまった。ネルヴァルの体がぼこぼこと蠢き始めた。ホットケーキを焼くときに、生地がぷつぷつなるときみたいな具合だ。顔が横長に変形していく。盛り上がった皮膚から鱗のようなものが生まれてきて、全身が爬虫類のような鈍く光る色に変わった。ズボンを突き破って、トカゲのしっぽみたいのが出てきた。先っちょに爪みたいな尖ったのがついている。
次の瞬間、ネルヴァルの首がろくろ首みたいにオレの方に伸びてきた。
「うわぁああああああっ」
今度こそ、俺は絶叫した。そして大変情けのないことに腰が抜けてしまった。おかげで上手く力が入らなくって、死に物狂いで後ろに手をついて下がった。ネルヴァルの頭がどんどん近づいてくる。手がもたついて、後ろに下がるテンポが遅れた。とん、と頭がさっき座っていた椅子に当たって動けなくなる。
「うぅ……」
真ん前にネルヴァルだったものの顔がある。獣のような独特な臭いが鼻を突いて少し顔を背けた。
「はあっ、ばっ、化け物っ」
 思うように息が吸えなくて、走った後みたいに呼吸が乱れた。ネルヴァルは俺を見て、満足そうに笑った。
「あは~愉快愉快。この瞬間が快感なんさ。けどよ~化け物ってのはないよな~えぇ?」
言いながら顔が左右にゆらゆら揺れる。
「俺はな」
ネルヴァルは首をろくろ首みたいに上に伸ばして、俺を見下げるようにして見た。何をされるかわからない恐怖に、俺は必死で体を仰け反らせた。
「おれっちはれっきとしたヨモヤマ星の住人、ネルヴァル様よ。僕前さんにとってみりゃ、宇宙人てやつだな」
「うちゅう、じん?」
 俺は頭がおかしくなってしまうかって思ったね。いや、既に間の前で見ているこの光景事態おかしいのだけれどもさ。宇宙人っていうのはあれか。未確認生物ってやつ。円盤みたいのに乗ってきて、マイフレンドって人差し指を合わせてピカーンと光る、みたいなやつか? でも、このネルヴァルというやつ、どう見ても友好的な関係を築いてくれそうにないぞ。
「おい貴様、条例違反だぞ」
サドがポケットから銃みたいなものを取り出して、ネルヴァルに構えた。これも刑事ドラマに出てくるような形じゃないけど、あれは確かに銃だ。
「やめるんだサド」
フランクさんは、銃を隠すようにセドを制した。
「オールバックの言うとおり、その危なっかしいもの、今すぐに下げてくれ。犯罪者に条例も何もないぜ。第一こっちにはお嬢さんがいるんだから、さっ」
そう言って、ネルヴァルはしっぽを夢碧さんの体にスルスル巻きつけると、しっぽの先を首元に押し当てた。
「うっ」
夢碧さんの傷一つない肌に、紫の部分が食い込んで、夢緑さんは喉の奥で呻いた。
「貴様っ!」
「しぃーーーー」
 ネルヴァルが一瞬しっぽをに力を入れ、また夢碧さんが苦しそうに声を上げた。こんなの卑怯だ。俺は、自分史上一番睨みを効かせてネルヴァルを見上げた。震えてたけど。
「おぉ~怖い怖い」
 そんなこと思ってもない癖に、ネルヴァルはククッと笑って首を上下に大きく動かした。
「あは~。ねえ君、知りたいかい?」
 俺は無言でネルヴァルを見上げた。
「君だけ知らされてないんだ。これってひどい話だよな?」
「なに、が?」
「おいやめろっ」
「ならお前さん方から言うか?」
 フランクさんたちを見ると、気まずげに目を逸らされた。明らかに何かを隠されてる。確かに、フランクさんと夢碧さんが知り合いだったことは知らなかったけども。ネルヴァルが宇宙人だってことも。
「ほらね? 一人だけ知らないなんて不平等だもんな~~」
