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そのときモヤモヤ感じていたこと

昨日久しぶりの職場の大勢の飲み会に、わざわざその日のために予定を調整してまで行きたくて参加したはずなのに、やっぱりそのときモヤモヤ感じていた私の心のウチを綴ってみる。

そういうときにいつも湧きがちな私の心の中の小さな吹雪みたいなものを、
帰ってきてから考えてやまない思考を、
ノートに書かずにはおられないでいる私の心情を、ここnoteに残すことにしてみる。

私はとかく自分のコミュニケーション能力に自信がない。
何にいちばん自信がなくなってしまうかというと、やっぱりそのコミュ力が高くて他人との関係を上手に築けるひとのことを垣間見ると羨ましいなと思うし、そうでない自分を感じてソワソワしてしまうときに心の中がざわざわし始める。


そしてその飲み会のときも、そんなため息を久しぶりに感じていた。


そのときの心境について後からあれこれ思ったり、モヤモヤ考え込んでしまっても私がどうこう変わるわけではないけど、頭の中に沸き起こったぐるぐるは鳴り止まない。

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同僚のKちゃんって前からコミュニケーション能力が高くていいな、すごいなって思ってたけどやっぱりすごいなと再認識したところで私が変わるわけでもない。
でもやっぱりKちゃんのコミュ力高いのすごいなぁ、いいなぁと感じている自分を隣で座っていてすごく感じていた。


私は大人しいとか言われがち。その会でも言われた。
実際よく喋るっていうことができないから、せめて人の話をよく聞ける聞き上手さんになろうという方向へ心を持っていってようやく心を平静に保つような。。


でもKちゃんは聞き上手さんでもあり、話の合いの手がうまくて、相手の話題をイヤな感じではなくサラッと引き出すのがとても上手で、サラッと笑顔でツッコミも入れるし、頭がいい人なんだろうなと思う。そりゃあもう敵わない。


でもたぶんそれをKちゃんに伝えたら、私にだっていいところいっぱいあるじゃん、〇〇なところとか、〇〇なところも素敵だしぃ‥と言ってくれるKちゃんが想像できる。そんなKちゃん素敵過ぎないか!



私はやっぱり気軽に気楽に喋れないということにコンプレックスを感じがちだし、ポンポンとテンポよくなんて喋れない。
そういうことを気にしているという自分であることは前にも記事に書いたような、、


そうだよ、私はポンポンと会話が続かない、喋れないということを気にしているタイプの人間なんだった。


フレンドリーで誰とでも気さくに話せるタイプでもない私は、フレンドリーで誰とでも気さくに話せる人に対してコンプレックスを感じがちなのは前にも書いた。そう、そういうことを気にしてるタイプなんだ。


大勢のひとのいる中でもスイスイ泳ぐように自然体でいる陽キャな要キャラなKちゃんやEちゃんは明るく眩しかった。羨望のまなざしで見つめている私がいた。

私は隅っこのほうで笑ってられればいいやと思うけど、実際誘導するようには自分からは話せないし、いつもどこかにこういう自意識があり過ぎる。


昨日は久しぶりの大勢の飲み会を私なりに楽しみにしていたはずなのに、やっぱり久しぶりの大勢のなかにいる私はあんまり喋るというよりはただ聞いていて笑っているということが多かったし、
いっぱい人と喋れて楽しかったというよりはとにかくKちゃんのコミュニケーション能力の高さに圧倒されるような羨望と、少しのコンプレックスを感じてしまっていた。


そしてそのことが、帰ってきてからも頭の中でぐるぐるしてたのでノートに気持ちを取り留めもなく綴ることで、気持ちを落ち着かせようとした。


どう締めくくれれば、私的にはよかったんだろう??


あんまりこんなふうに感じ、考え過ぎもしないで、野心的でもなく、自然体に人が好きなんだろうなという人にはやっぱり敵わないなと思った。


そういう人っていうのは私の真逆のタイプの人なので、きっと自信がないの真逆で、いちいちそういうことも考えたりもしないでひとの中にいられる人なんだろう。
そしてどう逆立ちしても私はそういう人にはなれないけど、どこかで羨ましいと思っちゃうってことは私もそういう人になりたいんだろうなって素直に認めちゃえばいいのか。いや、わりと認めているとは思う。

きっとやっぱりKちゃんとかEちゃんは、私みたいにぐちゃぐちゃ考え過ぎたりはしないんだろうなと思う。


でも私は〝そうじゃない自分〟もただ素直に認めることがいちばんいい着地点なんじゃないかとここまで書いてようやく思った。
〝そうじゃない自分〟を自分で認めちゃって笑い飛ばせたら最強かもしれないなと思った。