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プロダクション・ノオトー「メタバース編」(11)

 前項までで、メタバース社会を語るうえで、前もって準備しておくべきだと思う「予定調和」と「現象学的還元」というキーワードを出しました。本項以降、基礎的な考え方になりますので、ぜひ理解してもらえればと考えています。この二つのキーワードさえ理解していれば、大きな事件が発生しても慌てて興奮することなく、冷静に考えることもできますので、生きるうえではとても役立つとも思っています。
 さて、本項からはどのようなメタバース社会を作り出し、そこでどのようなコンテンツを製作して利用者に楽しんでもらうかを、ゆっくりと綴っていければと願っています。
 先ずは、禅寺の作庭家(庭師)の話です。
 禅寺の庭の表面、視覚のみでとらえられるその庭の表面だけで、その庭が作庭されているわけではありません。その視覚だけではとらえられないその庭の下、地勢的な造形を見極め整地したり、そのまま生かしたりすることはとても大切です。私の実家の近くにあった京都の天龍寺や西芳寺といった夢窓礎石が作庭した石庭も、嵐山から松尾に至る西山の裾野の地形を見極めて作庭されたと思っています。そこには、もちろん風水的な空気の流れや、太陽光の射し方等、地勢上の気候の要因も読み込まれていたものと考えています。
 さて、メタバース社会では、そもそも地勢的な凸凹は存在しません。そこに視覚的に現れる建物や道や空き地などを描くとき、その下に隠れているだろう地勢的なものを無視する方々が多くいると思います。
 私たちのアナログな実際の日常生活では、どこに行っても、地勢上の凸凹を無意識に感じ取っていて、それを楽しんでもいるかと思います。もし、私たちが住んでいる町の地形に凸凹がまったくなく平面だとするなら、町の魅力はかなり減じられるはずです。何でもない起伏や坂、川や池があった場所等、地勢的な凸凹があるからこそ、その表面に視覚的に立ち現れる家やビルや公園等は、さらに魅力を増すのだと思います。また、視覚的な凸凹だけではなく、上述したとおり、風や日光や空気の流れ方等の気候の動きも、大切なものに違いありません。
 メタバース社会を0から作庭するときに大切なのは、①視覚的な凸凹はどのようであるべきか、そして②提供される様々なサービス(ここではコンテンツ)の視覚的なものの裏側にあるべき凸凹のようなものはどのようであるべきか、この2点だと思っています。
 次項以降は、②について考えたいと思います。中嶋雷太

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