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プロダクション・ノオト(10)

 3月18日(金)に、渋谷100 Banchで、小編映画『Kay』/『終点は海」(両監督:鯨岡弘識)の先行上映イベント「映画のあとの100物語」が開催され、試写上映後のトークイベントに、私(中嶋)が登壇することになりそうなので、今回は、登壇時に慌てることなくお話できるよう、この場を借りて私の頭のなかを整理しようかと考えました。まずは、司会者から振られるであろう質問は、おそらく小編映画『Kay』製作の目的だろうと思われます。これまでにも、このプロダクション・ノオトで書き綴ってきた話もありますが、しばらくお付き合いくださいませ。
 ① 先ず初めに、映画を製作する側が、誰に映画を観てもらいたいのかです。つまり観客はどのような人かです。日本で映画製作に携わっている数多くの製作スタッフや俳優の皆さんの無意識を覗いてみると、おそらく、そこには漠然とした「日本人(もしくは日本に居住する人)」があると思います。それはそれで良いのですが、私はその漠然と無意識にある観客像にこだわりたいと考え、「(世界じゅうの)人間」にしたいと願いました。日本人が日本で日本の話を描いた映画だとしても、製作側が抱える観客像が「人間」であるならば、その映画は広がりのある作品になるだろうと思っています。
 ②次に、著作権期間を超えて楽しまれる映画(エバー・グリーン・タイトル)を製作したいという気構えです。いま目の前にある観客ターゲットの為に製作される映画ももちろんあり得ますが、製作スタッフや俳優の皆さんの意識として何十年も楽しまれるような映画を作りたいという気構えがあれば、その作品の強度は高まると考えています。第二次世界大戦直後の劇場公開された「七人の侍」や「ローマの休日」を楽しんだ観客は、すべて戦争体験者です。その戦争体験者がどのようにこの映画を楽しみ捉えたかは、とても大切な映画史のテーマですが、その後様々な社会情勢を背景にした観客は、その時々にこの映画を楽しんできたかと思います。2022年春。観客の皆さんは二年を超える新型コロナ禍を背負い、さらにロシアのウクライナ侵攻という事態を目の当たりにしています。このタイミングで小編映画『Kay』が観客の皆さんの前に登場します。もし、小編映画『Kay』が強度の高い映画作品であれば、2022年春という時代背景を背負う観客に楽しまれるものと思い、またこれからも生きづいていくと思います。願いでもありますが。
 ③そして、最後に、これは演出上の話になりますが、削ぎに削いだ映像で物語が織りなされればと考えています。説明言葉的な大量の台詞が「演技」だとは思ってはいません。削ぎに削いだ、ポトリを溢れるような台詞や、俳優の皆さんの佇まいだけで、雄弁な意味が語られるのが「演技」であって欲しいと願っています。これはかなり私の趣味なのかもしれませんが、映像全体を通し、映像物語として語られるべきなのが映画であって欲しいと願ってもいます。

 こうして三つのポイントを書き綴ってみましたが、到底語り切れぬものだと思っています。特に②の話は、戦後観客論としてぶ厚い一冊の本になりそうです。(誰かと鼎談し、いつの日にか出版したいものです。

 3月18日(金)、東京渋谷の100Banchにてお待ちしていますので、お声がけ頂ければと。

 小編映画『Kay』
 エグゼクティブ・プロデューサー/原作者/脚本
 中嶋雷太 

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