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いつか忘れるこのしあわせも

3ヶ月に1回のペースで起きる
自分で決めてきた「宿命」になんとも残酷さを感じてしまう時が。

いつもならば、その宿命を背負って、その宿命とともに共存し
そして、それらしく、誇りを持って、なんの混じりもない呼吸ができるはずのものが、なぜか「不思議なサイクル」に飲まれると、途端にこの宿命を「残酷なもの」として、逃れられない、逆らえない大きなものに途端に重たく感じる瞬間がある。

ありがたいことに、自分がどこに配備され
どんな意図があって、それがそうなってこうなってるのか。
知っていることなんてきっと全体の1%未満かもしれないけど
でも自分が知っておく分のものは知っておかせてもらえてるから
「物語の意図」は把握できる。

私はその意図を繋いでいく。
私を動かす星々には肉体がないのだから、
彼らがどのように私が動いて欲しいのか、
肉体を持つ私に指令が流れ、私はその指令通りに動く。
全てが全てできるわけではない、見送るものもあるけれど
できるだけ忠実に遂行しようとする、真面目さには自分でも驚く。
やっぱり、自分がお役目に忠実であることに。

星々の指令は「愛と感謝」に溢れている。
だから、それを共同作業を行うことで、深い愛と感謝に自分も満たされ
他者貢献をできるこの循環がとてもしあわせで生きていてよかったと
命あることに深々と感謝できる瞬間だ。
なんていい人生なんだ、なんていい宿命なんだろう。
そんなふうにほくほくとした気持ちでずっとずっといれると思っていた。

しかし、あるとき少しずつ気づき始めたことがある。
様々なパラレルに移行しずぎて、しかもその速さは凄まじく
その瞬間瞬間という短距離の移動と
睡眠サイクル中の長距離の移動とその移動の歩幅がどんどん大きくなる。

この歩幅は明らかにおかしいと思った。
わたし自身だけの歩幅ではないと感じ取る。
それくらいの1を知った瞬間、そして一晩寝ると100理解して
そして腑にまで落としている自分がいる。
それをどこで学んできたの?いや、学んでない。。
じゃあなんで知ってるの?わからない、だって知ってるんだもん。。
ということが、日々日々積み重なる。

いつの間にかに「ダウンロード」されているとしか
思えないほどの高エネルギー循環で
そのサイクルが早すぎる。
そして気づいた。「記憶たち」がなくなっていってること。

「記憶操作」というワードがおりてくる。
そしてその映像さえも流れてきて、
人間の記憶なんてものは、空気と同じようなもので
いくらでも変えられることも、消すことも簡単だ。
宇宙のシステムで、輪廻転生の際、記憶を消してから
地球に降りてくるように、
記憶操作は当たり前に行われてる。
それは全て「愛の仕組み」からきている。
過ぎ去ったものを「振り向かないように」。
そうやって体内の記憶から薄れ始めていく感覚が
ある時からものすごい勢いで始まった。

記憶がなくなるのは、体内からで
魂での記憶は忘れることはない。
だから「完璧に忘れる」ということはないと思う。
どこか、どこでか、かすかに、ふんわりと
覚えているような覚えていないような
「朧気の記憶たち」が、光ったり消えたり
そもそも存在すらも忘れているものもきっとあって
もう過去へはアクセスができないような。

そこの部分へのアクセスは麻酔を打たれてるような
感覚の鈍感さがあって、それ以上は思い出せない。
その経路には辿れないようになっている。

過去の全てを忘れているのかといえば
そういうわけではない。
私が覚えていることで「執着」になるようなことを
見事に抜かれていることにある時気づいた。

私はなんのために生まれてきているの?
なぜ今ここにいるのか?
記憶抹消のその根幹は「愛」の仕組みである。
だから、そのおかげで、私はここにいる意味や、
生まれた意味を果たすために集中ができることには間違いはない。
ありがたいことに「執着」しているものが何一つなく
悶々とした想念をこの世界にばら撒くこともない。
純度高いエネルギーをこの世界に送れていることは
確かに間違いはないだろう。

でも、執着となる「楽しかった記憶」「また戻りたい」と思う
そんな記憶がことごとくなくなっている。

「あれ、なんだっけ、あの時何したんだっけ」
どんな会話をしたのか、どこにいったのか、何があったのか
ぽっかりと空いてしまっている。
本当にぽっかりと。あまりにもその部分を切り取られたような。

それを覚えてくれてる人と会話すると
本当に自分が忘れていることを直面して、
「記憶操作」の事実が本当だとわかってしまうと
途端に残酷さを覚えてしまった。

そして、今が最高潮に楽しいと感じる今も
もう大体は予測できるようになってきてしまう。
「ああ、きっとこれも忘れてしまうんだ」と。

なぜなら、先に行った私ならば
「あの頃に戻りたい」と絶対に思うはずだから。
そういうものが「対象」として選ばれることもわかってる。
この世界は、嘘などは通用しない。
言葉を使って洗脳したところで、
想念で飛んでいってしまうので丸見えなんだ。

だから、忘れたくない今の現状が
いつかきっともう忘れていて
私の体内からはなくなる現実を思うと
悲しくて悲しくて、どうしようもなく
どんなに泣きじゃくっても、
何をしようと、この宿命下からは逃れられないことを知っている。
だからこそ自分でもどのようにコントロールすれば良いのか、
いや、コントロールではなく、どうやったら、
スムーズに自分の中に引き受けられるのか、
困惑する時が3ヶ月に一回のペースでなぜかやってくる。

