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依存症と危機感

「私は難病指定の病人だから、一生治らないの。死ぬまでこの病気と上手に付き合っていかなければならないのよ。」
 私の知人は、よくこのような話を誰にでもする。
実にあっけらかんとした口調で淡々と話すのだ。
聞いている側は、一瞬どうリアクションすれば良いのか悩む。沈黙を回避するために、適切な、いや、無難な言葉を探そうと焦る方々をこれまで何度も見てきた。
 私があいだに入り、話題を変える役目を果たしたことはこれまで何度もあったし、今なおその役割は引退できず状態にある。
 あるとき彼女に「あなたの病気のこと、初めて会う人には詳しく話さなくてもいいんじゃない?みなさんリアクションに困ってしまうから。」と、ハッキリ物を申したことがあった。
だが、そのときの彼女からの言葉がとても意味深で、思わず深く頷いてしまった私……
これまで彼女の話に戸惑いを見せた方々と同様、私までどうリアクションして良いかわからなくなってしまったのである。
 今日はそのことについてお伝えしたい。

「私ね、「自分は難病で一生治らない」という言葉に依存しているのよ。自分でもよくわかるの。自身に何度もそう言い聞かせることで、自分を肯定してるのよね。
なんだろ、自分をそのカテゴリーに押し込むことで、周りからもそういう目で見てもらいたい、そして「自分は難病で一生治らない」というスタンスを私自身が理屈で確立しておきたいの。だから私、すっかりこの言葉の依存症になっているの。」

先ほどお断りしたように、私はこの彼女の説明に対して咄嗟にリアクションすることができなかった。
彼女の言葉は、なおも続いた。

「実は、言葉の依存症になっている私の裏側に、もう一人の私がいるの。ようやく言葉への依存症が自分でも納得できつつある一方で、もう一人の私が現れて「その依存のままでいいのかい?」と訊ねてくるの。それが私を焦らせるのよ!」

語気が荒くなった彼女。ますます私はリアクションができなくなり、ただただ頷くだけになってしまっていた。
「もう一人の私は、依存症を否定して私に危機感を植え付けるの。難病を理由にして、周りに助けてもらってばかりじゃダメだろ?といった具合に。
だから私、日頃から身体に気を遣って加減しながら生きているのに、自分の身体に鞭打って、必要以上のことをやってしまうの。そして身体がへとへとになっては後悔し、複雑な気持ちになっては頭を整理しなくてはならないのよ…」

ここまで話してもらって、ようやく私もリアクションができる体制になったのである。
「あなたの心の中は、常に依存危機感共存していたのね。そんなこと全くわからずに生意気な意見を押し付けてしまってごめんなさい……あなたが難病の話を初対面の方に話していたのは、両義併存しながら必死に格闘していたのね……」

人は、自身が予期せぬ事態に巻き込まれたりすると、自分は今こういう状況だから!と何度も説明し、周囲に自分のシチュエーションを理解してもらいたいという衝動に駆られる。
しかし、ひとたび理解してもらうと、今度は周りに迷惑をかけてはいないだろうかと、不安に駆られ、心が苛まれてしまう。

私の知人は、この状況を依存症と危機感という言葉にして私に教えてくれた。
深く反省すると共に、人が発する言葉をもっと深く理解していきたい、と改めて感じている私が今ここにいる。





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