「作るもの」と「創られるもの」 [13]
13.神が創り出す宣教プラン [1.エリコの町の宣教]
現代のキリスト教界では、様々の宣教プランがあります。
個人伝道から中規模、大規模な伝道まであります。
よく計画され、準備し、多額の資金を要するものもあります。
その中には、魅力的なものもあります。
多くの人々は、目に見えるこれらの宣教活動を見て、「宣教とはこのようなものなのか」とイメージしていくものと思います。
また、模倣する教会も多々あります。
ところで、神に創られた宣教プランが、福音書には幾つか記されています。
その宣教の地には、エリコの町とサマリヤ地方がありました。
この2つの地方では、多くの人々が福音に触れていきました。
そのために神が用いた人物は、一人は町の人々から嫌われていた取税人のザアカイ、もう一人は、人目を避けていた婦人でした。
エリコの町の宣教
ルカの福音書19:1-10
それからイエスはエリコに入り、町の中を通っておられた。
するとそこに、ザアカイという名の人がいた。彼は取税人のかしらで、金持ちであった。
彼はイエスがどんな方かを見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。
それで、先の方に走って行き、イエスを見ようとして、いちじく桑の木に登った。イエスがそこを通り過ぎようとしておられたからであった。
イエスはその場所に来ると、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。わたしは今日、あなたの家に泊まることにしているから。」
ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。
人々はみな、これを見て、「あの人は罪人のところに行って客となった」と文句を言った。
しかし、ザアカイは立ち上がり、主に言った。「主よ、ご覧ください。私は財産の半分を貧しい人たちに施します。だれかから脅し取った物があれば、四倍にして返します。」
イエスは彼に言われた。「今日、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。
人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。」
取税人のリーダーで金持ちであったザアカイは、町の人々が彼を嫌い、罪人呼ばわりしていました。
ですが、ザアカイは、ありのままの自分を受け入れてくれたイエスと出会い、イエスの愛に触れ、彼の人生観は変えられました。
そして、貧しい人たちに財産の半分を施すことを決意しました。
その光景を想像してみてください。
多くの人たちが、ザアカイの行い、会話、変化に驚いたことでしょう。
また、自分たちの不正を認め、迷惑を掛けた人たちには、4倍にして返済しました。
不正に多くを取り立て、その4倍のお金が返ってくるわけですから、これも人々を驚かせたことでしょう。
だれもが「なぜ?」と思ったことでしょう。
そして、その問いに、ザアカイは間違いなく応えて、イエスとの出会いを色々な人たちに話したと思います。
こうして彼は、言葉と行いで、福音を伝えたのです。
その動機は、ありのままのザアカイを受け入れていた「キリストの愛」でした。
これがザアカイを最も感動させ、喜ばせ、転機となり、「人々にも知らせずにはいられない」と思わせたものでした。
ザアカイと出会った多くの人たちも、イエスの愛、ザアカイの愛に触れ、今までに無いものと出会ったことでしょう。
エリコの町の多くの人々への宣教の始まりは、不正な取り立てをし、町中から嫌われていた、たった一人の取税人を、ありのまま受け入れた、1対1の出会いからでした。
これが、神の創られた一つの宣教でした。
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