そんなことを一人で
自分の中で、自分の一番の弱みとして
孤独と闘ってきた。本当に孤独だった。

私の母も、私の記憶がなくなっていることに気づいている。
だから、正直に話をした。
隠せないほど記憶の抹消率も上がっているんだろう。
母との会話が噛み合わない。
そんな母の顔がとても悲しそうで見ていられなかった。
だから、もう、このことは母に相談するのはやめた。
母のことが大好きだから、悲しい顔を見たくないよ。

だから自分一人で孤独と戦う方が楽だった。

でも、神様は優しかった。
私がそうして、一人でその孤独と向き合うと決めた途端
私の人生のタイムラインに
「私が心から信用できる人」を送り込んでくれた。

年齢は離れているし、
普通の三次元だけの世界の関係ならば
絶対に交わるはずのない人だろう。

でも、間違いはなかった。

「この人なら、私の全てを知っても、驚かず、むしろ面白がってくれる人だ」
そんなふうに感じたファーストインプレッションはその通りだった。

私の全てを受け止め、面白がってくれる。
何も驚かないでいてくれる。
あの波風が立たない、一定感と安定感が心地良すぎた。
ちゃんと神様が私の元へ配備してくれた。

そして、しっかり過去生記憶も見せてくれる。
やっぱりその方と深い繋がりがあった。
だからここまでの安堵感がる。おかしいほどに。

過去生でも今世でも、その方と私との距離は絶妙だ。
いつも遠くから見守っていてくれる。
私が破天荒しようとも、無茶しようとも
いつも遠くから見守っていてくれる。
そして、私がたくさんの経験をして、
傷つきまくった時はその方がいつも匿って
私の居場所として、その場にいてくれる。
いつだって干渉しない、優しさだけで包んでくれる
見返りもなく、優しさの関係だけで紡がれている関係とが
今と同じくリンクしている。
これ、知ってるよって感じなんだ。

私は愛を思いっきり伝えたいタイプで
それは恋愛とはちがう。
「愛」と「恋愛」は全くの別物で、
私はもう「恋愛感情」は沸かなくなっている。
次元が低すぎるようにさえ感じてしまって、波動が合わない。
だからその代わり「深い愛」というものが持てるようになり
その「愛」は男女問わず、ちゃんと表現したいし
言葉にしたい。伝えたい。
伝わる波動でその場の空気が柔らかなものになり
幸せな気持ちになる、その空気感が大好きだから。

でもまだこの世界では、
「愛の表現」を「恋愛の表現」として受け取られてしまうこともある。
相手に誤解を招く、勘違いをさせるという現象を引き起こしてしまうこともある。だから、伝える相手というのも選ばなければならないことも学んだ。

でも一周回ってもう面倒だと思った。
いいじゃん、もう。
愛を伝えたいならば、伝えたくなった瞬間伝えればいいと吹っ切れた。
そこには男女なんて関係ない。
だって、愛してるんだもん、ありがとうって思うんだもん。
いいじゃん、伝えたって、って吹っ切れた。
幸せだった。
愛を叫べるって、自由に愛を伝えられるって
本当に幸せだった。
大好きって言えること、言わせてもらえること。
その言葉のまま受け取ってもらえること。
そして循環されること。
見返りがないこと。クリアでいてくれること。
それが嬉しくて嬉しくて仕方がない。
本当の愛の循環が世界に回せている感覚があった。

そんな大事な方との出会いも
そう長くは続かないこともどこかでわかっている。

私がその方との役割を終えれば、
いつものように、私の内部から「違和感」を引き起こして
私に次のステージに行くように促す。
このパターンも何度もやってきた。
だから今回もきっとそうなるんだろう。

私が同じ場所を止まらないように
そうやって上手くできている。
そこにいきなり、悲しさが込み上げて
例のセンチメンタルがやってきた。

「ああ、これも忘れてしまうのか」
もう慣れているはずなのに、
やっぱり落とし込めるまでには時間はいる。
私もやっぱり人間だ。

でも今回は、その悲しみを一人で背負いこむのは
やめる選択ができた。
ちゃんとこの事実を話そうと思えた。
隠さないで、知っておいてもらいたいと思った。
それくらいクリアな関係でいたかった。
何も隠したくなかった。

だからありのままを話し、
ありのままの感情を出して
ありのままを表現した。
いつもながらに共感と共に、落ち着きながら
驚かないでいてくれた。
「自分がちゃんと覚えておくから。それでいいよ。」と。

その言葉に救われた。
そうか、私が例え忘れてしまっても
誰かの中にその記憶をちゃんと残しておいてくれるなら
それでいいじゃんって思えた。

ちゃんと覚えておいてくれる人がいる。
だから、私は安心して忘れられる。
そうやって、忘れることが怖くないって思えて
それでようやくこの宿命を
上手に自分の体内へと引き受けれそうなそんな兆しが見えた。

より、今このときを大事に。
そしてその瞬間に沸いたことを
ありのままに表現して
ありのままに行動して
人生楽しもうってそう思えた瞬間だった。






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