ご自愛が敗北した日

2019年11月、わたしは診断書の入ったカバンを振り回しながら家路についていた。初めての心療内科での診察は思った以上にあっけなく終わり、「まずはゆっくり休んでください」の言葉とともに送り出された。

診断が下りたことに対しては特に何の感情もなく、そのときのわたしの心の中にあったのは「あ~生命保険入れなくなった~」、それだけだった。

不穏な空気

診断が下りるまでの1~2ヶ月の間、わたしのTwitterのTLにはご自愛自慢の投稿が並んでいた。

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正直、このころから自分の中に"不穏な空気"を感じてはいた。

毎朝、会社に向かう山手線の中での「うつ 予防」と検索する。原因不明の胃痛が何か月も続く。友人との約束さえもプレッシャーに感じてドタキャンを繰り返す。

一番困っていたのは、"仕事ができない"こと。それまで難なくこなせていた仕事を難しく感じ、ミスが増え、自分のミスのフォローのための業務が増える。本来は、未来の数字も考えながら仕事をしなければいけない立場なのに、目の前に湧いてきた仕事を捌くだけで消耗していった。

けれどその"不穏な空気"を"不調"なのだと認めた瞬間に、きっと本当にダメになってしまう。そう思って、"ご自愛"で自分の機嫌を取ろうとしていた。「わたしはわたしにこんなにに愛されて大切にされているんだよ。だから大丈夫!」、と。

ギリギリのところでバランスをとりながらも、とりあえず働けていた11月中旬のある朝。実家にいる母から、救急車で運ばれたと連絡があった。
「誰か病院まで来られますか?」
朝8時半に母から来た連絡に父は「無理です。ごめんなさい」と返していて、会社まであと数分の距離にいたわたしは、その足で実家に帰ることを決めた。

命に別状のない病気とあらかじめ知らされていたし、社員を束ねる立場にある父にとって突然休みを取ることは難しいのだろう。それでも、「家族の健康よりも優先すべき仕事ってなんなんだろう」と考え込んでしまった。

そしてその言葉は「自分の健康よりも優先すべき仕事ってなんなんだろう」に置き換わり、特急電車に揺られるわたしの頭の中で、何度も何度も繰り返されていた。

病院のベッドに横たわる母は思ったよりも元気そうだった。わたしが入院の手続きを済ませて帰るころには薬も効いて、普通に会話ができるようになっていた。「神様がくれたおやすみだね」と言う母を見ながら、不謹慎ながら思ってしまったのだった。わたしも休みたい、と。

東京に戻る電車を待ちながら、すぐに診療してくれる病院を探した。目に留まる病院は1ヶ月~2ヶ月待ち。よく言う話ではあるけれど、「骨折した人に1ヶ月先の診療を案内するような状況」って本当なんだな~とぼんやり思った。

ようやく見つけた、「明日診療ができる」という病院に予約して、電車に乗った。そしてわたしは翌日に、冒頭の診断書をもらうことになるのだった。

少しずつ秋が深まっていくその頃、わたしの"ご自愛"は白旗を上げた。

ご自愛ってなんだろう?

繰り返しになるが、わたしは"ご自愛"が得意なタイプなのだと思っていた。

毎日きちんと自炊をして、バランスの良い食事をとること。決まった時間に寝て、決まった時間に起きること。運動は苦手だけど、自宅と会社の立地のおかげで毎日一定の距離を歩いていたし、積極的に日光を浴びるようにもしていた。

おいしいアイスを買ったり、ちょっと高い入浴剤を入れてお風呂に入ったり、沖縄のきれいな海を眺めたり、休日の昼間からお酒を飲んだりもした。当時のわたしにとって、それらの"ご自愛"は完璧だった。

けれど今になって思う。それらは全部"与えるご自愛"に過ぎなかったのだなあ、と。

そもそもご自愛とは、「自分自身を大切にする」という意味だ(参考:weblio辞書)。自分を甘やかすこととご自愛することは違う。ご自愛とはただシンプルに、自分を大切にすること、なのだ。

一方わたしがしていた"ご自愛"は、我慢するための対価を与えることだった。「たっぷりの睡眠とおいしいご飯、楽しい休日をこんなに与えているじゃない。だから日々のつらいことも我慢しなきゃだめよ」、そんな風に。

あのときわたしにとって本当に必要だったのは、自分の重荷になっている何かについて向き合って、それを"取り除く"こと。与えるだけじゃなく、自分のつらさに向き合い、受け入れ、「もうここから先はできません」と素直に言うことだったのだと思う。

自分を苦しめるストレスを自分の機嫌を取ることだけで乗り越えようとしたって、それはまやかしでしかない。いつか歪みがでて、"ご自愛"が敗北する日がやってくるだろう。

だから苦しくなったときには少しだけ立ち止まって考えてみてほしい。

あなたの"ご自愛"は、"与えるだけのご自愛"になっていませんか?
自分を苦しめるものを、ちゃんと取り除いてあげられていますか?

取り除いてみた人のこれから

その後わたしは少しの間働くことから離れ、半ば強制的にストレスを取り除かれることになった。そうしたら、それまで必死になって自分に与えていた形ばかりの"与えるご自愛"を、必要としなくなっている自分に気が付いた。

もちろん自分の健康のために規則正しい生活やバランスの取れた食事、適度な運動は心がけている。でもあのころみたいに、ぜいたくな食事や現実逃避ができるような旅行を、心が欲さなくなったのだ。

家のグリルで焼いた魚をとびきり美味しいと思うようになった。家から2時間で行ける海を見て「きれいだね」と言えるようになった。

それはまるで、ストレスを取り除いて出来た心の余白に、身の回りの小さな幸せが入り込んでくる、そんな感覚だ。

冬至から1ヶ月が経ち、少しずつ日が伸びてきた。わたしの信じていた"ご自愛"が敗北したあの日から、季節がひとつ動こうとしている。

春一番が吹くころまでには、掲げていた白旗を、白い星のオーナメントに差し替えておくつもりだ。

*本文は以上です。家から2時間のきれいな海をバックに撮ったわたしを載せておきます。


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