「作るもの」と「創られるもの」 [10]
10.不安から改善策を考えたキリストの弟子たち
不安によって改善策を考え、取り組んだ者たちは、イスラエルの民だけではありません。
マルコ4:35-39
さてその日、夕方になって、イエスは弟子たちに「向こう岸へ渡ろう」と言われた。そこで弟子たちは群衆を後に残して、イエスを舟に乗せたままお連れした。ほかの舟も一緒に行った。
すると、激しい突風が起こって波が舟の中にまで入り、舟は水でいっぱいになった。
ところがイエスは、船尾で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生。私たちが死んでも、かまわないのですか」と言った。イエスは起き上がって風を叱りつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、すっかり凪になった。
ガリラヤ湖の嵐に遭遇したキリストの弟子たちもまた、船が沈まないために、おぼれ死なないために、必死になり、寝ていたイエスを起こして協力を求めました。
おそらく、船に入ってきた水をかき出し、無事、港に着くことを願っていたことだろうと思います。
弟子たちは、この状況下ですから、この案・取り組みには、イエスも同意してくれるものと思っていました。
けれども、神の御心・取り組みは、彼らが無事、港にたどり着くことではありませんでした。
イスラエルの人々には、既に語られ、聞かせている神の言葉がありました。
詩篇 65:7
あなたは海のとどろきを鎮められます。その大波のとどろきもろもろの国民の騒ぎを。
詩篇 93:4
大水のとどろきにまさり力強い海の波にもまさって主は力に満ちておられます。いと高き所で。
詩篇 89:9
あなたは海の高まりを治めておられます。波が逆巻くときあなたはそれを鎮められます。
詩篇 107:29
主が嵐を鎮められると波は穏やかになった。
イエスはこれらの言葉を信じて、不安になることなく、嵐に命じ、鎮めました。
神の御言葉は、神の御心、神のわざ、神の力、神の栄光でもありました。
これを弟子たちに知らせ、いずれ理解させることが、この時の神の計画でした。
ユダヤ人であった弟子たちは、それまでの礼拝の中で、既に詩篇の言葉は聞いていたと思われますが、彼らがイエスに願ったことは、神の言葉の成就ではなく、彼らの考える改善策・人が作り出したプランでした。
旧約聖書の時代、昔、神が語られた言葉が、今の時代、自分たちの人生に関わりがあるとは思っていませんでした。
人は不安や悩み事があると、自分で改善策を考え、その改善策に沿って、自分の願い通りになるよう、神に助けを願い求めます。
不安があり、安心したいためです。
それはクリスチャンであっても、多くの場合、同様の祈りをしています。
しかし、今の時代の私たちにも語られている神の言葉こそ、嵐を静めるほどの力を秘めているのです。
だから、主は言われました。
ヨシュア記 1:9
「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたの神、主があなたとともにおられるのだから。」
ヨハネ 8:31
そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。」
ヨハネ 15:7
あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。
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