「残酷な世界」から帰ってきた野球の子ームネリンは、子どもを育てる大人になろうとしているー川崎宗則ドキュメントー


NHKBS 「ザ・ヒューマン」一昨年、体調不良からソフトバンクホークスを退団した川崎宗則ームネリン。

「腹一杯野球をやりたい!」

シーズン終わっても草野球のチームまで作って野球をやりたがったプロ野球選手。野球をしてないと死んでしまう生物なんだなって、わたしは勝手に思っていた。

そんな彼が、「野球から離れる」とまで言葉にした葛藤と苦悩は、いかなるものだったのか。そして、いかにして野球に戻って来ることができたのか。ただ戻ってきてくれて、すごく嬉しかったし、テレビでドキュメントやったー!と喜んでいただけのはずだったのに…。

録画した番組がはじまりムネリンの顔を見た、とたんに涙が止まらなくなった。嬉し涙とか感激ではなくて…なんだかわからない胸がつまるような感情で。

あれだけ野球だけにのめり込んでいた青年が、「野球の残酷さ」を語る。
自律神経失調症と公表されていたが、入院治療までしていたと。もともとアドレナリンが大量に出過ぎるタイプだし、性格的には繊細で大人しい子だという周囲の声も見聞きしていた。

多くの場合、サービス精神が過剰な人は、繊細で敏感な性質を持っている。周りの感覚を受け止め、理解し、反応しようとする能力が高いから、そうなるので。

それは野球にも絶対に関係がある。ムネリンはホークス時代は、主に遊撃手だった。ショートを守る選手には、「全体を感じとる」能力が絶対に必要だし、二遊間、三遊間での呼吸を合わせ、さらにゲームをコントロールし、その時々のプレイを表現し創造する能力もなければならない。

繊細さと感受性は、とても大事な要素だったと思う(ファイターズで長い間、ショートストップを努めた金子誠も同様。大型でぶっきらぼうだが、繊細で感受性がとても強い選手だった)

だけど、それは繊細であればあるほど脆くもあり。場合によれば自分自身にも向かって来る諸刃の剣であるのかもしれない。(大谷翔平も野球の星からやってきた野球の子だけど、人間としては普通の子。一種の鈍感さが、彼を身の危険から守っていると言ってもいい。)

台湾に渡る際、コーチを頼まれたけれど選手でやりたいと伝えた。

「人の野球を見るのは大嫌い!」

と言い切る冒頭。番組を見ているうちに、ムネリンは、閉じこもっていたんだなと思った。彼自身が作り出した野球の王国ーおそらくはー世界そのものーに。

必死で構築し、愛し抜いていた、その世界が崩れた時。

「野球は残酷だ」

残酷な世界で、どうやって過ごしていたのか。野球から離れた時間については、まだ語ることがないという。

表情を含め、全体にもうかつてのムネリンじゃない。
年齢とか衰えとかではなく。他を圧倒していた覇気、情熱、発光するエネルギーを発生させていた、何かは、もう失われた。

その失われた何かが、もう本当にないのだと彼自身が受け止めるために。
時間はきっと必要だった。

台湾のウインターリーグが始まる頃、コーチの仕事に目覚める。「人の野球を見るのは大嫌い!」のはずだったのに。若い選手たちが力を発揮することに喜びと感動を実感する、表情に。わたしは、また見つけたような気がした。

打撃に守備に走塁に、他にどんなに優れた選手がいたとしても、他の誰とも違っていた川崎宗則という野球選手の身体に宿る、明るい光の塊りのようなものが。

今度は、彼自身を健やかに生かすために、暖かく照らしてくれればいいと思う。

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