やみ馬

 森の湖畔は、どうぶつたちの憩う広場です。

 きりかぶのそばで、うさぎや鳥やりすや鹿が、やみ馬のうわさをしておりました。

「ずっとむかし、底なしの森へ入って、そのまま帰ってこないんだよ」

「くらい森をずっとさまよっているんだって」

「おばけになっているよ」

「こわいねえ」

 だから、だれも底なしの森へは近づきません。

 みんな、やみ馬をおそれて震えます。

 そこへ、一頭の仔馬が、きりかぶのそばをとおり過ぎていきました。

 どうぶつたちが噂します。

「あれは、やみ馬のお孫さんじゃないか」

「そうなの?」

「そうみたいだよ」

「そうなんだ」

「どこへ行くのかなあ」

 やみ馬の孫の仔馬は、いつもさみしく暮らしておりました。

 ひづめでこさえた押し花をならべては、ただながめて、ため息をついて過ごす毎日。

「この脚は馬らしく走りたがっているけれど、もしも脚の自由にかけまわったなら、きっとお花を踏み荒らしてしまう。この目も鼻も、脚も、みんなお花がいとおしいのに」

 仔馬はいつも、うつむきながらとぼとぼと歩きます。

 そのようすは、においをかいでお花を探しているようにも、お花をけちらさないよう気をつけているようにも、悩みごとをかかえているようにも見えます。

 どうぶつたちは、そんな仔馬のことをひそかにうわさしました。

「あいつだって、やみ馬だよ」

「そんなことないよ」

「だって、やみ馬の孫なんだもの」

「たしかに、変なやつ」

「知らんぷりするよ」

 その日、仔馬はいつもよりとおくへ知らず知らず歩いていきました。

 気がつくと、知らない暗い森の中です。

 踏み慣れた草花はどこにもなく、鳥のなきごえもしません。

 仔馬は、底なしの森の入り口に差し掛かっていたのでした。

「底なしの森……」

 大きく曲がりくねった不気味な樹々にけおされ、仔馬は後ずさります。

 やみ馬のことは、もちろん仔馬も知っていました。

 底なしの森から帰ってこないやみ馬とは、仔馬のおばあさんだったのですから。

 おばあちゃんが、なぜ底なしの森へ入ったのか、仔馬にはわかりません。

 こんなにこわい森に入っていくなんて、とっても変なおばあちゃんです。

 でも、もしかしたら、こんなふうに、おばあちゃんもふらふらと迷い込んだのかもしれない……仔馬はそうおもいました。

 森の奥から、なまあたたかい不気味な風が吹き込んできました。

 やっぱり、こわい。

 仔馬は、その場から一歩もうごけなくなりました。

 でも、気になります。

 しゃがみこむと、仔馬は不気味な樹のかげから、底なしの森のようすを覗き込みはじめました。

 光もさしこまない底なしの森の奥。

 苔の覆いつくした大岩や、腐った大木の幹がころがっています。

 じめんをよく見ると、みたこともない毒々しい大きなきのこがたくさんはえています。

 黄色いふうせんのようにはれつしそうなきのこ、赤と黒の水玉もようなきのこ、紫のぷつぷつしたきのこ、ぐしゃぐしゃの踏みたくないきのこ、いろもかたちもさまざまです。

 いろんなきのこに目をうばわれながら、仔馬は、こうしているじぶんも小さなきのこになったような気分がしてきました。

 こうしてずっとながめていたら、やみ馬のおばあちゃんも見つけられるかもしれない。

 こわいことにはちがいないのに、なぜか見飽きることのない底なしの森でした。

 仔馬は、大きく曲がりくねった樹に寄りかかり、そっと寝そべりました。

 樹々のあいだからは、ときどき、なまあたたかい湿った風が吹き込んできます。

 しかし、仔馬のこわい気持ちはうすらぎつつありました。

 仔馬は、じっとふたつの黒い目を底なしの森へとそそぎつづけました。

 風がやみました。

 気がつくと、まっくらやみでした。

 仔馬が寝そべっているうちに、すっかり夜になったのでした。

 仔馬のいるうしろから、シャン、シャン、と鈴の音がきこえてきました。

 おどろいてふりむくと、鈴をつけた杖の先がみえました。

 森の夜闇から、白い服を着たにんげんのお坊さんがやってきました。

 やさしいお顔をしています。

 仔馬にちかよると、お坊さんはたずねました。

「仔馬さんや、こんなところでどうしたのかね」

「底なしの森を、みていたの」

 仔馬がこたえました。

「ここで、ずっとかね?」

「こわいから」

「こわいのにみていたのかね?」

「気になるから」

 それを聞いて、お坊さんはすっかり感心しました。

「こわいが、気になるので見ておったのだね。これはかしこい仔馬さんだ。こわがって、逃げだしもせず、気になるので、むやみに入っていきもせず、ここにおるものは、なかなかいないよ」

