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「土俵の真ん中で相撲をとる」:京セラフィロソフィーから

「土俵の真ん中で相撲をとる」とは、常に土俵際だと思って、って、一歩も引けないという気持ちで仕事にあたるということです。納期というものを例にとると、お客様の納期に合わせて製品を完成させると考えるのではなく、納期の何日も前に完成日を設定し、これを土俵際と考えて、懇親の力を絞ってその期日を守ろうとすることです。そうでなければ、万一予期しないトラブルが発生しても、まだ土俵際までには余裕があるため、十分な対応が可能となり、お客様に迷惑をおかけすることはありません。このように私たちは、常に安全弁をおきながら、確実に仕事を進めていく必要があります。(京セラフィロソフィーP154)

京セラフィロソフィーを毎日1項目ずつ読む、とうことを年初から行っている。いや、昨年から続けている。ちょうどいま4周目だ。

この「土俵の真ん中で相撲をとる」という項目は読んでいていかに自分は出来ていないかということを毎回反省させられる。

本文中に中小企業の経営者が金策に追われて右往左往する例がでているのだけれど、金策で走り回ったことはないけど、ギリギリになって焦って仕事をしていることはしょっちゅうだ。

物事には期限があるのはあらかじめわかっていることだ。であればこそ前倒しで進めることが大事だということは分かっているのだけど、なかなかスイッチが入らないのである。

稲盛さんのご経験で、「前倒し試験勉強で常に百点を目指す」ということがこの項目の中で紹介されている。

幼少期結核を患ったがゆえに、なおさらこういった考え方がお強くなられたのだと思うけれど、特に大学にはいられてからずっと実践してるところが本当にすごい人だなと思うのだ。

自分が高校生だったころ、いったい自分は将来どうなりたいのか?ということすら分からず、ただ無駄に時間を過ごしていたように思う。

そう考えると、高校時代とかって余裕がある時間だったんだから、もっと一生懸命勉強をすればよかったと、今になっておもうのである。

子供のころからギリギリにならないとやらない子供だった。夏休みの宿題も8月最後の方で泣きながら夜中までかかってやっているような・・・

その癖がいまだに抜けないでいる。こまったものだ。

その割に、このnoteの記事を書くのは比較的前倒しで出来ているような気がするなぁ。

なるほど、自分のなかで必ず仕上げるという使命感というか根性というか、これが試されるのだな。

少しでも良いので、毎日続ける。これをこのnoteに課している。

続けることで手に入るものがきっとあると信じよう。

それにしても土俵際感が半端ないのである。

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