ネルヴァルが、二つに割れた舌をチロチロと覗かせる。
「なぁ?」
ネルヴァルの瞳がぎらついて俺を見つめる。知りたかったことは、何度も聞こうとしたけれど、誰も教えてくれなかった。関係ないとまで一喝されちまったんだ。お前は部外者だって、面と向かって言われてるようなもんだよ。けど、もしかしてこいつなら俺の知りたいことを教えてくれるかもしれない。敵だけど、最も早く色々と知ることができるかもしれないんだ。どうせ夢碧さん以外はみんな敵。そう思うと、ネルヴァルのは魅力的な誘いに聞こえた。「やめろっ」と叫ぶフランクさんの遮りも、俺には聞こえていないも同然だった。
「聞きたいだろ?」
静かに俺は頷いた。ネルヴァルの口が、口裂け女のようににぃっと横にひかれた。
「実はな」
もったいぶったように、ネルヴァルが言葉を止める。空気が張り詰めた、気がした。
「こいつらも人間じゃないんだぜぇ?」
「は……?」
急にどうしたんだこの宇宙人。頭でもおかしくなったんだろうか。だって、あまりに現実離れした話なんだもの。現に、目の前の光景も嘘みたいだけど。
「そんなわけないですよね、フランクさん?」
俺はフランクさんを見た。でも、フランクさんはネルヴァルを見たまま何も言ってくれないんだ。俺はちょっぴり不安になった。
「なんで誰も何も言ってくれないんですか。あ、もしかして失礼なこと言われて怒ってます?」
 妙に俺はハイだった。もしかしたら、って可能性を消したくて仕方なかったのさ。だから、口からマシンガンのごとく言葉が飛び出した。
「大丈夫です、俺はそんなの信じてませんから! いきなり宇宙人って言われてもって感じですよ。秘密っていうのは、ひょっとして最高機密機関のことですか? やっぱりそうなんですよね? それなら納得だ。だって、その銃もよくよく考えると昔見たメン・イン・ブラックに出てきた宇宙人退治の武器に似てるもの。ね、そうでしょう?」
「坊主、本当のことなんだ」
「ええ、そうですよね。え……?」
「俺たちは宇宙人なんだ」
「ははは。う、嘘、ですよね?」
 乾いた俺の笑い声だけが辺りに響いた。フランクさんも、その横の二人も大真面目な顔をしていた。俺は口を、目を丸く開けたままに、フランクさんをそれはもうよく観察した。フランクさんたちは、どこからどうみても人間だ。違うところなんて一つもない。でも、ネルヴァルも初めはそうだったし。
もう一度笑い飛ばそうかと思ったけど、出来なくて最終的には口を閉じた。だって、フランクさんが嘘をつかないような人だってこと、短い時間だけど俺には分かっていたから。だんだん脈が速くなってきた。
「僕ちゃんには刺激が強かったかな? もう一つ、教えてやる。このお嬢さんだって宇宙人だぜ」
 ネルヴァルは、僕弾発言を投下した。
「嘘に決まってるじゃないかそんなのっ」
 さすがにこれについては頭に来ちゃったな。何を言ってるんだこいつは。夢碧さんのような乙女に対し、なんという許されざる発言! さっさと否定してくれないフランクさんに俺はちょいとばかしイラッときた。
「なにむきになってるんだよ僕? こいつらと仲間なんだから当然だろう?」
「そんなっ、そんなわけないっ」
 今まで一緒にいたクラスメイトが、恋人が宇宙人でした、なんて言われて感情的にならないわけがない。
「夢碧さん、違うよね?」
 すぐに否定してくれると思った俺の予想を覆して、夢緑さんは首を振ってくれなかったし、おまけに顔までみてくんない。なんで、なんでだ!
