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プロダクション・ノオトー「メタバース編」(8)

 私たちは裸のサルとして、与えられた玩具で遊ぶ人だと、前回綴りました。この20年あまり、WWWに慣れ親しむ為の予行練習をしているのだと思っています。発達心理学的な視点で考えれば、私たちはWWWについては幼児期を過ごしているのかもしれません。振り返れば、ウォークマンが発売され、大人が狂ったようにウォークマンで音楽を楽しみ始めましたが、あれもまた「裸のサルとして、与えられた玩具で遊ぶ人」として私たちは幼児期にあったと思います。新たな機器(玩具)が登場すれば同じことを繰り返し、私たちは自分の日常に、その新たな機器(玩具)を取り入れる歴史を織り成してきました。
 このWWWを海だとすると、海を楽しむ玩具として登場したのがアプリやウェブサイトだと思います。もちろん海としてのWWWを眺め楽しむのも良いかと思いますが、それだけでは海とのコミットメントはなく、つまらぬものです。
 WWWを具体的に楽しむ(遊ぶ)道具がアプリ(以下、ウェブサイトも含めます)だとして、現在の日常生活を俯瞰すると、私たちはお好みのアプリを複数選択し、アプリごとの、ある種の社会集団に属しています。
 属していると言っても、古典的な農村社会のようにどっぷりと属しているわけではなく、いつでも逃避できるような、薄い属し方(コミットメント)がほとんどで、複数のアプリ社会集団に属しています。
 いま、手に持つスマート・フォンの画面にあるアプリたちを、「現象学的還元」(既存の価値観をすべて排除して見ること)してみれば、直ぐに理解できると思います。
 なかには、あるアプリ社会集団に魅せられてしまい、中毒状況にあり、そこに自分の主たる社会集団があるという幻想に囚われている方もいるようですが。(この様な方には、ミシェル・フーコー著「監獄の誕生」をお薦めします)
 ここまで読んで頂いた方はご理解されたと思いますが、WWWが地球規模で定着し、5Gから6G、メタバースの時代が来ると言われつつも、一方で、私たちは複数のアプリ社会集団に関わっているだけで、十二分にWWWという海(世界)に乗り出してはいません。
 この状況をひと言で言うならば「アプリ・ホッピング社会」(私の造語です)に囚われているとも見えます。そして、前述したとおり、これは「裸のサルとして、与えられた玩具で遊ぶ人」として、アプリ・ホッピングしている、ある過渡期の姿だと思っています。子供のころ、「鬼ごっこ」や「だるまさん転んだ」など様々な遊びを通して、様々なルール、つまり人との接し方のルールを学んだのと似ています。
 メタバースと掲げてビジネス拡大を狙われる前に、落ち着いてWWWの現状、そしてそこで展開すべきものを考えないと、いつまでたっても「アプリ・ホッピング社会」という古い世界観の押しつけ文化しか想像できないと考えています。(続く)中嶋雷太

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