安楽死の家

 伐採され掘り返され、赤茶けた山肌を四つ踏み越えた頂にその小屋はあった。板切れを貼りあわせたような粗末な外観であるが、中はロビーのように広い。仕事場は土壁で仕切られていて作業の様子は見えない。順番待ちの人々は土間に足をおろして煙草をぷうぷう吹かしたりしている。
 仕事場の様子を覗いてみると、大工のような職人がほんの二人程度。刀鍛冶のような趣もある。簡素な空間で、黒い砂壁には種々多様な器具が掛けられている。一抱えもある銃や、鞄入りのナイフセット、心臓抜き等、ありとあらゆるニーズに応えられるようしてある。あれよあれよという間に台の上に乗せられ、楽にするよう言われる。大きな黒い銃口が着々と準備されこちらを向く。痛みはありませんよ。三、二、一。ズドンと発砲し、こめかみには手遅れな大きさの穴があくが、不思議と痛みはなく、ゆるやかに意識もあるが、試しに動く気にはなれず、ただ五感が終わっていくのをゆっくりと客観視しているのみ。あれ、これで死ぬのか。なんとあっさりしたものだ。気軽に立ち寄り、大した自覚もないうちに終わってしまった。肢体がだんだんと冷たくなっていく。何気なく目をつむった拍子に、すとんと意識は闇の中へ落ち込んでいった。
 この職人たちは元々、旧社会的な制度から差別を被っていた部族の者であり、主に屠殺を生業としていた。労りの心に満ちた彼らは動物をいかに苦しませずに息の根を止めてやるかに腐心するようになり、様々な試行錯誤のすえ、バリエーション豊かな絶命器具の開発と、洗練されたスキルという、画期的な技術革新が花開いた。彼らの博愛は、動物のみならず、人間にも同じサービスを受ける権利があるはずだとの思想に行き着いた。こうして安楽死の工房が生まれた。
 本来、安楽死はいつの世でもニーズがあるものだ。死は普遍であり、個人の世界観を締め括る重大な体験である。通常、一生に一度しかない。これを最上のものとして迎えたいのは早晩消える生命として当然の欲求である。もちろん、死すべき者かどうかは厳重に見極める必要がある。職人たちは、その人のまとう気から生死の定めを深く見分ける眼をもっていた。死が間近に迫った人間は、相貌にも言動にも如実に死の気配が漂うのだという。一時の希死念慮からの訪問者ももちろんいるが、まだ死を授けるには至らないと見ると、「また来てください」と言って帰す。それでは片付かない様子の者には、死なせるふりをして台に寝かせ、昏睡させて元の住所へ帰す対応をしていた。
 この部族への差別意識は、もはや希薄になりつつあったが、それでも時の政府が打算的に執った忌むべき習慣は、社会通念として未だやや残っている。プライドの高い貴族などは、この下層民族は元々われらの召使いだという考えから抜けられず、自身が重病などの事情によって安楽死サービスを受ける段になっても、高圧的に接した。「おい! 貴族の私が、卑しいお前らに私を死なせる名誉を与えようというのだ。有り難く思え!」
 こうした貴族たちの我儘への対応が、更なる技術発展につながった。理想の死のイメージがある人も少なからずいる。壮大な景色を見ながら死にたい、花を手に死にたい、等々。そうしたイメージを、出来うる範囲で叶えることもしはじめた。身も心もだめになった者や、こだわりのない者は、速やかに台の上で事を終えるだけで、職人たちはそれこそが本来のスタイルだと自認していたが、どうせ最後なのだからと、過剰なサービスを求める層によってこの工房は賑わいだした。臨終が悪趣味な遊びと堕すようなことにはしたくなかったが、中には最期にも娯楽を極めんとする通人の依頼もあって、職人たちは請け負わざるを得なかった。死への注文は享楽の度を増した。しかるべき処置の過程で、死にゆく者の頬を焼いてステーキにする。熱さや痛みはない。死にゆく者は自分の頬肉をほおばり、ゆっくりと噛んで味わう。美食家の、最後は自分の肉を食べたいという頼みに応えたサービスである。しかし職人たちは、こうした注文の流行を、今際の際にもまだ生にしがみついているようだと嫌悪した。文字通り、往生際が悪いというものだ。ああいう生半可な覚悟で死んだ人間の魂がどういう場所へ行ったものか、知ったことではないが、それ相応の生き方であっただけのことだろう。そこに比べると、動物とは尊いものだ。死を潔く受け止め、なんの要求もしない。人間も動物を見習って偉くなれば、俺たちも本当に仕事のし甲斐があるのに……。ある職人はこう嘆息した。
 ある時、シルクハットにステッキ、薔薇色のネクタイ、それに黒ひげを生やした異相の男が、土煙の彼方からこの頂を訪れた。
 彼は髑髏の標本を携えてはいたが、死にに来たのではなかった。彼は部族の生活圏に入り込むと、すぐに溶け込み二、三日の交流ののち、四、五人の若者を連れて町へと帰ってしまった。
 町で風変わりなサーカス劇団が流行った。剣術使いの美女が話題をさらった。曲芸をしながら、彼女は生贄にされた素人団員に短剣を投げつける。目尻や眉間に短剣は刺さる。ショックから生贄たちは動けなくなるが、後から剣を抜くと、怪我の痕跡はどこにもなく、生贄は息を吹き返して助かる。生贄の役は観客でも体験でき、驚異であるのはその短剣が本当に刺さること、衝撃はあるが痛みはないということであった。それは短剣そのものの性能に加え、美女自身の正確な技術があってこそ可能な奇術であった。彼女は巷の医師よりも身体の構造に関して熟知していた。
 苦しみや痛みを取り除くことにかねてより熱心であった職人たちの絶命器具における技術は、日常の生活用品の開発に転用された。それ以前は絶命という用途が念頭にあり、生活に役立てる道筋につながらなかったのだが、町の有識者との情報交換により、発想が啓けたのである。苦しみと痛みこそは生きる上での最大の難関である。これが和らげられることは即ち文化レベルの発展であった。科学の向上により、社会は情報管理された統一国家への道を歩みだし、寿命は延び、人々は豊かな生き方をすることに精を出しはじめ、死に生の楽しみを求める心得違いは減少した。
 数百年の時が経った。都市は静謐をたたえた快適な空間で、穏やかな人たちがそれぞれの精神的な暮らしを営んでいた。あの部族の末裔はもう職人という扱いは受けていない。死神と呼ばれていた。といって忌み嫌われてそうなったのではない。人々は死の厳粛さを平素より心から理解するまでに成熟したのである。
 死神は時々町にやってくる。老若男女、様々な年格好をしているが、独特な目の澄み具合によってそれと見分けがつく。死神は延命化した都市を巡り、死ぬべき時の来た者のもとへ訪れ、安らかな眠りをあたえる。あたえられた死者はこの世に何事も引き摺らない。肉体および形態にまつわるこの世界と、還すべき魂とをすっぱり切り離すことが役割だと死神は心得ていた。人々は死神に感謝していた。聖者に対する尊敬の念が、彼らに死神の名を与えた。真摯に死を見つめ向き合ってきた部族が、何世代にもわたり培ってきた信念と努力は、このように果実を結んだのである。
 この時代には、死神が住まうのは聖なる山だと伝えられている。



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