七色クーポン
ジョンは旅行にうんざりしてきた。これまで七色クーポンを使って色んなところを訪れた。七色クーポンというのは、近所のマーサのパン屋でクジを引き当てたときの景品だった。3年も前のことだ。引き当てた時は大喜びしたものだ。伴侶のハンナを亡くして間がなかったし、なんといっても一生涯使えるクーポンだったかだ。
旅行先はどこでも選択できる。旅費はどこへ行くにも10ポンドしか請求されない。
誰もが夢見るクーポン券だ。けれど、一つだけ条件がある。息を引き取る寸前まで旅行を続けなければならないというものだ。
ジョンはこれまでの旅行を思い出した。場所は地球のありとあらゆる場所。春夏秋冬、あらゆる季節の絶景を楽しんだ。七大陸の秘境といわれる奥地にでかけ、極圏世界での奇跡を目の当たりにした。大都市はもちろん砂漠や山岳地。絶滅危惧種を探索にでかけたこともある。海底三万里旅行にもでかけた。もちろん地球だけではない。月旅行は2年前、去年は火星。先日木星から帰って来たばかりだ。
今日も旅行代理店相談員のシーマが約束の時間通りにやってきた。
スーツにシンボルマークの赤い蝶ネクタイ。生真面目を張り付けたような風貌の男だ。丸眼鏡を引き上げながらいつもの台詞を言う。
「ジョンさん。次はどこにします?」
ジョンは考えた。
「既成の旅行は飽きて来たよ」
「……では、ちょっと変わった趣向の旅行をお望みですか?」
「うん」
「それでしたら」待ってましたとばかりにパンフレットを広げるシーマ。「新しい企画があるのです」
ジョンは身を乗り出してパンフレットを覗き込んだ。
「タイムトラベルですよ」
「え? そんなことできるのかい?」
ふふん。シーマが勝ち誇ったような微笑みを浮かべて鼻息荒く言う。
「我々にできないことはありません。火星や木星をひと月ほどで楽しめたのですよ。夢のようなことができるのです」
「たしかに凄い事だよね。ぜひタイムトラベルに参加させてくれないか」
「かしこまりました。ただし」シーマは意味深長な顔つきでジョンを覗き込んだ。「時間を跨ぐことになります。認知機能に若干支障がでるかもしれません」
「というと?」
「見当識があやふやになることもあります。ま、それもじきに環境に馴染めば改善されるところですが」
「わかった。要は問題ないということだな」
「まあ……そういうことでもあります」
いつもと違って歯切れの悪いシーマの答えに首を傾げつつ、旅行契約にサインする。
「いつの時間にタイムトラベルされますか」
「過去を旅行したいのだが」
「かしこまりました」
「こちらに旅行先と日付を書き込んでください。今からすぐに出発します」
ジョンは書類に必要事項を書き込むと、シーマの言う通りソファに横になった。
横になると眠くなり……目覚まし時計で目が覚めた。6時30分きっかりだ。
シーマはいなくなっていた。
タイムトラベルはどうなったのだろうか。
頭を掻きつつ、ふと思った。目覚まし時計をセットした覚えはない。3年前に旅行に行くようになってから目覚まし時計を使うことはなくなった。改めて目覚まし時計を見る。もしやと思い、テレビをつける。見覚えがある。
そうだ。このあと俺はマーサのパン屋に行ったんだ。
たしかにタイムトラベルしている。指定したとおりの場所と時間だ。
ジョンは、今日店でクジを引くまいと思った。
今まで、夢をみていたのだ。シーマの「夢のようなことができる」って、このことだったんだ。
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