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「嫌われる勇気」を読んで行動したら人生終了する!(第一夜)


こんにちはリヒロです。
自己啓発本人気No1の「嫌われる勇気」を読んだので、感想を書きます。
この本は、ある悩みを抱えている青年が「人は今日からでも幸せになれる」と説く哲学者の元を訪れ、その真意を問いただす内容です。


終始「青年」と「哲人」との会話形式になっており、哲人の言うことに納得がいかない青年がひたすら哲人に「そんなわけない」と言っており、これを読んでいるリヒロも「いいかげんにしろ」と哲人にツッコミを入れまくっています。


結論から言うととんでもない本です。
これがなんで人気No1なのかさっぱりわかりません。
この本が人気No1でなければ、間違いなく3分の1くらい読んだ時点で読むのを止めていたでしょう。
しかし人気ダントツNo1の本なのだから、どれだけツッコミどころ満載でも、最後には青年もリヒロも涙を流して哲人に感謝するのだろうと思い最後まで読んでみました。


この本は青年が五夜にわたって哲人宅に訪れ討論しています。


そのためこのブログも五回に分けて書いていこうと思います。
最後まで読んでいただければ、もしかしたらあなたの人生が変わるかもしれませんので、お付き合いください。


第一夜

哲人は「世界はどこまでもシンプルであり、人は今日からでも幸せになれる」と説いている。
これを全く受け入れられない青年は、哲人の持論を撤回させることを目的とし哲人に挑んでいく。


(青年)
世界がシンプルなんてとんでもない。
子供のときはシンプルに映る世界でも、大人になるにつれ世界はその本性を現していく。
複雑な人間関係や仕事、家庭、更には差別や戦争といった社会問題。
誰もが将来の不安を感じざるを得ない。
これでも哲人にとって、世界はシンプルであると言えるのか。


(哲人)
世界はシンプルであり、人生もまたシンプルである
複雑だとしたらそれは世界が複雑なのではなく、あなたが世界を複雑にしていると哲人は言った。
あなたが感じている世界と他人が感じている世界は違う。
例えば井戸水を飲んだとする。
温度計では常に18℃を保っているのに、夏と冬では温度の感じ方が違う。
それは錯覚ではない。
あなたにとって井戸水の冷たさも暖かさも動かしがたい事実である。
同じ18℃の温度の感じ方が違うのは、あなたの主観がそうさせている。
それを世界に置き換え、あなたの見方を変えれば世界も変わる。
あなたにその勇気があるかどうかだ。


(青年)
そうはいっても人間はそう簡単には変われない。


これから、人間は誰もが変わることができると説く哲人と自分は変われないと反論する青年。
二人のバトルが繰り広げられていく。
青年は変われるのか?
リヒロも納得できるのか?


哲人の考えはすべて「アドラー心理学」を元にしている。
アドラーとは心理学の世界では「フロイト」「ユング」と並ぶ三大巨頭の一人で、世界的ベストセラーでもアドラーの思想に近いものが数多く存在する。


なぜ「人は変われる」なのか


(青年)
人は変わりたくても変われない。
私の友人に何年も引きこもりをしている男がいる。
彼は変わりたくても変われない。
なぜなら部屋を一歩でも出ると動悸が始まり、手足が震える神経症になってしまっている。
原因は両親との関係や、学校、職場でのいじめなど過去に強烈なトラウマを抱えている。
この原因により友人は引きこもりになってしまった。


(哲人)
あなたの友人が引きこもりになったのは、過去のトラウマは関係ない。
もしそうだとしたら、同じようなトラウマを抱えている人は、全員引きこもりになっていないとおかしい。
アドラーの心理学では、過去の原因ではなく、今の目的を考える。
つまりあなたの友人は、「不安だから外に出られない」のではなく「外に出たくないから、不安という感情を作り出している」と考えられる。


(青年)
はっ?
それではあたしの友人は自分で不安を作っているだけで、つまり仮病を使っているというのか。


(哲人)
仮病ではない。
友人が感じている不安や恐怖は間違いなく本物である。
しかしそれは外に出たくないという目的を達成するために作り出されたものだ。
これは「原因論」と「目的論」の違い。
あなたが言っているのは原因論である。
われわれは原因論の住人であり続けるかぎり、一歩も前に進めない。


(青年)
それでは先生は、私の友人は好きこのんで引きこもりになっているとでも言うのか?
冗談じゃない。
自分で選んだのではなく選ばざるを得なかったのだ。


(哲人)
違う。
彼は「外に出ない」という目的のために不安や恐怖を作っているにすぎない。


(青年)
じゃあ彼は目的を達成している今、満足しているというのか?


