見出し画像

『「少女マンガを語る会」記録集』ー少女マンガはどこから来たの? 戦前から戦後へ激動期が育んだ花たちのー少女マンガを取り戻すためにーそれもまたどこから? その2

そもそも「少女マンガ」って一体なんなの?

考えてみたことのある人は、多分少ないですよね。『「少女マンガを語る会」記録集』(2020年刊 監修水野英子 編者ヤマダトモコ 増田のぞみ 小西優理 想田四)によれば、昔の漫画、明治、大正、昭和、戦争前には、はっきりと男子向け、女子向けみたいなジャンル分けはなかったそうです。「少女倶楽部」「少年倶楽部」といった少女雑誌、少年雑誌はありましたが読み物主体で、漫画は添え物的なものでした。

わたしが今「マンガ」と「漫画」というふうに表記を敢えて書き変えているのは、昔の漫画と今のエンタメ商業化されたマンガは、ルーツとして繋がりはあるけれど、社会的な認知のされ方や表現としての変化や差異があることを伝えるためです。既存のマンガ批評、評論でも、そういう形式が取られることが多いです。

世界中に、子どもや青少年のための読み物や娯楽はあると思いますが、日本には、前提として「少女向け」「少年向け」の雑誌ーメディアーがあり、読み物娯楽文化があり、挿絵文化もあり、漫画もあった。

太平洋戦争が終わり、アメリカによる占領時代に強力な文化統制、検閲があり、旧日帝軍国主義はもちろんのこと、いわゆる「日本的」なもの「和風」のものも禁止されていました。チャンバラ、相撲、武道…など。

その占領期に一世を風靡したのが、手塚治虫であり、彼が発案したとされている「ストーリーマンガ」です(この発祥に関しては諸説あります)いわく「映画のようなマンガ」。

リンクした手塚治虫公式サイトの年譜から引用しますと。

1947年(昭和22年)  19歳
1月「新寳島」(1947)酒井七馬原作の長編マンガ「新宝島」刊行。版を重ね四十万部を売り尽くす。

今だって40万部といったら十分なベストセラーですが、戦争が終わってわずか2年後。時の子どもたちがどんだけ驚き夢中になったかは手塚に続いたマンガ家たち、読者による幾多の証言が残されています。

民主主義国家に生まれ変わった日本において少女マンガでも少年マンガでも手塚治虫が「マンガの神様」と呼ばれるようになったのは(手塚自身の無自覚な戦略、権力意識はとりあえず置いておいても)この敗戦後のどさくさに生まれた、闇市や縁日で売られるような「赤本マンガ」が、誰でも読める形式だったこと、内容が日本でもアメリカでもない「別の世界」だったことから始まると、わたしには思えます。

以降、続々と繰り出される手塚マンガ。原初的にはディズニー・アニメーションに影響されたキャラクターも描線もまるっこくて可愛い絵柄で、それまであっただろう日本の「男らしい」「女らしい」概念からも外れている。女の子でも男の子でも読めるし、どこに住んでどんな暮らしをしていようともマンガ本を手に取りさえすれば、空想の世界に羽ばたくことができる。

日本の女性漫画家の発祥には諸説ありますが長谷川町子がもっとも早いとされてきました。しかし長谷川町子は、近代漫画の女性先駆者ではあっても『サザエさん』は国民的アニメではあっても、次世代マンガへ直に影響を与えたとは、言えないと思います…。

2021年のマンガに繋がる「マンガの神様」は、やっぱり手塚治虫なのです。手塚マンガが大々的に売れたー商売になったのが、最大の要因だとしても。その売れたマンガの内容ー子どもたちが熱狂した中身が、後に繋がっていくのですから。

といって、これはもちろん別にわたしが考え出したわけはなく、色んな論者多くのマンガ好きの人々が語ってきたことです。特に初期の手塚マンガの特性として「両性具有」のときめきがあります。先にも言いましたが、キャラクターは丸っこくて可愛らしくて、見ようによっては女の子にも男の子にも見える。それは言い換えれば性別以前に固有の身体性もない「記号的な存在」でもある(「マンガ記号論」も懐かしのになっちゃった?)

例えば『鉄腕アトム』のアトムは「男子」ですが、なにしろロボットなんで性別はありません。性別はないが、自認ー社会的設定というべきかーは男の子で自称は「僕」である。

でもだからといってアトムは「男らしい」顔はしてません。ロボットですが、どこかぽっちゃりしてて、おめめはぱっちりしてて、あまつさえまつげまでついています。後に少女マンガへの揶揄として「巨大な目玉に星が瞬いている」=非現実的なと盛んに言われましたが、少年マンガだってはじめっから目玉はでっかいし、ホワイトの星がついているんです。

『ジャングル大帝レオ』のレオも『どろろ』の百鬼丸もどろろ(は女の子ですが)もみんなそうだし。だから手塚治虫が少女雑誌で始めて描いたとされる(これも神話ですが)ストーリー物の少女マンガ『リボンの騎士』もすんなりと繋がっていけたのではないか。

