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「作るもの」と「創られるもの」 [22]

22.初代教会誕生の経緯 [4]


イエスは12人を呼び寄せ、弟子とし、教会誕生の当事者とさせます。

けれども、その弟子たちはイエスとおよそ3年半を共に過ごしながらも、イエスが十字架に掛かる直前まで、

〇 神の言葉への信仰は、ほぼありませんでした。 マルコ16:9-14

〇 神の言葉への理解は、深くありませんでした。 ルカ18:31-34

〇 弟子たち同士に相互愛は、ありませんでした。 ルカ22:20-24

〇 教会への理解は、ありませんでした。 No15に詳述

〇 神の言葉に基づく希望は、持てませんでした。 ヨハネ 21:2-3


イエスが死んで復活した頃、弟子たちは、いつまでも競い合い、イエスから逃げ、主の復活を信じていなかったことを痛感したことでしょう。

そしておそらく、「こんな自分はダメだ」「こんな自分でいいんだろうか?」と嘆いたことでしょう。

けれども、彼らを愛するイエスにとっては、「それでもよかった」のです。

神は、弟子たちに信仰が無く、御心に対する理解力も無く、相互愛も無く、教会への理解も無く、信仰による希望も持っていない者たちであっても、構わなかったのです。

この世の組織は、能力のある者たちが選ばれがちですが、神の教会は、むしろ、弱さの中にある者たちを神は選び、神の愛と恵みによって、黄泉の力をも打ち砕く教会、キリストの体なる教会を、神が建て上げていかれるのです。

コリント人への手紙 第一 1:25-28
神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。
兄弟たち、自分たちの召しのことを考えてみなさい。人間的に見れば知者は多くはなく、力ある者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。
しかし神は、知恵ある者を恥じ入らせるために、この世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、この世の弱い者を選ばれました。
有るものを無いものとするために、この世の取るに足りない者や見下されている者、すなわち無に等しい者を神は選ばれたのです。


また、後に、多くの人々が弟子たちの証やメッセージを聞くことになるのですが、神の言葉の奥義を語るペテロたちが、同時に、かつての自らの不信仰や、未熟だった弟子たち同士の人間関係を語ることによって、聞いた人々は神の救い・神の愛のメッセージが身近で聞きやすいものになりました。

人は自分を見て、また、誰かと比べて「こんな自分でいいのだろうか」と思うことがあります。

けれども神にとっては「それでもよい」のです。

神は私たちの弱さや愚かさを、私たちよりもよくご存じです。

ですから、「自分はダメだ」と自己否定しないで、「弱さも愚かさも抱えたありのままの私を、神はよくご存知の上で、受け入れ、愛してくださっている」と受けとめ、まずは、感謝しましょう。

イザヤ書 43:4
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。

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