本を読むこと
このところ、毎日1冊読んでnoteに感想を書くということをやっていたら、夫に怒られた。
なぜって、それ以外のことをほとんどしなかったからだ。韓国語を教えること、食事前の準備、必要最低限のネット仕事以外の時間、ほぼ本を読んで、書いていた。
と言ってもはたから見ると、ずっとぼーっとしていたと言っていいと思う。
少し読んで放心して、また少し読んでぼんやりして。読み終わったら、少し書いて寝そべって、また少し書いてうたた寝して…みたいのを延々繰り返し、話しかけられても答えなかったりして。
で、怒られて、あきらめて洗濯物をたたむ。
そういえば子どもの頃、本ばっかり読んでないで勉強しなさい!とか、家の手伝い、片付けしなさい!と言われたことがなかった。
「りぼん」も「なかよし」も「おおどろぼうホッツェンプロッツ」「はてしない物語」もいつでも自由に読めた。それは良かった。
逆に大学生になったら、あまり本を読まなくなり、働き始めたらもっと読まなくなった。本屋勤めだったのに。
海外に住んでまたさらに読まなくなり、結婚して子どもが生まれたらさらに遠ざかった。そして実用書しか読まなくなった。
子どもがみんな10歳を過ぎた頃やっとまともに本が読めるようになり、今になってようやっと物語が読めるようになった。
それでも自営業だし家事もあるから日がな一日本を読んでいるわけにはいかない。
でも、本を読むのには時間がいる。ただ文字を追うだけならそんなに時間はかからないかもしれないが、ちょっと読んで、ふーっとしながら、心や頭のぼうっとしたところまで染み込んで、その世界に入るのには時間がいる。
ここがNetflixとは違うところだ。Netflixなら、洗濯物をたたみながら、皿洗いをしながら見られる。あ、それでも心を掴まれたら、手が止まって、やっぱりふーっとなってしまうけど。
でも、本は最初からそれを繰り返しながらその世界に入っていくので、話しかけられるとそれが途切れてしまってすごく嫌だ。
そしてそれはみんな共通だと思っていたのだけど、そうでもないみたいだ。本を読んでいる間しょっちゅう話しかける夫とそこは通じていなかった。
夫は「なんでそんな嫌な顔するんだ?」と思い、私は「本読んでるのになんでしょっちゅう話しかけるんだ?」と思った。でもそこは認識が違っただけだから、説明すれば解決する。本を読んでいてもパッと切替できる人と世界に入り込んでしまうとなかなか切替できない人がいるということだけだ。いい悪いでもない。総じてどんなことでも夫は切り替えが早く、私は切り替えが遅いけど。そのアイテムの一つに読書も入ったという感じ。
「本を読む」読み方ひとつとっても違いはあるってことを今更知ったのだった。
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