(哲人)
不満はあるし幸福というわけではない。
しかし彼が「目的」に沿った行動をしているのは間違いない。


(リヒロ)
哲人の言いたいことはわかる。
要は自分で目的を選んでいるのだから、それを理想の目的に変えれば良いということだろう。
だけどそれができたら苦労はしない。
それができるようになる方法があるというのだろうか?


ソクラテスとアドラー


(青年)
それでは別の友人の話をする。
わたしの友人にいつも明るく、みんなから愛され、周囲の人々を一瞬で笑顔にしてしまうYという男がいる。
一方、わたしは人付き合いが苦手で屈折している人間である。
先生はアドラーの目的論によって「人は変われる」と主張されている。
それならばわたしはYのような人間になれるのか?


(哲人)
今の段階では無理である。
あなたはアドラー心理学をほとんど理解していない。
変わることの第一歩は、知ることにある。


あなたは「このまま」でいいのか


(青年)
わたしは変わりたいが変われるわけがない。
どんなに本を読んで勉強しようが、土台の気質や性格は変わらない。
いかに知識を積み重ねても変えることはできない。


(哲人)
そもそもあなたは、どうしてYになりたいのか?
彼のようになったら幸せだと思っているのだろう。
つまりあなたはいま、幸せを実感できずにいる。
そのため「別人への生まれ変わり」を望んでいる。


(青年)
それは認める。
わたしは自分の全てが嫌いである。


あなたの不幸は、あなた自身が「選んだ」もの


(青年)
世の中には、裕福で優しい両親のもとに生まれる人間もいれば、貧しくて底意地の悪い両親のもとに生まれる人間もいる。
この世は平等ではなく、人種や国籍、民族の違いだって、いまだ歴然と横たわっている。
生まれながらの不幸は存在する。
まずはそこを認めてほしい。


(哲人)
認めない。
例えばいま、あなたは幸せを実感できずにいる。
生きづらいと感じることもあるし、いっそ別人に生まれ変わりたいとさえ願っている。
しかし、いまのあなたが不幸なのは自らの手で「不幸であること」を選んだからだ。
あなたは「不幸であること」が自身にとっての「善」だと判断した。


(青年)
なんのために?
全く納得ができない。


人は常に「変わらない」という決心をしている


(哲人)
先ほどあなたは「人の性格や気質は変えられない」と言った。
一方、アドラー心理学では、性格や気質のことを「ライフスタイル」という言葉で説明する。
その人が「世界」をどう見ているのか、また「自分」のことをどう見ているか。
さらにはその人の世界観や人生観までを「ライフスタイル」と呼ぶ。
そして自分の考えを世界観と捉えれば、世界観なら容易に変えることができる。
アドラー心理学では、ライフスタイルは自ら選びとるものと考える。
つまりあなたはあなたのライフスタイルを、自ら選んだのだ。


(青年)
つまり、わたしは「不幸であること」を選んだばかりでなく、このひねくれた性格までも自らの手で選んだのだというのか?
いくらなんでも無理がある。
気付いたらこんな性格になっており、選んだ覚えなどまったくない。


(哲人)
もちろん、意識的に「こんなわたし」を選んだわけではない。
最初の選択は無意識だったと思う。
あなたが再三言っている外的要因、すなわち人種や国籍、文化、また家庭環境と行ったのも大いに影響している。
それでもなお、「こんなわたし」を選んだのはあなたである。
もしも「ライフスタイル」が先天的に与えられたものではなく、自分で選んだものなら、再び自分で選び直すことも可能である。
これまでどおりのライフスタイルを選び続けることも、新しいライフスタイルを選びなおすことも、すべてはあなたの一存にかかっている。
あなたが変われないでいるのは、自らに対して自分のライフスタイルを変えないでおこうという不断の決心を下しているだけである。


(青年)
まったく筋が通らない。
わたしは変わりたい。
これは嘘偽りのない本心である。
なのにどうして変わらない決心をするのか?


