暗い月

 とき・ところ――大正、港町の晩

    ☆

◯暗黒
 白字でタイトル。
 消えた傍から、黒い上に暗雲のようなものがたちこめてくる。

◯酒場
 片隅の机。
 暗がりがたばこのように烟る。
 画面奥の入り口に近い机は賑わっている。
 男女六人ほどの歓談。
 暗がり、烟っては消える。
男A「朔は引き籠もっているそうだね」
女A「富村の旦那がパトロンに附いてらっしゃるもの、泰平にしてるわ」
女B「金屏風の裏で何してるのかしら。自力じゃ光りもしない癖して……」
 はしゃいで笑った。
 暗がりがまた烟る。
男B「君だって色んなとこから貢いで貰ってるじゃないか」
女B「(堂々と)あたし、輝いていてよ。輝いてるから貢いで呉れるんじゃないの、主はあたしのほう。相手にしないわ、あんな情けないやつ」
男C「フフッ、旦那がいないと何もできないと申しますか」
女C「囲われ朔、サクが囲われとはこれいかに」
 一座、笑う。
 グラスを割る響。
 男女、ハッと振り向く。
 片隅の机には誰もいない。
 その暗がりに微笑だけがニヤリと浮かんだ。
 女、悲鳴をあげた。

◯一本松
 梟が啼く。

◯青蔵の家
 電話口、受話器を耳から離して、
母「青蔵さん、白杉さんから」
 青蔵、仰臥していた畳からおもむろに起き上がり、
青蔵「うん、今いくと伝えてください」
 学生帽を被った。
 受話器を浮かせたまま、
母「いくつになっても電話を怖がるんだから。魂を取られたりしやしませんよ」
 青蔵、玄関口で草履を履こうとする。
 母が玄関口に来、後ろに立った。
母「お父様が怒ってらっしゃいましたよ。このところ毎日遅く出掛けるのは怪しからん。変な付き合いは断つべきだって。頭にきてか無茶なことを仰言るのでなだめておきましたけど、あなたからも何か言っておいたほうがいいわね」
 草履を履き、
青蔵「行ってまいります」
母「夜道はこわいから気を付けてゆくんですよ」

◯堤防に面した通り
 青蔵、夜風にさらされながらとぼとぼと行く。
 やや荒れたような波の音。
 仰ぎ、
青蔵「(呟く)月が見えないな」
 木の葉がざわめく。
 青蔵、大通りへ曲がった。

◯大通り
 青蔵、ゆく。
 左右に家屋やビルや屋台が続いている。
 しんと静まり返り、草履の音しかしない。
 しばし暗いさびれた街並みをゆく。
 行く手に小さな灯りが一つ、揺れ動く。
 青蔵、表情を変えずに歩く。
 灯りが徐々に近づく。
 行灯を持った、納戸地に梅柄の女。
 肌が極めて白い。
 青蔵、女の背を眺めながら黙々と歩く。

◯坂道
 途中の門前に立ち止まると、こちらを行灯で照らし、
女「(目を細め)お兄さん、ちょいと……」
 微笑を浮かべた。

◯暗い座敷
 開いた襖から転がされてくる青蔵。
 青蔵を残して、
女「お銚子を用意しますわ」
 襖が閉まった。
 青蔵、手に当たったものを取る。
 妖しい柄のマッチ箱。
 マッチを擦り、傍の赤い蝋燭に灯した。
 布団の敷かれ、和箪笥と卓袱台とある座敷が赤く照らされた。
 見渡す青蔵――と、どこからかパチン、パチンとはじけた音がしだす。
 青蔵、躊躇いながらも、隣室へ続く襖をそっと開いた。
 仏壇と、輪のように並べた座布団がある。
 青蔵、音が聞こえてくる次の襖の前まで行く。
 襖を少し開けると、片目で覗いた。
 次の座敷の向こうに障子があって、その遮られた部屋に提灯で照らされあやしの影法師が踊っていた。

◯障子の光景
 平伏している女の影と、その臀部を杖状のもので打擲する男の影。
 それを取り囲み、相談するように複数の男の影が肩を寄せあっている。
 譫言か呪文のように、
打擲する影「(呻く)ウツベシトミムラ……ウツベシトミムラ……」
 囁き交わす影ども、手酌しながら、
影A「慄えっちまう」
影B「今宵のかもめが」
影C「白杉もそうだ」
影D「やれるかな?……」
影B「験を見るには賽だ」
影A「丁!」
 線香花火の散る響……
女の影「(喘ぎつつ)南無 上方月光世界出有壊応供(じょうほうげっこうせかいしゅつゆうかいおうぐ) 正等覚財吉祥如来(しょうとうがくざいきっしょうにょらい)」
 火、落つる。

◯坂道
 青蔵、門からまろび出てくる。
 立ち上がると、おそるおそる門前の表札をさぐり、マッチを擦る。
 照らされた表札には「木本」。

◯一本松
 青蔵、来る。
 合言葉を、
青蔵「(囁く)ダイアモンド!」
朔の声「ダイナマイト」
 根方の裏から、白いスーツの白杉朔があらわれる。
青蔵「朔」
 首をひねり、
朔「遅かったじゃないか。お陰で機関誌に載せる詩が完成まで漕ぎつけたよ」
青蔵「狐に化かされたよ」
朔「狐?……」
青蔵「白い女狐だよ。家に上がらされた。狐火も見た」
朔「小便を徳利で呑まされたか」
青蔵「いや、何か言い合いをしてた……君の名前も出た」
朔「(目を険しくし)確かかい」
青蔵「言ってたとおもう」
朔「ハテ……ま、気にしない。僕が直に聞いたわけじゃないからね。伝聞を空想しても詮ないものな」
 朔、シガレットを吸う。
 それを見ていたが、
青蔵「その家でこれを見つけた……」
 マッチ箱を見せた。
朔「ふーん……見ない柄だなあ。外箱の蒐集でもするかな。交換しないかい」
 自分のマッチ箱を振って微笑った。

