距離感とスルー力
娘に最近、案外優しく言ってもらった言葉をここに忘れたくないから書いておこうと思う。
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『お母さん、うまくお父さんと距離感を保って、いちいちお父さんの言うことに反応してイライラ、ブチ切れたりヒステリック起こさないで、スルー力を身につけてよ💡
お母さんがあまり傷つかないようにこれからも距離感保ってうまくやっていってよ』
3年後には娘たちもみんな家を出て行くかもしれないよね、、と言う話をしていた時に娘が発した言葉を頭の中で反芻しながら噛みしめていた。
結局、私はなんだかんだで離婚を選ばないかもしれない。
子供たちにも前からたまに言われてはいた「子供たちが3人みんなうちを出ていっちゃったらどうするの?」に対して
私は、じゃあやっと子育てのお役御免になったから、やっとフリーになれて好きなことをするぞとは思ってなかったし、子供たちがみんな巣立ったからようやく夫とも離婚ならぬ卒婚と考えているわけではない。(時々は、よぎることもなくはないが‥)
私としては、猫たちのいる実家として3人の子供たちのホームベースでありたいという夢というか思いをどうしても手放したくはないのだ。とは言っても、子供たちにとって今まで居心地のいい我が家だったかといえば、正直自信はない。ただ、どうしてもそこの守りたい気持ちは手放しちゃいけないんだと思ってなんだかんだ今まで頑張ってきたとも言える。
子育て中だって、私はたまには友達と遊んだり飲みにも行ったし、今も好きなアーティストのライブには行きたければ行くし、もちろんその時は晩ごはんの用意もちゃんとしてくし、私ものびのびとやらせてもらってはいる。
いちばんの不満なのは夫がアルコール依存症なことで、ふだんはまぁ普通に話もできるし、いいことも数えたら少しは、いや意外とあるかもしれない。
結局、夫のアルコール依存症という根本的な問題は一向に解決はしないが、私の捉え方次第では案外私もこれからも夫婦生活を辞める気は無さそうだ、と何故か他人事のような書き方になってしまっているけど、それが私のほんとの気持ちだ、きっと。
続けていくと選択するのも自分だし、ここで自分の心に従ってどうしてもやっぱり無理と判断したとして離婚を決めるのも自分。
続けていくと選択することで決めなきゃいけない覚悟というのもあるかもしれない。
いざとなったらヤツの面倒みる覚悟、そして私に対してはアテにはできないかもしれないある意味、精神的な意味で共依存しないで自立して生きてく覚悟を決めること。そういう腹を括ること。
私は3匹の猫たちに救われているとも言えるし、三匹三様の猫たちがみんなのびのびと暮らせるように、私ものびのび暮らしていきたい。
そして私は好きな音楽を聴いたり、本を読んだりインプットしたり、noteでアウトプットしたり、たまには友達と飲みに行ったり、家族で美味しいものを食べたりお出かけしたり。。
そんなふうにして他人の幸せと比べたりしないで、私のささやかな幸せっていうものを大事にしていけたら、案外これからもこのままの生活を続けていっても楽しく暮らせていけるような気がした。