(哲人)
少しくらい不便でもいまのライフスタイルのほうが使いやすく、変えずにいるほうが楽だと思っているからだ。
「このままのわたし」であり続けていれば、目の前の出来事にどう対処すればいいか、そしてその結果どんなことが起こるのか、経験から推測できる。
一方、新しいライフスタイルを選んでしまったら、新しい自分に何が起こるかわからないし、目の前の出来事にどう対処すればいいかもわからない。
つまり人は、いろいろと不満があったとしても、「このままのわたし」でいることのほうが楽であり、安心なのだ。
人はライフスタイルを変えようとするとき、大きな「勇気」を試される。
あなたが変われないのは、過去や環境のせいではない。
あなたは、ただ「勇気」が足りない。
いうなれば「幸せになる勇気」が足りていない。


(リヒロ)
青年は反論しているが、ここまでは哲人の意見に賛同できる。
人は自分を変えようとしたら努力が必要である。
変えたいと思いながらも変えられないのは、楽しているだけで努力が足りない。
哲人は「勇気」というが、リヒロは「努力」だと思う。


あなたの人生は「いま、ここ」で決まる


(哲人)
あなたがいま、いちばん最初にやるべきことはなにか?
それは「いまのライフスタイルをやめる」という決心である。
たとえば、あなたは「もしYのような人間になれたら、幸せになれる」と言った。
そうやって「もしも何々だったら」と可能性の中に生きているうちは、変わることなどできない。
なぜなら、あなたは変わらない自分への言い訳として「もしもYのような人間になれたら」と言っているだけだからだ。
わたしの友人に、小説家になることを夢見ながら、なかなか作品を書き上げられない人がいる。
彼によると、仕事が忙しくて小説を書く時間もままならない、だから書き上げられないし、賞の応募に至らないそうだ。
しかしはたしてそうだろうか?
時間さえあればできる、環境さえ整えれば書ける、自分にはその才能があるのだ、という可能性の中で生きていたいだけじゃないか。
おそらく彼は、あと5年10年もすれば「もう若くないから」とか「家庭もできたから」と別の言い訳を使いはじめるだろう。


(青年)
わたしには、彼の気持ちは痛いほどわかる。


(リヒロ)
ほとんどの人が自分に甘い。
思っていても行動に移せない人は、行動しなくてもいい言い訳を考える。
ここまでは哲人の言うことに深く賛同できる。
人間変わろうと思ったら、自分で変える行動を起こさせないといけない。
それをせずに、ただ他人を見てうらやむ人生は、たしかに哲人が言うように自分でそのライフスタイルを選択しているだけだ。


(哲人)
彼は賞に応募して、落選するならすればいい。
いずれにせよ、前に進むことができる。
ライフスタイルを変えるとはそういうことである。
「やるべきこと」を前にしながら「やれない理由」をあれこれとひねり出し続けるのは、苦しい生き方だとは思わないか?


(青年)
先生の哲学はあまりにも厳しすぎる。
まるで劇薬のようだ。


(リヒロ)
いや青年よ。
あなたは甘すぎる。
そんなことで自分を変えられるわけがない。
ただこれからさらにとんでもないことを哲人は言ってくる。
哲人の話はまだ序章にすぎない。


(哲人)
あなたは「あなた」のまま、ただライフスタイルを選びなおせばいい。
アドラーの目的論は「これまでの人生になにがあったとしても、今後の人生をどう生きるかについてなんの影響もない」と言っている。
過去など存在しない。
自分の人生を決めるのは。「いま、ここ」に生きるあなたなのだ。


納得のいかない青年であったが、ここで一旦立ち去り、自分なりに考えることにした。
ここで第一夜は終わりとなる。
第一夜の話は十分すぎるほど哲人の話は理解できたし、そのとおりだと思った。
しかし問題は第二夜以降である。
ここから青年はもちろんのこと、リヒロも納得のいかない話が満載になる。
第二夜については近日中に執筆します。
それでは最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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