◯みち
 二人、歩いている。
朔「その晩以来――呪われた女の末裔は――欠けた月が昇ると――慄えずにはいられない!」
 マッチ箱を宙に放り上げながら、
青蔵「欠けた月……、今夜のことだね」
朔「そう、批評してもらうにはもってこいの晩さ」
青蔵「(笑う)幽霊みたいな詩だなあ」
朔「そんなものだよ。でも、霊とは実に人間への効力がある。正体ないものにみな大騒ぎするが、僕たちは女じゃないんだ。大いに怪奇幻想と親しもうじゃないか」
 両手で受け止めたマッチ箱を素早く覆い隠すと、
青蔵「月を捕まえた……」
朔「その中に?(青蔵、頷く)何が起こってもおかしくはないな!」
 徐ろにマッチ箱をしまい、
青蔵「ところで、どこに向かってるんだい」
朔「花火を見に行こうとおもってね」
青蔵「花火? 上がらないよ、こんな月もない夜に」
朔「上がるさ。街のほうまで出るんだよ」
青蔵「街でも今夜は何もないよ」
朔「何もない夜はないんだな。さる高貴なお方が来港されるので、歓迎の式典が華やかに催されるのだよ。それで花火も打ち上がるのさ」
青蔵「変わってるな……本当に見れるのかい?」
朔「高台の上にある赤煉瓦の工場にしのびこんで、二階の窓から覗くのだよ。通りの様子も見られるし、花火も近いところでよく見られる」
青蔵「信じられないな」
朔「君だって狐に遭ったんだ。花火ごときで何の不思議がありますかい」
 泰平に煙草をふかした。
 青蔵、朔の後に従った。

◯赤煉瓦の工場・外
朔「着いた」

◯同・内
 青蔵、見渡す。
朔「誰もいないが、一応物音には気を付けたまえ」
 段差を上がっていく。
 上階の壁面、斜めに窓が掛かっていた。
朔「そら、特等席だ」
 窓縁に掛けた。
 青蔵も窓を覗きこんだ。

◯窓
 眼下には酒場などがひしめく街の通りがあり、野良猫や軽装の男女らが屯している。
 その上を建物の影が続いた後に黒い海と灯台の明かりが見える。
 青蔵、夢中で眺めている。
朔「通りを行く人がどっちへ向かうか見ることができる」
 朔も一緒に覗き込んでいた。
 顔を上げ、
青蔵「いい景色だ」
朔「だろう」
青蔵「面白いけど」
 沈黙。
女の声「(突然)バッキャロー!」
 青蔵と朔、眼下を覗きこむ。
 赤いぼろのようなドレスをまとった女が、後方を恨みのこもった目で睨みながら、通りを抜けて行った。
 その女の行く先を、異様に注意深く見届ける朔。
 青蔵、それを横目で見ている。
 ケロッとした顔で振り向く朔。
青蔵「本当は知ってるんじゃないかい」
朔「何を」
青蔵「狐の家の……集まりを」
朔「(鼻で笑い)知らないよ、それは君の見た幻想じゃないか。そら、君の心に幽霊がしのび込んだな」
青蔵「朔こそ幽霊みたいだ」
朔「それはそれは。君こそ幽霊じゃないのかい?」
 微笑した。
 間。
青蔵「そうか、僕は幽霊なのかも知れない」
朔「ん?」
青蔵「(平素)一向に生きている感じが湧いてこないと思った。実体のないことを幽霊というなら、僕の日常生活はみんなそうだ。幻覚と会い幻聴と会話している」
朔「手を合わせてよく拝むことだ」
 マッチ箱を取り出し、
青蔵「月を入れたやつだ」
 と、一本一本マッチを擦るが、どれも折れ、足元に落としていく。
青蔵「(真顔)点かない。点かない。点かない。月はいない。月は死んだ。点かない、点かない」
朔「君は生きてるさ」
青蔵「(冷静)家にいても何をしていても、本物の手応えがまるでないと思った。この月とおんなじ、幽霊だ。点かない、点かない、点かない」
 折れたマッチが山を成していく。
 朔、自分のマッチを擦り、ゆっくりと煙草をくゆらせる。
 紫煙を吐き、
朔「やれやれ」
 微笑し首を振った。
青蔵「点かない、点かない、点かない……」
 朔、窓の外を一瞬見やると、さっと青蔵の口に自分の吸いさしの煙草を銜えさせた。
 青蔵、顔を上げた。
 窓の外、海上で打ち上げ花火が上がった。
 ピンクの閃光。
 黄色、赤、緑、次々とカラフルな光が空に焚かれる。
 通りの人々も気を取られ、見上げ、指差し、港の方へと向かっていく。
 窓辺、並んで空を眺める二人。
 花火はまだ続いている。
朔「ね?」
青蔵「うん」

                           ――幕――

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