低能プロット2「あるラッキーマンの死」

1.プロットの構図(引いたカードの結果)
  主人公の現在:生命↓
  主人公の近未来:意思↓
  主人公の過去:清楚↓
  主人公の援助者:解放↓
  主人公の敵対者:幸運↑
  結末・目的:庇護↑

2.短めにプロット紹介

放埓(清楚↓)な生活に溺れる男性。浮気相手の夫に刺されて、生命の危機(生命↓)に陥る。家族の手当ての甲斐なく、臨終(意思↓)を迎えた。霊体となった彼は、何か分からぬ巨大な力に束縛(解放↓)される。

彼の霊体は、今までの行いの顛末を見させられる。彼は自分は「幸運↑」に恵まれていたと思っていたが、それが思い上がりだと思い知らされる。そして、そのことを教えてくれた謎の大いなる存在の束縛(解放↓)に感謝する。

すると、彼は奇跡的に生き返った。大いなる存在、すなわち神の束縛を受け入れたからだ。彼は、自らの行いを、家族に悔い改めた。「幸運↑」な男は、神の「庇護↑」を受けた聖人として生まれ変わったのだ。

3.もう少し長めにプロットを補足

昔あるところに、信心深い老夫婦が住んでいた。彼らの悩みの種は、放蕩息子、すなわち主人公である。彼は、美しい容貌、頑健な体格、高い見識、さらには爽やかな弁舌に恵まれていた。女性は、彼を放っておかなかった。彼は、妻子も既にいたにもかかわらず、放埓(清楚↓)な生活に溺れていた。彼は、自らを「ラッキーマン」と称し、女性に幸運を分け与えているのだと開き直り、悪びれることはなかった。

しかし、「ラッキーマン」にも報いが下る。浮気相手の夫に刺され、生命の危機(生命↓)に陥った。両親や妻子の必死の看病虚しく、彼は、数日後には臨終(意思↓)を迎えた。

彼は、霊体となった。最初は、刺されたことが不運だと思っていたが、肉体から解放されるならば、むしろ幸運なことだと考えた。しかし、その時、彼の霊体は、何者か分からぬ巨大な力に束縛された。その巨大な力は、「お前は本当に幸運をもたらしてきたのか?」と彼に問うてきた。彼は、「当たり前だ」と返した。

すると、その巨大な力は、彼が過去に関係した女性たちのその後を見せた。彼女たちは、彼が言うほど幸運に恵まれていないことを知る。うなだれる主人公。最後に、彼の肉体に取りすがり、泣いている家族の姿を見せた。ここにきて、彼は、自分が幸運に目がくらんでいた(幸運↓)ことに気づく。それは同時に、そのことを教えてくれた大いなる存在、神の存在への気づきとなった。

霊体の彼は、自分が幸運よりも不幸をもたらしていたことに涙した。同時に、神が自分を見守り束縛(解放↓)してくれていることに感謝した。すると、奇蹟が起きた。冷たくなった彼の目から、涙が溢れたのだ。驚く家族たち。彼の肉体は光り輝くと、傷口がみるみる塞がり、血の気を取り戻した。彼は眼を開けると、起き上がった。彼は、死の淵から生き返ったのだ。

彼は、驚きおののく家族の元に歩み寄ると、深々と頭を下げて、今までの行いを謝罪した。そして、これからは、神の愛に従って生きていくことを誓った。彼は、神の「庇護↑」を受けた聖人として生まれ変わったのだ。「ラッキーマン」は死んだ。その代わりに、一人の聖人が誕生した。

4.あとがきというか言い訳

元ネタについては、後ほど触れよう。2作目にして、既に最悪の出来だ。キャラクターとして存在しているのは、人間としては、主人公だけ。もう一人(?)のキャラクターは、神にしちゃったよ。まさに、神頼み。物語るのを怠ったと指摘されても仕方ない。

そもそも、このプロットを小説化するにしても、私には無理だ。唯一の(?)人間である主人公が、容貌・体格・教養に優れ、弁舌が爽やかだという設定なのだ。哀しいくらい正反対の私の手に負えるキャラクターではない。

そして、1作目に続いて、悔い改める主人公。既に、ワンパターンに嵌ってるよ。本当、創造力が貧困だわ。

さて、元ネタは、今回も世界史の知識。古代キリスト教最大の教父(キリスト教の伝道に努めた、偉い神父さんくらいに考えてください)と呼ばれる、アウグスティヌスのエピソード。

古代において、キリスト教はまだ、その地位を盤石なものにしてはいなかった。その時代はまだ、他の宗教(現在は異端と言われている)との論争に明け暮れていた。その中で、最大のライバルと言ってよかったのが、マニ教だった。

アウグスティヌスは、若い頃放埓な生活に溺れていたそうだ。しかも、よりによって、マニ教徒だった。しかし、彼は、キリスト教に改宗すると、逆にマニ教徒を次々と論破していった。こうして、アウグスティヌスは、キリスト教の伝道に貢献していった。

ただ、プロットのエピソードは、ほぼでっち上げ。なぜならば、私は、アウグスティヌスについての知識はあるが、彼の著作そのものは読んでいないから。私の教養レベルなど、ホント惨憺たるものである。

さて、最初のカードから、いかにしてアウグスティヌスを利用したプロットをでっち上げようと考えたのか。それは、一番困ったカードが「清楚↓」だったからである。「清楚」という言葉は、主に女性に使われるイメージがある。だから、主人公は女性かと考えたが、あまりに単純すぎると思い、男性で進めてみようと考えた。

「清楚↓」を「放埓」と言い換えた時に、アウグスティヌスのエピソードを思い出した。アウグスティヌスならば、最後に神の「庇護↑」を受けているとつなげることができる。このような短絡的な思考で、主人公は、アウグスティヌスをほうふつとさせる男性に決まった。

次に困ったのが、主人公の敵対者「幸運↑」の処理である。なぜ「幸運」と敵対しなければならないのか、皆目見当がつかなかったのである。そこで、悔い改める前の彼は、幸運をもたらす男「ラッキーマン」と称しており、それが実は様々な不幸を生み出していた=彼の運命に敵対していたことに気づき、悔い改めるのだという「強引なこじつけ」が生まれたのだ。

5.おわりに

2作目にして既に、神頼み。先行きは暗いですね。

ちなみに、主人公の近未来「意思↓」を「臨終」と解釈したのは、一番の逃げだったと思っている。強引なこじつけか、逃げばかり。私の人間性を示していますね。本当、作文って怖い。


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