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本当に必要な買い物って?

この頃、私たちの家の家電たちの寿命が終わりに近づいているようで、最近は商品の質、買いどき、などに頭を占領されています (企業側が作為的に製品の寿命を短めにしている「計画的陳腐化(Planned obsolescence)」のせいか、とか思っています。これについてもまた別の機会に話そうかと)。そんななか街を歩いていて、何度も自分にする質問があります。
「今私たちが住んでいる社会、なんて消費活動が中心の社会なんだろう。本当に必要な買い物って何?」

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私が今生活しているイタリア・ボローニャでも中心地は様々な店が立ち並んでいます。どの店も、通行人を客に変身させるために道から見えるところに商品を置いている。そして吸い込まれるようにお店に入っていくひとびと。両手に商品を抱えて満足顔で店を後にする客。

私たちは商品を買うとき、何を目的に買っているのでしょうか。生きていくために必要だから。日常生活に必要だから。仕事をするために必要だから。その商品を試してみたいから。その商品が魅力的で格好が良いから。友人が持っていてうらやましかったから。

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ふと半年ほど前にここイタリアで起こっていたCovidによるロックダウン中のことを思い出した。私たちの買い物はほぼ食料品のみに制限されていた。ほかの店は閉鎖。特にあれがないこれがないと不便を感じなかった、少なくとも私は。なぁんだ、普段私たちが無意識に行っている買い物って、そこまで緊急なものは多くないのだな。それに使っていた時間、頭はほかのことに使うことができる、モノを買わなくても、身の回りにある限られたものからも、楽しさと幸せと価値を十分に享受することができる。この後者のほうが私たちにとって断然に重要なことなのかもしれない。これが、消費行動が(よい方向に)変わっていく良い機会にならないかな、そんな風に感じながらあの時期を過ごしていました。

しかし、ロックダウンが明けた後、ある光景を見て唖然としたことを覚えています。Apple storeの前に長蛇の列。チェーンの衣服店の前にも。
商品を買ってはいけない、ミニマリストにならなければいけない、といっているわけではないのですが、このような光景を見ると少し残念な気持ちになる私がいます。
なぜかというと、買い物をすること、モノを所有することで自分の満足度、幸福を満たしている人が多いように見えてしまうからです。
こんなことを悶々と考えているとき、いつもある言葉を思い出します。

「l’homo consumens」

これはポーランドの社会学者ジグムント・バウマン (Zygmunt Bauman)が、現代社会の我々人間を表現するのに用いた言葉です。 

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現代の経済は「満足感」を満たすための各々の選択によって成り立っている。そんな経済システムは満足感を作り出すのはなく、「不満足」をあえて作り出している。経済成長を生み出すには、常に不満足の消費者が存在している必要がある。このl’homo consumensは常に欠乏感を抱いており、これはフラストレーションを増幅させ、この気持ちを抑えるために衝動的な消費にはしる。つまり買い物をすることが消費者にとって慰めの瞬間になっている。

と彼は説明しました。

とても的を射ているな、と私は思い、彼の思想に出会って以降、自分の消費の仕方に気を付けるようになりました。便利な機械・モノ、衣服から食べ物まで、注意して私たちの消費を見てみればいろいろ分類でき、各消費に対して考えなければいけないことって、予想以上にたくさんあると思うのです。私もこの1,2年、やっとそれに気づき始めたところです。
そんなこんなで、時には私の考えをこのように共有できたらなと。

ではでは。


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