『止めたバットでツーベース』村瀬秀信著(双葉社刊) 男たちは、野球を生きるーわたしたちは? 真面目な書評風ーその1


「私小説」という言葉が消えてから、どのくらいたったのかわからない。

知ってますか?「私小説」。明治から昭和の文学の一名称で、「私小説こそ真実の文学」だ、と唱えられていたことすらある。

ものすごく大雑把にくくると、その小説を書く作家自身の「私」の行動や思考を真実(事実とは別のもの)に基づいて、延々と描写し続ける形式の小説だ。かろうじて今の人にも通じるかもしれない代表的な作家は、檀一雄『火宅の人』 島尾敏雄『死の棘』などがあるが、説明してたら誰も読んでくれなくなるだろうから割愛する。

この昔の純文学ー私小説を書くために、作家達は、破天荒な人生を歩んだり家庭を壊したり、極貧になったり、肺病になったり、心中したり、しなければならなかった。(死んじゃったらもう書けないけど)

端的に言って「私小説家らしい」とは、作家=文学で、世間一般とは懸け離れた行動や考えや生活を選んでいる者ーアウトローであることだった。

そんな、かつての文学の形に、こんなところで巡り逢うとは、ついぞ想像したこともなかった。

村瀬秀信著『止めたバットでツーベース』(双葉社刊)

昭和が終わって30年。平成の世、最後の年に滑り込んだ、野球を巡る18本の逸話。中でも感銘を受けた物語、数本について、語ってみたい。


第1章「君は近藤唯之を知っているか」

昭和の野球講談師、スポーツ記者であり文筆家、近藤唯之。

作者の村瀬秀信(敬称略)は、1975年生まれと書いてある。1974年、昭和49年、長島茂雄の引退の年。わたしは、12歳。一回り上ということになる。

V9巨人が終焉を迎えた後、少年マンガ誌では水島新司先生絶頂期ー『ドカベン』『大甲子園』『球道くん』『野球狂の詩』青年誌でも『あぶさん』などなど。少年ジャンプでは、ちばあきお先生の『キャプテン』があり、77年(s52)には江口寿史(敬称略)の『すすめ!!パイレーツ』が連載された。

高校野球も大ブームで、作新学院の江川卓、銚子商業、篠塚利夫、東海大相模原辰徳、鹿児島実業高校、定岡正二、などなどアイドル人気もすごかった。

中学生の頃には、週刊ベースボールを自分で買って読み、新聞記事もスクラップするくらいプロ野球も大好きだった。近鉄バファローズの大ファン。野球関連の本も良く読んでいた。

そんなわたしだったが、「近藤唯之」の名前は、なんとなく覚えているけれど著作を読んだ記憶はない。

けれども「君は近藤唯之を知っているか」に紹介される文章や、描かれる野球文士近藤唯之の姿ー包丁一本ならぬペンと原稿用紙だけを抱えて、転々と職場を移り変わり、プロ野球界の荒波を渡り、ひたすら書き続けるーは、なんだかものすごく見知っているような気がしてくる。

ああ、昭和のプロ野球って、こんな感じだったよね・・確かに。みたいな。

作者は、文中で自分のような団塊ジュニア世代は、幼少の頃から父親の読む近藤本に慣れ親しんでいたと述べている。そんでもってそこから「男として生きることの物悲しさであり、覚悟というものを自然と植えつけられていく」(P8)という。

・・・・・それが真実かどうかは、とりあえず置いておくとして。

作者が、リスペクトし、その文体に激しくオマージュを寄せる「近藤節」なる近藤唯之の文章と、彼の群れず誰ともつるまないアウトローな生き様は、凄みがあり、きっと面白いだろうなと想像させる。

のだったが、当時少女であったわたしは、そういうもんが、嫌いだった。

野球マンガーアニメの名作と名高い『巨人の星』も嫌いだった。

男の人生とか生き様とか、血とか汗とか、クソクラエとしか思えなかった。

なのに、プロ野球が大好きで(巨人の星以外の)野球マンガが、大好きで、近鉄バファローズという「男の人生」たら最も男くさいようなチームが大好きで、悲運の闘将西本幸雄監督の大ファンでファンレターまで出していた。

この大いなるギャップ、屈折ってなんなんだろう?

「男の人生」「男の生き様」…。

「男の世界」であるプロ野球は、男にとっては「自分自身でありえる世界」だ。だからこそ、少年は、その世界に憧れ、語る言葉に共感する。

でも、女の子であった、わたしにとっては違う。

プロ野球、それは「女のいない世界」だった。

昔はグラウンドに女が入ることは禁止だった。女子アナが入ったら追い出されていたんだよ。今なら女性差別だって立腹するところだが、当時はなんとも思ってなかった。むしろそれでいいと思っていた。

「女がいない」から楽しいんだもの。

それはなぜかと話しだすと長くなりすぎるから、これも割愛するけれど。だからこそ、わたしはプロ野球にあんなに夢中になったのだし、でも男じゃないから「男の人生」に、共感したりもしなかった。ふーんと思うだけで。

あったのは「女のいない世界」への妄想だ。そうだったのだ。

プロ野球ファン歴、40数年にして、なぜ70年代ー昭和の北海道の片隅で少女は、ただ一人、プロ野球に夢中になっていたのか、謎が解ける。

女と男の間には、長くて暗い川があるー

昭和のプロ野球を語る言葉に、女の言葉は、おそらく何もない。

近藤唯之、アウトロー文士の道は、そのさらにアウトサイドをも照らし出す。

計らずも。

うなるような思いである。


                    その2に続く 
























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