「にがいおもいで」
湯気の立ったコップを手にし、コーヒーを流し込む。香ばしい豆の香りと苦味が引き金となり、今は懐かしい記憶が頭を駆け巡った。
あれは、小学一、二年生の頃のことだ。
私は、夏休みに祖父母の家を訪ねていた。
一人ひとりに喜びそうな手土産を渡すこと、それが私の恒例行事だった。
それぞれに渡すものをあれこれ想像する時間、渡した時のみんなの喜ぶ顔、ありがとうと言ってもらえる瞬間が、心から嬉しかった。
この年は、確か祖父には私作の何かの絵だっただろうか、正直なところあまり覚えてはいない。
ただ、祖母にあげたものだけは、今でも鮮明に覚えている。かなり渋い色合いをした、パッチワークの巾着袋だった。
実は貰い物だったのだが、子供が好むものとは程遠いそれは、どうしても使う気が起きなかった。
何を渡そうか悩んでいた私には、巾着袋は祖母にぴったりだと思った。
「これ、里奈ちゃんが作ったの?」
そう聞かれたとき、頭で考える間もなく口が動いていた。
「そうだよ」と。
祖母は感心したように巾着袋を色々な方向から眺めて、私を褒めてくれた。だが、私は頭が締め付けられたような感覚に陥った。
ただただ喜んで欲しい、自分を凄いと思って欲しい気持ちだけが先行してしまったのだ。
「本当は違うの」たった一言が言えなかった。
祖母に嘘をつくような子だと落胆されたくはない。大きくなるにつれ、祖父母の家に訪れる機会も少なくなり、真実を打ち明けずに、時だけが刻々と過ぎていった。
大学受験の年、祖母が倒れた。家族と共にすぐに老人ホームに向かった。
祖母は変わり果てていた。
その後も会う度に祖母は痩せ細り、記憶も不明瞭になっていった。他人のようにぺこりと頭を下げられて、私が孫なのかもわからない様子だった。この状態では伝えられない、そう思った。
数ヶ月後、祖母が危篤だと知らせを受け、学校を早退し、電車を乗り継いで祖母のもとへ向かった。介護用のベッドに横たわり、ゼーゼーと息を荒げている祖母がいた。
たまたま、祖母と二人きりになった瞬間があった。直感的に今しかないと感じた。
早くしないと誰かに聞かれてしまうかもしれない。そんな気恥ずかしさもあった。
あの時伝えられなかった言葉、「おばあちゃん、ごめんね」を言った。
その言葉に、返事はない。聞こえていたかもわからなかった。
帰宅してから、祖母が亡くなったという電話がかかって来た。祖父に、初めてあの時のことを話した。
「おばあちゃんは気にしてないよ。孫が来てくれるだけで充分嬉しいんだよ」と祖父は言った。
過剰に気にしすぎていただけかもしれない。
祖母がちょっとのことで怒るような人だと思っているようで、失礼な気さえした。
だが、子供なりの真剣な悩みごとだったことには間違いないし、今では大切な思い出の一つだ。
それに、自己満足かもしれないが、最後に直接謝ることができて良かったと思っている。
すっかり冷めた飲み物を口に運ぶ。
冷めたコーヒーは、心なしか苦くなくなったような気がした。
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