「おれっちはこんなことも知ってるんだぜぇ? このお嬢さんの秘密をな」
「夢碧さんの、秘密?」
 聞きたくないというのに、俺の耳はいつも以上に耳の役目を果たそうとしているようだ。
「そうだ。このお嬢さんはな、自分の星の王子様と結婚したくないから地球まで逃げてきたって話だぜ」
「おい止めるんだ!」
遮ったフランクさんを、ネルヴァルは鼻で笑った。
「何を今さら。今宇宙で一番ホットな話題じゃねぇか。頼りない王子様のお守りが嫌で、地球に逃げてきたんだろ?」
 ウソだ。
「そんな訳ないっ、夢碧さんそうだよね?」
 俺は視界がじわってしてきた。もしかしたら、昨日夜遅くまで起きてたせいかもしんない。俺は、睡眠が足りないと妙に気持ちが弱っちくなって、直ぐ涙が出てきちゃうんだ。夢碧さんは、口を結んだまんま、下を向いた。脈がどくどくいってる。
「だって僕は夢碧さんと……」
 「恋人になったのに」と最後まで言えなかった。うっかり一人称を戻してしまったけれど、それどころじゃなかった。
「僕のこと、好きって言ってくれたのは嘘だったの?」
 恥ずかしそうに僕の名前を呼んでくれた夢碧さん。フランクさんに好きな人だって宣言してくれたときの夢碧さん。
「僕は、王子様の変わりだったっていうのっ?」
いつも僕が見てきた、みんなの憧れの可愛い女の子。その全てが、全部が全部、作り物だったっていうの?
「ねえ夢碧さん、何か言ってよっ」
「何度言っても無駄さ。ぼくちゃんはこいつに利用されてるんだよ」
 うるさいっ、お前なんかじゃない。僕は夢碧さんの口からちゃんと聞きたいんだ。僕は真っすぐに夢碧さんを見つめた。でも夢碧さんは、彼女は僕を見てくれなかった。ああ、なんてことだ。くらくらする。
「ギャーハッハッハ」
ネルヴァルの笑い声が頭の中を反響する。自分を観察するネルヴァルと、夢碧さんの顔が重なる。夢碧さんの顔が変形し、ボツボツの鱗が体を包み、醜い顔に変貌する。自分でした最悪な想像に吐き気が込み上げて、咄嗟に口を手で塞いだ。
「こいつぁは傑作だぁっ」
 頭がガンガンする。どこに立っているのか分からないくらいに、足元が、世界が回ってる。恐ろしい考えを読めようと思えば思うほどに、頭の中ではおぞましい絵が広がる。
「んぁああああっ!!」
僕は塞いでいた手を思い切り振り払って立ち上がった。普段ならなんて事のない動作だったのに、俺は前につんのめった。
「ウゲェエエエエッ!」
ブヨッと頭に変な感触が伝わる。僕の頭が傍にあったネルヴァルの頭にクリーンヒットしたのだ。
上の方から、頭がぶつかった音とネルヴァルの絶叫が聞こえる。もしかして、天井まで到達したのかもしんない。
ここで言っておくと、僕はすんごい石頭なのだ。なんでわかるかっていうと、ずっと昔に友達とうっかり頭をぶつけてしまったとき、僕はなんともなかったけど、向こうだけ綺麗なたんこぶを作ったんだ。そん時に保険の先生が、こんな石頭今まで見たことないって言ってたもの。
僕は前のめりに膝をついてしまってもう一度立ち上がろうとしたんだけど、どうにも上手くいかずにそのまま床に倒れこんでしまったんだ。あれ? おかしいな。どこか気分も悪いんだ。でも、夢碧さんに聞かないと。
「ゆめ、みどりさん……」
 ああ、ダメだ。やっぱり世界が回ってる。
ゆめみどりさん。
 僕は、何度も同じ言葉を繰り返した。実際は声が出ていたかもわからないけど。
 ネルヴァルの言ってることはホントなの? 噓だって言ってよ、僕の事どう思ってるのかちゃんと言って。
本当は色々言いたかったけど、馬鹿みたいに「夢碧さん」としか言えなかった。実際は声も出ているかも分からなかった。
 意識を手放す前に、「ごめんね、尾長君」という声が聞こえた気がした。

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