『リボンの騎士』のサファイアも「王子として生まれた女の子」だったわけですが、昔の漫画と一線を画し、民主主義国日本に勃興していくことになる少女マンガの原点は、ジェンダーフリーの夢物語であったのは、ただの宝塚好きの青年が起こした偶然だったのか、時代の無意識の要請だったのかは、また別の話として。

社会の復興、経済的な余裕ができるにしたがって娯楽の需要も増していく。手塚ブームに端を発したマンガは、1950年代から60年代にかけて赤本貸本マンガを経て、雑誌へと完全移行していきます。そして、少女マンガもまた、この時期から確立されていく少女向け雑誌ー少女マンガ誌と一体となって発展していく。23歳の頃に「手塚先生のマンガを読んで」挿絵画家からマンガ家へ転向したわたなべまさこ、手塚が暮らした伝説のトキワ荘で、ただ一人若い女性マンガ家として出発した水野英子を筆頭に、多くの女性マンガ家が活躍していくことになるのです。

『「少女マンガを語る会」記録集』には、その時代、少女マンガの勃興期を担っていったマンガ家たちの記憶と証言が集められています。

その1で述べた「100分de萩尾望都」でのヤマザキマリさんが語っていた「昔は少女マンガも男性が描いていた」のは事実なんですが、男性主流だったのは、貸本や雑誌が多発していった50年代のことであって、60年代半ばにはどんどんいなくなっていきます。(わたしが少女マンガ誌を読み始めたのは1972年ですが、巴里夫さん、弓月光さんなどしか覚えてません…。楳図かずお先生は別枠だし😀)

「少女マンガを語る会」に参加しているレジェンド、水野英子、牧美也子、わたなべまさこ 花村えいこ、矢代まさこ…錚々たるマンガ家のみなさんは、当たり前ですが、当時は青年、若い女性であった。わたしが驚いたのは、その若い人たちの仕事量の多さでした。毎月毎月貸本の単行本を描く、雑誌の編集者によるマンガ家の青田刈りというか出版社間の作家の取り合い、当時は「描き手」の売り手市場だったのか? と思うくらいです。

技術的には、当時のマンガには確かにそれほど高度なものは求められていなかったし、これも記録集でも述べられてますが、著作権の意識もほぼない、原稿も返さないのが当たり前の時代があり、出版も描き手も描き飛ばし売り飛ばしているような現実はあったのだろうと思います。

だけど、それにしたって、いったいどこからこんなに若い女性たちがマンガを描く仕事をしようと溢れ出してくるのか…。わたしも描きたい!表現したい!お金を稼いでもいいんだ! 暗く不自由だった戦争時代から、明るく自由に開けてきた時代の、強い気持ちや希望を感じ、想像するに胸がわくわくドキドキしてくるように。

(純然たる仕事として少女マンガを描いていた男性たち、望月あきらやちばてつやといった方々は、「少女マンガには感謝してます」と言いながらも、やっぱりそういう情熱、希望は感じられません。良いとか悪いとかではなく、彼らには彼ら自身のやりたいこと、希望があったのですから。少年マンガへ移動した後の活躍が、それを証明しています。)

この敗戦後から高度経済成長期を迎える時の女性マンガ家の進出ー情熱と希望ーがなければ少女マンガの勃興は始まらず、当然、次世代「70年代少女マンガ革命」と呼ばれた、社会現象にまでなった、戦後生まれの女性マンガ家たちによる少女マンガのムーブメントはけっして訪れることはない。

話が飛びますが、たまたまNHKBSで歴史検証番組を見ていて。スペイン風邪が流行する中、一人の少女が残した日記が発見され、彼女の日常から当時の日本を検証する内容でした。こういう個人個人の視点から見ていくことが、歴史の真実を探り学ぼうとする上で実はもっとも大事だーというようなことをコメンテーターの歴史専門家が述べていました。

歴史は「歴史」という一塊ではなく、一人一人の人間が生きてきた集積によって形作られる、それを忘れないようにという意味かと思います。一人一人は余りにも多いから小さい点になってしまうけれど、小さい点がなければ、線にも面にも立体にもなりません。「国」も同じくですね。誰一人も存在しない国は、国ではないように。

今ここで、わたしたちの生きている世界は、多くの<わたし>が、生きてきた世界です。今、手にしている素晴らしい何かも(全く素晴らしくない何かも同じくですが)過去から繋がってやってきているーそれがわたしたちが、生きている、生きてきたーということ。

今、手にしている素晴らしいものの一つである、少女マンガもまた。

一人一人のマンガを描こうとした、牧美也子さんの言葉のように戦争の時代を過ごしながら生き残り「心の中にあるものを表現しよう」と願った人の手によって紡がれ、また多くの読者、一人一人の心に、一つ一つの光を灯していったからこそ、今ここにある。

どうぞ、その道筋を二度と踏みつけられることのないように。繋げるのは、また一人一人の、わたし、たち。

夢見ることを恐れないー 憧れること 愛そうとすることを諦めない。

少女マンガのレジェンドから、未来の少女マンガを描こうとする人たちへ。未来の多くの子どもたち、若い人たちへ。

花束は、送られています。



『「少女マンガを語る会」記録集』を読んで 小野山理絵


























この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?