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私の好きな映画のシーン(17)「稲村ジェーン」

 大事件が何も起こらないストーリーも好きです。稲村ヶ崎という舞台があり、そこに人がいるだけで、実はストーリーがあるという映画が本作品です。
 桑田佳祐さんが監督した『稲村ジェーン』をいつ、どこでどうやって観たのかを覚えてはいません。劇場公開が1990年秋のことだったので、前職(WOWOW)立ち上げで番組プロデューサーとして寝る暇なく働いていたそのころの私を振り返ろうとしても、ぶ厚い記憶の雲が覆っています。ほとんど寝ずに働いていた忙しい日々でしたが、先輩たちに声をかけられ六本木や銀座に繰り出し毎夜飲み歩き、カラオケで「真夏の果実」を唄っていたのは確かです。未だバブル経済の勢いが残る1990年で、東京の街はキラキラと欲望に輝いていましたが、どこかでひと息つきたい私がいました。思えば、学生時代に何度か訪れたオアフ島のノースショアでサーファーたちをぼんやり眺めていた、あの空気を吸いたいと思っていたようです。
 そんなバタバタと生きていたころに観たのが『稲村ジェーン』だったはずです。
 何十年も前に観た本作で、何故か印象に残っているのが、コカコーラの空瓶がころがるシーンと、閑散とした病室の天井からベッドに横たわるある人物を捉えたシーン(詳細はネタバレなので)です。私が好きなシーンというより、何故か印象に残っているシーンと言った方が良いかもしれません。
 話は冒頭に戻りますが、この『稲村ジェーン』という作品が劇場公開されたころ、けなす人も多々いたようですが、サーフィンが好きで好きでたまらない若いころの心象風景は切れ切れだったり、光が見えたり、サーフボードが飛んで行ったり、幻視もあったり……理路整然としているわけがありません。その日々の起承転結はとてもあやふやで、日常のなかでは小さなゴタゴタがあり、荒々しくブツ切れに時間が流れ、やがてひと夏が過ぎゆく、ただそれだけですが、それだけでも、あるストーリーです。私が好きな、印象に残ってあるシーンの二つは、そうした荒々しい心象風景のなかで、ドクドクと心音をたてているのかもしれません。
 手前味噌になりますが、拙書「南の島のチィーリン・ハウス」(合本 南の島のチィーリン・ハウス 第一集 https://amzn.asia/d/5zA7Bya)という超長編の物語でも、日常生活の時間感覚を大切にしながら、ぼそりぼそりとした語りで物語が進行します。特に大それた事件があるわけではない「もの語り」、ストーリー・ラインです。
 昨年(2021年)発売されたブルーレイ・ディスクを取り寄せて、改めて、「何も起こらない」映画を楽しんでいます。中嶋雷太

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