バートランド・ラッセル 「私がキリスト教徒でない理由」(1927) 11/15 【キリストの教えの欠陥】

宗教は、この世界を理解する手段がなかった頃に、「起きていることに説明をつけたい」「理解して(理解したことにして)なんとか安心したい」という人間の自然な感情から生まれたものと私は思いますけれども、そんな風に太古の昔の環境から生まれたもので、今でも固く信奉されて世界に影響を及ぼしているものって、宗教の他にあるでしょうか?

原文はこちらのリンクより。

https://users.drew.edu/~jlenz/whynot.html

DEFECTS IN CHRIST’S TEACHING
キリストの教えの欠陥


福音書の格言は確かに優れたものだが、その中には、キリストの無比なる知恵と善良さが疑問になるものが幾つかある。

なお、ここでは歴史的な問題については触れない。

歴史的観点では、キリストが実在したかどうかは極めて疑わしく、たとえ実在したとしても、我々は彼について何も知らないからだ。

したがって、ここでは難解な歴史的問題は取り扱わず、福音書で描写されているキリストについて考察する。

その内容には、あまり賢いとは思えないようなことが見受けられるのである。

一つには、キリストは自分の再臨(訳註1)がその時代の人々が死ぬ前に栄光の雲の中で起こると確かに考えていた。多くの聖句がそれを証明している。
(訳註1:再臨とは、キリストの死後復活のこと。終末のとき、天からキリストが再び現れ、人類の審判と救いを行う。)

例えば、彼は「人の子が来るまでにイスラエルの町々を巡ることはない(訳註3)」と言っている。
(訳註2:人の子とは、キリストが自分のことを言う時に使う言葉です。なので、キリストと読み換えられます。
この一文だけだと意味不明ですが、これは「町で迫害されたら、次の町に逃げなさい。はっきり言っておくが、キリストの再臨前に、イスラエルの町々を回り終えることはない。」という文章の一部です。つまり、そんなに時間が経たないうちにキリストは再臨すると言ってます。)

また、「ここに立っている者の中には、人の子がその王国に来るまで死を味わわない者がいる(訳註3)」とも言っている。
(訳註3:これもわかりにくいですが、要はこの中の何人かがまだ生きてるうちにキリストは再臨すると言ってます。)

随所から明らかにキリストが彼の再臨は当時の人々の多くがまだ生きている間に起こると信じていたことが分かる。

彼の初期の信奉者たちはこれを信じており、このことは彼の多くの道徳的教えの基礎にもなっていたのである。

彼が「明日のことを思い悩むな」と言ったのは、まもなく再臨が起こるのだから一般の世俗的な事柄は重要ではないと考えていたからだ。

実際、私の周りにも、再臨の時は近いと信じていたクリスチャンが何人かいた。

ある牧師などは、「もうまもなく再臨が訪れる」と礼拝で説教し、人々を震え上がらせた。
しかしその後、その牧師が庭に木を植えているのを見て人々はほっと胸を撫で下ろした。

初期のクリスチャンは再臨が近いと信じきっていたので、庭に木を植えるようなことを控えていた。

この点で、キリストは誰よりも賢かったとは言えないこと、明らかに超越した賢者ではなかったことがわかる。

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