 仔馬の背をきよらかな手でなでると、お坊さんはまた言いました。

「よし、仔馬さんや。きみのかしこいごほうびに、森のなかをもっとよくみせてあげよう」

 仔馬はおどろいて、

「底なしの森に入っても、大丈夫なの」

「心配ない。きみの背中に乗ってもよろしいかね」

 仔馬がお坊さんを背中にのせると、とても乗せごこちがよく、ありがたい軽さでした。

「ゆっくりとまっすぐにおゆきなさい」

 お坊さんにいわれたとおりに、仔馬はそろそろとあゆみだしました。

 そのリズムに合わせて、仔馬の背の上で、お坊さんのたずさえた杖の鈴が、シャン、シャンと鳴りました。

 まっくらな底なしの森をゆくと、じめじめしたじめんに、何かが見えてきました。

「きのこ?」

 たくさんあるうちの、いくつかのきのこが、ほのかに光っているのでした。

 赤、黄、緑、紫と、よくみればいろんな色が闇に沈んでいます。

「あかるい胞子がみえているのだよ」

 仔馬に乗ったお坊さんがおしえてくれました。

 森の奥から吹いてきたなまあたたかい風にのって、あかるい胞子がさっと流れるのがかすかにみえました。

 腐った樹の幹を橋にしてわたると、まっくらな森のなかに、ひとすじの水のながれが、ぼうっと明るくみえました。

「また光ってる……」

 仔馬は、においをかごうと、水にちかづきました。その途端、

「わっ」

 小さな水の流れから、いっせいに明るさがとびたちました。

 光の群れが森に舞います。

「この森はホタルのふるさとなのだよ」

 お坊さんがあまたのホタルの群れをみあげながら言いました。

「きれい……」

 ホタルは森中にひろがり、仔馬の目には星空のようにみえました。

 お坊さんが鈴のついた杖をシャン、シャンと振りました。

 いちめんにホタルの星をみわたしながら、仔馬はひとすじの道をあるいていきました。

 仔馬は、星降りの夜空の下にいて、どこまでも風の吹く丘をのぼっているような気分になりました。

 星の道をのぼりつめると、夜空の上のようなところに来ました。

 夜空の原っぱには、あちらこちらに星がお花のように咲いていました。

 仔馬が星のにおいをかごうとすると、うしろから、小さな妖精の兄弟が星をあたまにぶつけてきました。

 仔馬がおこってかけだすと、妖精の兄弟は流れ星に乗って逃げてしまいました。

 仔馬がおいかけると、背中のお坊さんがみちばたの星を杖でシャンシャンと指しました。

 あかく熟れた星には、鈴なりにたくさんの種がついていました。

 仔馬が、星をそおっと吹くと、小さな星の種がぴゅんぴゅんととんでいきました。

 しゅりけんのように星があたって、妖精の兄弟が流れ星からおっこちました。

「ごめんなさい」

 妖精の兄弟があやまりました。

「みんなのところへつれていってあげる」

 仔馬は、星にのった兄弟についていきました。

 ひろばにたどりつくと、星座が宇宙の暗黒に馬のかたちをかたどりました。

「おばあちゃん?」

 大きなやみ馬が惑星をおもそうにかかえながら、くびをさしのばしてきました。

 仔馬はおばあちゃんのやみ馬に会えたのでした。

「おまえかい。ああ、大きくなったねえ」

 仔馬とおばあちゃんは、あたまをそっとすりつけあいました。

「とてもりっぱなお方が乗っていらっしゃるじゃないか」

 おばあちゃんがブラックホールの目をほそめて感心しました。

「森のなかをよくみせてもらったの」

「そうかい。おまえはもうちょっとここで遊んでおいで。わたしはもうげんきにうごけはしないから。でも、おまえには、お花をあらさなくてもかけまわれる広い場所があるんだよ」

 そう言うと、おばあちゃんは、ため息をつきました。

 仔馬は、ひろばへ脚をふみだしました。

 あちこちで、小さな妖精たちが星を笛にしたり太鼓にしたり、踊ってあそんでいます。

「妖精はどこにでもいるのだよ」

 お坊さんが教えてくれました。

 妖精の兄弟は、夜空に星の種を吹きあってあそんでいました。

「そうか。きっと、森から吹いてきた風は妖精たちのしわざ」

 仔馬はどこまでも宇宙のむこうへと駆けていきました。

 仔馬がふらふらになってもどってきたのを見て、森のどうぶつたちはおどろきました。

 さすがに宇宙を夢中で走り回ったのでつかれたのでしょう。

 仔馬がへたりこむと、どうぶつたちは大慌てしました。

 へんてこな馬だけれど、そんな仔馬のことがみんなちょっと好きだったのです。

 あつまったどうぶつたちで、うなずきあうと、それぞれ仔馬をたすけにかかりました。

 くまが仔馬をかかえてねどこまではこびました。

 ねどこにさきまわりした猿やきつねたちが、新しい草を敷いておきました。

 鳥や鹿たちがおみまいのくだものをとってきました。

 うさぎやりすたちが、きれいなお花を摘んでねどこのまわりにかざりました。

「みんな、どうもありがとう」

 ぶじにねかされた仔馬は、みんなにお礼を言いました。

 若草のベッドはあったかです。

「たのしかったあ」

 仔馬はかけまわった宇宙のことを思い出しました。

「お坊さま、おばあちゃん、ありがとう」

 仔馬がお礼を言うと、夜空にお坊さんの笑顔が浮かびました。

 けれど、おばあちゃんの顔は浮かびませんでした。

 くらいくらい宇宙がひろがっていました。

 仔馬はやがて、花の香りにつつまれながら、すやすやと眠りにつきました。

 銀河の目はふたつひらいておりました。

 森の湖畔のきりかぶのそばで、どうぶつたちが、またうわさ話をしておりました。

「やみ馬のお孫さんの仔馬はね、やみ馬じゃなかったんだってさ」

「じゃあ、何なの?」

「ゆめ馬っていうんだよ」

                            ―おわり―

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?