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柿とプロティアンとうさぎ

第42号(令和4年2月16日)
第41号 臼井資則さんからバトンを受け取った水野理絵子です。
私とプロティアンとの出会いに臼井さんが関係!

今日は、womanプロティアンで温めてきた「生理の貧困プロジェクト」の出展日!(プロジェクトの発想担当)

冒頭から、てんこ盛りで既にまとまらない気がしています。

1.キャリアの始まり


 短大卒業後、損害保険会社に入社、ブロックの総務課人事で労務関係を3年担当後、先輩の退職に伴い仕事がスライド、人事関係全般の業務をリーダーとして担いました。
新入社員が下につき、自分も覚えながら教えるという過酷な状況に。
最初の年こそ大変でしたが、のみ込みの早い後輩だったおかげで、次の年からはスムーズに回っていくようになり、大変ながらも充実した日々を過ごしました。
一方、残業が当たり前で、「私の青春返して!」という独身の大先輩が何人もいるような会社でもありました。
「残業する人はできる人とは言えない」と目から鱗のことを言っていた人がいて、自分に言われたわけでもないのに悔しかったことを覚えています。そこから「残業をしない、しても最小限」という自分のスタイルを確立して、時間意識を常に持ち、同時にできることはないかを考えながら仕事するようになりました。
通算して7年総務課人事の業務を担当後、通ると思っていなかった自己申告制度が通り、営業部門に異動となりました。
さらに大変になる予定でしたが、3ヶ月経つ頃にはリズムがつかめ、締切時を除いて定時に帰ることができました。
カラーや他のスクールにも通い始め、興味が他の仕事に移ったため、2年後にあっさりと退職しました。

2.様々な仕事(柿の芽取りも!)


 31才で結婚し、専業主婦も経験、社会復帰のきっかけは、下の子が幼児園に上がる時でした。
子どもがいないスキマ時間に様々な仕事をするように。
中でも変わり種は柿の芽取りのアルバイトです。
田舎で富有柿の産地なのですが、人づてに紹介されました。
柿の実取り(秋)か芽取り(春)があるよと。
しかし、実取りは熟練した人、初心者は芽取りと言われて芽取りを経験しました。脚立に上り、高い所で芽を取るのですが、慣れるまでは怖かったです。
他には大学入試や介護支援専門員の試験監督、大学でのキャリア教育セミナーのTA業務なども経験しました。

3.プロティアンとの出会い

 プロティアン研究会の発足する少し前、JCDA東海地区会への参加が出会いになります。
タナケン先生が登壇されたあの「神」会にオンラインで参加しました。当時、臼井さんが地区会長でした!
10年前にCDAを取得して、プロティアン理論を学習していない世代、先生の熱量と理論に衝撃を受けました。
これまでの自分のキャリアを肯定的に捉えて良いのだと思えました。そして、現在に至ります。

長くなったので、うさぎのことはどこかで書きます。

次は、毎日を丁寧に生きる 「みえさん」こと 青木美恵子さんにバトンを渡します!

【続編】はこちら!
https://note.com/riekom0418/n/n4ababbe36fac


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