新型コロナとプロ野球ー試合の出来ない日々の中 みんな同じように生きているけれどー


雨の日曜日、なんもすることがありません。

テレビの CSチャンネルでは、2011年のダルビッシュが投げてる試合を放映してる。プロ野球の開幕が延期となり、何も放送することができない局の人たちも苦労してるんだろうな…CSなんてきっと全員契約社員かバイトだよね…。

プロ野球の歴史上、シーズンが中断したのは、戦争の時だけだった。んじゃないかなあと想像して、調べてみようと検索してみたら、こんな記事がありました。

抜粋してみると

ー1944年(昭和19年)には、まだまだ戦争が続いていたんですが、全球団が今度は産業戦、なんとか産業っていう産業戦。興行じゃなくて、産業の戦いだと称して、試合を続けていました。

 参加チームは6球団で、巨人軍、阪神軍、阪急軍、産業軍、朝日軍、それから近畿日本軍という、後の南海、今のソフトバンクになるチーム。この6球団で、しぶとく行いました。3回戦総当り、但し試合は土曜・日曜のみ。戦地では難しい戦いが続いていましたが、野球の方はこの国内で残っている人間で続けたわけですー(すごく面白い記事なので是非全部読んでみてください!)

驚いたことに、結局終戦まで、なんとかこんとか続けていたらしい。戦後もあっという間に復活するし、どんだけの執念か。なんで当時の人たちは、こんなに野球にしがみついてたんだろうかと不思議の念を抱きながら。 

でも、まさに命がけの修羅場をくぐっても続けてきたならば、現存するプロ野球界のおじいさんたちの執念深さ「昭和の野球」の継続にこだわり続けるその心情もわかるような気がしてきます。(だからと言ってその頑迷さ、弊害を認めないのは、野球の存続を妨げるものだともわかってもらいたいですが)

それにしても戦争時代は、物理的に、選手が徴兵されていなくなった、球場が爆撃されて野球が出来なかった、ということですが、この度の新型コロナによる開幕延期は、選手は全員元気でも試合が出来ない。球場は全く無事でも、お客さんを呼ぶことができない。一切合切「何も出来ない」という意味では、戦時中より過酷な状況なのではないでしょうか。

いや何もしてないわけじゃない。選手たちはネットを通じて取材を受け、ファンサービスにも熱心に参加してくれている。出来る限りのことはしようとしてる。

もちろんわかってます。わかってますけど。

何をどうサービスし、一生懸命だとしても、野球選手は野球をしてなきゃ単に「体の大きな普通のお兄ちゃん」でしかないと当人たちが、一番痛感してるはずです。インスタグラムやツイッターで彼らの笑顔や楽しい映像を見る度に、こちらも笑顔になると同時に、なんともしれない胸の痛みがチクチクと刺さってきます。

野球やりたい。やりたいよねえ…。

他に自分の力を最大に発揮できることは、ないんだからさ。

試合を出来ないー何を努力しても、試合は、ない。

その現実は、彼らにとって、どれほど過酷なのか。

どんな状況にでもやがて人間は慣れてしまう。これも一つの現実です。野球のない試合のない日々に、慣れてしまうこともあるかもしれない。言うたら彼らは野球場という非日常性から、普通の生活の場へ置かれ、野球をする側でなく見る側と同じ日常生活を送っている中で、これまでにない発見や気づきがあるかもしれません。

でも時がたつにつれ、見たこともないような、ぼわっととした顔つき、とりとめもない輪郭になっていく、画面の中の彼らを見るにつけ。

ーステイホーム、おうちで過ごそう、大切な人の命を守るためにー

柔かい言葉で伝えられる、この今現在置かれた、わたしたちの生活は、酷く深刻で厳しい現実の中にあるのだと。忘れては、いけないのだと思い知らされるのです。彼らのぼんやりした顔は、その残酷さの現れであり、わたしたちの見るべき本来の顔ではないのだから。

いつかまた球場に球音が響く時が来るとしたら。

キリリと引き締まった顔つきの、激しい闘気と相手を震わせる覇気、美しい横顔のナイスなヒップの 熱い汗の流れる首筋の バットを振り切る強い力の くっきりとした輪郭の 

野球選手が、躍動する瞬間に、触れる喜びに、胸を震わせたい。

きっと、その時は、わたしのぼんやりと弛緩しきった輪郭も、少しはきりりと締まってくれるだろう。

人にとって「生きている」ってどういうことなのかー余儀なく活動を狭められると、わかってくることもあるのかもしれません…。

痺れたい。痺れたいなあって、痺れるほどに思うよね…。














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