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プロダクション・ノオト(8)

あちこちふらつきながら綴っているプロダクション・ノオトですが、今回は配給の話です。さて、映画を製作したのち、皆さんに観て頂かねばなりません。今回、小編映画『Kay』(製作:中嶋)と『終点は海』(製作:内藤P、鯨岡D)併せて約46分の両作品を、4月9日から下北沢トリウッドで劇場公開するにあたり、配給は私が行うことになりました。『終点は海』では製作には直接携わりませんでしたが、アドバイザリー・プロデューサーとして海外アワードへの応募や英語字幕作成など、そして劇場公開するに当たってのアドバイスもさせてもらい、二作品併映同時劇場公開の配給者となった経緯があります。インディペンデントで映画製作や配給をするのは大変ですが、制作スタッフや出演者の皆さんの応援に支えられているなとつくづく感謝しています。さて、ポスター、チラシやチケットなどの印刷代や宣伝費用、そして様々な広報・宣伝活動もあり配給はある意味、子育てに似ています。私の悪友は「博打うちやなぁ」と苦笑いしていましたが、製作費以外にかかる経費は結構なものです。さらに頭を悩ましたのが配給者名です。配給者は、この二作品の配給に関わるすべての著作権者として、観客の皆さんにしっかり送り届けるという大きな役目を負っていますので、適当な名称ではダメだと……どうしたものかと考えに考え、最終的にRaita Nakashima's Cinemaにしました。センスある素敵な社名やブランド名が多々ありますが、何も知らぬ人にとっては何やら分からぬ感じになりかねません。東宝、東映、松竹や日活大映などならば堂々たるものですが、堂々としようとしてもそれは無理ですし、だからと言っておしゃれでセンスの良い感じだけではダメだなぁと思っていたのもあり、ならばはっきりと名前を冠にすれば良いと決めました。以前、サンフランシスコの北にあるルーカス・フィルムズの牧場のようなスタジオを仕事で訪ねたことがありました。ゆるやかな勾配のある牧場の、まさに牧歌的な世界で、世界じゅうの観客に楽しんでもらう為の仕事をするスタッフは、誰もが柔らかな笑顔でした。仕事に真剣に対することと、険しい顔をすることは無関係だと改めて納得しました。ルーカス・フィルムやウォルト・ディズニー……製作と配給を分けねばならぬ米国では、その名称は配給には出て来ませんが、ここは日本、誰が配給しているのかを漠然と隠しお洒落なブランド名にするよりも良いかと、Raita Nakashima's Cinemaという配給名にしました。特に、海外のエンタテインメント業界の知人たちに、誰が配給者なのかを一目瞭然で分かってもらうのも意図しています。おそらく「あ、雷太のやつだな」と笑みを送ってくれれば嬉しいですが。いつの日か、ルーカス・スタジオのあの牧歌的なスタジオの世界になればという願いもちらりとあります。配給者として、苦労することは多々ありますが、石原・宣伝P、内藤Pや鯨岡Dたちと深く広く話し合うのも楽しみです。3月18日に渋谷・100Banchで先行上映イベントを開催するにあたり、「映画のあとの100物語」というテーマを掲げました。映画単体についての議論や評論は数多くありますが、映画館へ行き、映画を愉しみ、そして映画館から出て日常に帰るという一連の流れの中での映画とは何だろうかと、常々考えてきました。「映画体験」と紋切り型で語っても語りきれないものがあるはずですが、その核心にあるものを上手く言葉にできぬ苛立ちがこの数週間ありましたが、ある日、実家のあった京都にある禅寺の石庭を思い出し、「そうだ!『場のストーリー』だ!」と言葉を見つけました。映画館という場自体がストーリーを持ち、観客はその場の緩やかなストーリーに身を委ね、ある映画を愉しみます。それはおそらく無意識とか深層心理の奥底に流れ入る「場のストーリー」なのだと思います。映画館に行くことは、その「場のストーリー」に身を委ねに行くことなのだと思います。上述の先行上映イベントではこの「場のストーリー」とは何だろうかと、トークでお話しができればと考えています。ふらりふらりと話は右左と揺れましたが、映画を製作し、そして配給ということになると、様々な作業が発生しますが、何故配給するのか、配給するにどのような考えで配給➖つまり観客の皆さんにお見せ➖するのか……を生真面目に考えたいものです。常識という過去のやり方を踏襲し、流れ作業のようなスタイルは効率的だと思いますが、それにプラスアルファして、生真面目に配給に取り組みたいと動き出しています。中嶋雷太

https://kaytosea.studio.site/

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